ボスを倒せるとわかって進む父、わからないけどとりあえず突っ込む僕
「夢追い人」だと自称して歩いている今日この頃。ちょっと進んで洞窟を抜けたかと思うと、またすぐ次の大きな大きな荒野に差し掛かるRPGのような人生。
広い世界を目の当たりにしたとき、、、
「興奮しますね!」「ワクワクしますね!!」
なんて笑顔で言いたいけど正直萎縮してしまいます。
みんなそんなもんなんでしょうか?
「人生は実験の連続」
と掲げてあちこちズカズカ進むからでしょうか。
正月に実家に帰ったとき、父とドラクエの話をしました。
「俺は絶対ボス倒せるようにならないと洞窟行かへんからなあ」
父は本当にその通りの攻め方でドラクエやFFを楽しんでいました。
昔、ドラクエ8だったかFF12だったか、僕がプレステのゲームデビューしたとき、父がやっていたどっちかのセーブデータを途中から複製してやらせてもらったことがありました。めちゃくちゃ堅実に固められた装備と安心のレベルで、目の前の洞窟をかなり余裕を持って突破できたことを覚えています。
でもそのとき僕は思いました。
「そこまでレベル上げんでもいけたんちゃう?」
一度そう思ってしまった僕は、
「どれぐらい強くなったら洞窟の奥のボスを倒せるか」
を考え始めました。
でも、考えても答えは出ませんでした。洞窟に入ってボスと戦ったことがなかったからです。結果、
「とりあえず洞窟に突っ込んでみよー!」
ってなりました。
何度も棺桶を連ねて教会に逃げ帰ることになりました。でも、全滅しても九死に一生を得ても、途中で冒険を放棄することはありませんでした。何度も何度もトライして、その度に気づいたらレベルアップして、敵に慣れてきて、なんとかかんとかボスを倒して次の村へ行きました。
父のような闘い方は性に合っていなかったけど、僕は僕のやり方で父よりも短い時間でラスボスを倒すところまで行っていたなあと思い出しました。
そんな父は今、僕の決意や行動に対して寛容でいてくれています。
何かあったら帰ってこいなどと甘いことは絶対に言いませんが、その代わり僕のやることに対して何も言いません。良いも悪いもその結果を自分で背負う覚悟でやれ、そう言う気持ちで見守ってくれています。
書いていて泣きそうになっている自分がいるのですが、書きながらふと浮かんだ言葉をせっかくなので綴っておきます。
この両親の子どもでよかった、
今、強烈に思いました。
今の僕に対する、父の考え方です。
父方の祖父は
「それは家族としてあまりにも冷たい」
と言います。
でも僕は、これは父の愛だと思います。
自分で言うのもなんですが、さすがは僕の父親。
よく僕のことをわかっているなあと思いました。
ほんと、さすがです。
忠告やアドバイスはよっぽどの場合じゃないと耳に入らないのです。だからこそ、お前自身が強くなれ、自分の選択の責任を取れるぐらいに。
そういうメッセージだと受け取りました。
ありがとう。
今日、新たな道を開拓してみて、
関東の演劇をワークショップで体験した結果、
自分が今とんでもない荒野に佇んでいることを知りました。
これが「現実」を知るということなのでしょうか。
だけどまあ、大丈夫でしょう。
道が見えない荒野だろうが洞窟だろうが、僕は手探りで進んだり戻ったり逃げたり闘ったりしながら、次の村へとまた歩を進めて行くのです。
ところで皆さんは、RPGのゲームやりますか?
どうやって洞窟やラスボスに向かっていくタイプですか?
せっかくなので少し立ち止まって思い出してみてはいかがでしょう。
自分らしい人生の歩き方の参考になるかもしれません。
あなたにとって、私にとって、 今日という一日が、かけがえのない明るく輝く一日でありますように。
2022.1.5 共鳴|世界の広さに萎縮しそうだった夜
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