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#401 DX時代に必要な学校教育とは?ニュージーランドの変化にヒントを得ながら考える
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
先日、「なんちゃってDXから抜け出す思考」についてご紹介しました。
「ハンコをなくす」、「リモート会議する」、「紙の処理を電子化する」くらいの、「IT化」の文脈で使われていたものを単なる「DX」という言葉に置き換えただけのものを「なんちゃってDX」と称しています。
本来Xが指すTransformationは、「これまでの形状が跡形もなくなってしまうくらい変容する」ことを意味しているのに、デジタルを活用した課題解決の有象無象が全て"DX"という言葉に包含されてしまい、単なる一時のバズワードとなって終わってしまうことを懸念しています。
DXにおける大切な思考法について、過去の記事で詳細にご紹介していますが、キーワードとしては「タテ割りではなくヨコ割りのミルフィーユ型」、「まず抽象化から始める」、「図があって、地ができるアインシュタイン的発想」が重要です。
で、次の私の課題認識としては、このような思考法を社会人になる前にいかに当たり前のこととして身につけられるか、ということです。
DXにおける思考法はこれまでの同一業界の中で技術の深化を目指すものではなくなっているため思考の転換が必要ですが、学校教育の段階で「タテ割り」の思考が叩き込まれてしまうと、そのような思考の癖を直すのは容易ではありません。
過去に、文系と理系を分けるのは何故か?という問いから、過去の学問の歴史を遡って今に至る経緯を調査しましたが、文系科目と理系科目をタテ割りで見てしまうと、DX人材育成の思考とは逆行します。
つまり、これまで文系の印象が強かった「読解力」も、理系の印象が強かった「数字」の話も、全てヨコ割りで理解するのが正しいと考えます。文系と理系の交わるところに文理横断の概念があるのではなく、文系と理系の土台の上に文理横断の概念があるイメージです。
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マイナビさんのコラムにある、文系と理系にサンドイッチされているタテ割りの概念とは、違った捉え方です(こちらは便宜的に示したものだとは思います)。
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実社会で「読解力だけあれば数字は無視でいい」とか「数字読めれば読解力は不要」みたいな話はないですからね。
文系・理系問わず、また民間・行政問わずあらゆる分野で、何かを継続するためには、ツールでしかないお金に対する正しい知識や他者の巻き込みが必須。だから財務・会計の基礎知識が必要だし、他者と言葉を通じてコミュニケーションが取れないとプロジェクトワークは破綻します。
今日は、「教育先進国」の1つ、ニュージーランドの学校教育の変化についても言及しながら、日本におけるデジタル人材育成の方向性について、私の考えをまとめます。
40年で学校教育を大きく変えたニュージーランド
2022年に国連が公表した「人間開発指数(HDI)」の"Knowledge"要素の一部である「教育指数(Education index)」をもとに作成された世界ランキングによると、ニュージーランドの教育指数は世界3位となっています(日本は27位)。
教育指数は、国や地域における教育の発展度合いを測る指標として用いられます。
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https://www.datapandas.org/ranking/education-rankings-by-country#intro
野本響子さんの過去放送で、ニュージーランドで日本からの留学生支援事業を営む「Real New Zealand」の藤井巌さんとの対談がありますが、これがなかなか興味深いものでした。
この対談が特に興味深い点は、現在は「教育先進国」と認知されているニュージーランドも1980年代前半までは、日本と同じような学校システム・教室の風景だったことです。
1980年代後半から国の教育に対する考え方をガラッと変えて「学校は、学びの場であるとともに楽しい場であるべき」という思考のもと、最新の教育に対する研究を素早く取り入れながら学校教育の形を変化させてきたとのことでした。
