
Photo by
annzu95318263
知識は蓄えるべきか問題
今日も、坂爪圭吾のエッセイを読む。
知識を蓄えると悲観的になる、か。
知らぬが仏。そんな場面が最近よくある。
とはいえ、読書で生きづらさが軽減されたことがあるのも事実だ(例えば、仕事術や休み方の本など)。
じゃあ、メディアとどう付き合っていけばいいのか。
何かしらの困難を抱えていて、今の自分の知識量じゃどうしようもないときに実用書を読む。単純に没入できて楽しいから、小説やエッセイ、ネット記事を読む。そんな感じか。
あんまり教養人になりたいとか思わないほうがいいかもしれない。特に人文系の本を選ぶ際は気をつける。なぜなら、人文系の本は社会に新しい視点や疑問を投げかける反面、知らないほうが生きやすかったかもしれないことも多く含まれているから。
当たり前とされていることに石を投じる的なところがあるので、究めると世間との乖離がデカくなって生きづらくなる。
知識を身につけたり新しい視点に触れたりするのも必要。だけど、それよりも自分の頭で考えるほうが大事だ。そして実践。考えて実践したことは知恵になる。
メディアには考える為の種がたくさんある。話半分で聞きつつ、もう半分は批評するのに時間と労力を使ったほうがいいと思う。話全部聞くと宗教的になるし、何が正しいのか分からなくなって不安になる。
機嫌よく生きていくためには、ある程度楽観さが必要になる。時には心を殺して疑問を持たないようにしたり、考える前に何でもかんでも調べない意識付けが要る。
じゃないと資本主義の枠の中で生きていけない。健康的な範囲内で他者に合わせるということがいかに大事か、最近強く感じている。いちいち些細なことに疑問を持ってたら身がもたない。
ほどよく学び、ほどよく鈍感になる。
心は殺しても、魂は絶対に誰にも明け渡さない。