例えば、初等教育期間は、5歳(Year 1)から12歳(Year 8)までの8年間ですが、この期間は基本的に「Writing, Reading, Numbers」、日本でいうところの「読み・書き・算盤」を教えるだけとのこと。
「社会」「理科」のような授業は、ほとんどプロジェクトベースラーニングの形が取られ、例えば「地域に木を植える」というテーマのもと、「何を植えるか?」「どこに植えるか?」「実際に植えてみたら何が大変か?」をプロジェクトごとに実践的にまとめ上げるような授業です。他にも、地域の教会に行って牧師と話し、教会の役割について、ヒアリングしながら学んでいくような授業が一般的とのことでした。
教科書もなく、時間割もない。宿題も「本を読んできてください」程度のもので、担任の先生が色んな計画をして学校全体で様々な形での学びを実践する。
その後10年生、11年生を経て、13〜15年生の3年間は日本の高校相当の勉強量になるようですが、自分の好きな強化を深く取り組む時間になっています。
高校1年生くらいでは、まだ必須科目と選択科目に分かれていますが、高校3年生になると必須科目がなくなり、自分の好きな科目を選択するようになります。
アートが好きな人は、グラフィックデザイン、アートデザイン、アートペインティング等のカリキュラムを取られるとのことで、まるで芸大のようです。
また、国内にある大学は全て国立大で、合計8大学しかありません。
国の人口は520万人程度で、日本の約23分の1ということもありますが、日本の大学数は約800ありますから、人口に対する比で見ても少ないです。
全員が大学を目指して企業に勤めましょう!の文化ではなく、農業や漁業などの一次産業も盛んな国ですから、必須科目の教科学習が苦手でも、別の得意技を磨く土壌があります。
当然、文化や経緯の違いはあるとは言えど、40年前は日本と同じような風景だった学校がここまで変わることができるというのは、日本も絶対無理な話ではないということです。
DXハイスクール事業で重視すべき学びとは?
日本でも、文科省が推進している「DXハイスクール事業」があります。
小中高でシームレスにどう設計していくのか?という論点が一番重要ですが、いきなり全体というのも現実には動かしにくい面もあり、GIGAスクール構想などと併用しながら、小学校、中学校、高校とそれぞれ個別重点的にアプローチしていると感じます。
今年度から開始した事業なので、色々と取り組みの内容が公表され始めていますが、デジタル化の本質とニュージーランドの教育の変化を踏まえると、何が重要でしょうか?
私は、デジタルはあくまで手段に過ぎず、「ヨコ割り・抽象化」の課題解決であるという思考法を学ぶところに本質があると考えます。だから、ネットが遅滞なく利用できるとか、基本的なオンライン環境の整備は大事ですが、ハイスペックPC、3Dプリンタ、動画・画像生成ソフト等のある意味オーバースペックなハード敷設の導入が先に来るものではないのかなと。プログラミングを全員に教える、という性格のものでもないという意見です。
じゃあ何を優先するの?という問いへの解は、デジタル思考法を学ぶためのプロジェクトワークです。今後、ますます国や業界といった背景が異なる人たちと協業しながらチームパフォーマンスを出せる人が求められますから、プロジェクトベースラーニングを主軸に置いた学びが重要です。
そして、これをいきなり学校の先生だけでやるのはほぼ不可能です。
民間企業ですら、自社にないケイパビリティは、複数企業に外注しながらプロジェクトを進めるのが当たり前です。学校も上手く外を活用しながら、自分たちオリジナルのプロジェクトベースラーニングを組み立てていくのが肝要だと考えます。
最初の絵で表現するなれば、「ヨコ割り」の文理横断スキルを基礎的に身につけた上で、生徒がそれぞれの探究テーマに応じた仮説と検証のサイクルを回すプロジェクトを実行する学びですね。
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このように考えると、プロジェクトを進めるために必要なベースの学びとしての「文理横断科目」という理解になります。
「タテ割り」前提の分離融合学部には、「社会心理学部」や「情報学部」などが例示されていますが、「ヨコ割り」のミルフィーユ型で捉えることで、必要な「文理横断科目」が変わってくると思いませんか?
DXハイスクール事業で必要な学びはまさにここにあります。
ここはもう少し深掘りできそうなので、また別の記事で述べたいと思います。
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