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#442 「社会は厳しい世界」はウソ。目の前の道がダメでも全く問題ないから好きにやろう

昨日、文筆家・編集者でVoicyパーソナリティでもいらっしゃる、のもきょうさんこと野本響子さんとお会いして、色々と意見交換をさせていただきました。

私がミャンマーなど東南アジアで過ごしていた2010年代と重なる時期に、のもきょうさんもマレーシアで子育てをされていたこともあり、色々な価値観や感覚が合い、「そうそう、日本のそれ、おかしいよね!」と話もとても弾みました。

他にも、のもきょうさんとの意見交換の場に参加されていた方々と議論させていただき、それぞれ子育てや学校教育における課題提起をされていました。私自身も非常に勉強になるテーマばかりだったので、数回に分けて私の意見をまとめていきます。

今日は初回として、「社会は厳しい世界」と呼ばれるが、そんなことは全くない、という話を取り上げます。


社会は、思ってたより厳しくない

社会に出る前、親や先輩から「社会は厳しいところだ」と言われたことがある方は多いのではないでしょうか。

まず、これは私自身の体験からの話となりますが、結論から言うと、社会は思っていたより全然厳しくないです。なんなら、学生時代よりも、あまーくできていると感じています。それは、自分で時間とお金の使い方を決定できるからです。

いやいや、そんなこと言ったって、仕事が忙しくて時間なんてない、という反論もあるでしょう。しかし、時間が取れないならば、別の働き先を探せばいいだけです。最近は、フルリモートで働ける場所も増えていますし、人的供給制約下の社会ですから、仕事内容にそこまで強いこだわりがない限り、働く場所はあるでしょう。

「能力がある人であればそれができるけど、そうでない自分は無理だ」という方もいらっしゃるかも知れませんが、極論、能力ではなく働く時間を売る、という割り切り方もあります。働く場所・お金の稼ぎ方・お金の使い方について、基本的には誰からも干渉されることはないはずです。全て自己責任による判断です。大人ですからね。

一方、社会に出るまでのほうが私は厳しい世界だと感じます。
まず、義務教育で通う小中学校では、「このクラス、自分には合わないな」と感じても、大人が社内異動するように自分でクラスを変更することは、ほぼ無理ではないでしょうか。
学校が合わない、と言っても、転校のハードルは転職より高いでしょう。場合によっては、引越などを伴う可能性もありますし、子どもが自分一人でどうこうできる話ではありません。
社会の変化と、変わらない学校現場のギャップが、近年の「不登校」増加、という一つの形になって現れています。文科省のデータによると、2023年度の不登校者数は11年連続で増加しており、小中合わせて34万人を超えました。

出所:nippon.com
https://www.nippon.com/ja/japan-data/

不登校は、学校への違和感を感じた子どもの反応として、かなり健全な反応であると考えます。

今でも覚えているのですが、私が中学1年生のとき、PCを使う授業で先生が案内するよりも先に対象のフォルダを開いて作業を進めていただけで、かなり叱られたことがあります。「なんで指示する前に、勝手に作業を進めてるんだ!!」と。
こういう体験があると、「先生に言われるまでは、勝手に何もしてはならない」というプログラムが自然に脳にインストールされますね。
しかし、その後自分が社会に出てから良しとされる価値観は全く逆でした。「言われるまで動かない指示待ち人間は評価されない」、になったのです。

つまり、場合によっては全く逆の価値観が刷り込まれる。しかも、学校という環境の中では、どうしても「大人と子ども」という不均衡なパワーバランスが働きますから、子どもから大人にNoを突きつけ続けるのはよほどの勇気が必要でしょう。

また、大学入試の共通テスト「情報I」を解いてみた、という記事を書きましたが、かなりの集中力が必要なワークで、非常に頭が疲れました。

「情報」の学習指導要領自体は、かなり手広い学習スコープになっており、自由度も高くワクワクする内容になっています。しかし、大学入試という「筆記試験」になった瞬間に、その魅力は一気になくなります。
情報と親和性が高いとみている「探究」も、試験になると俄然つまらなくなるでしょう。

本来、「答えがない問題」に、どのように問いを立てて正解を作り出すか?が楽しいし、社会に出てから問われる力はそればかりです。
しかし、「共通テスト」という性格上、事前に「決められた答え」を求めるワークになってしまう。他の教科学習も同じで、他人よりも決められた答えを早く導き、いい大学に入るために塾に行き勉強する。入試でいい点を取ることがゲーム的に好きな人、得意な人はいいですが、そうでない人は苦行でしかないですね。

社会に出れば、不得意なことまで強要されることはありません。不得意な業種・業界は選ばなければよいのです。

文系→エンジニアでも普通にやれている事実

私は、大学までいわゆる文系の道を歩み、大学では経営学を学び、その後システムエンジニアとしてキャリアをスタートさせました。それから15年、今はアプリ開発エンジニアの管理職として仕事をしています。

仕事をはじめてから多くの人との出会いがありました。日本の大学の偏差値水準ではトップレベルの東大・京大卒でも微妙な人は微妙だし、大学を出ていない人でも、活躍してる人はガッツリ活躍しています。

私は大学まで、システムエンジニアに必要な技術系の知識は全く勉強してきませんでした。情報や電子工学はもちろん、数学も高校の時の勉強で止まっています。

もちろん、社内には高度な技術系の知識が必要なポジションもありますが、全てがそうではありません。例えばAIでは、AIのアルゴリズムそのものを作り出すR&D領域では、ハイレベルな技術力が求められます。しかし、AIをお客さんの業務に適用することを考える人に求められるのは、お客さん業務に精通していることであったり、フワリとしたお客さんの要求やビジネスプロセスをソフトウェアでどう実装できるかを構想する力です。

実は、エンジニアの仕事で一番重宝されるのは、コミュニケーション能力です。プログラムは書けるけど、人との会話が苦手な人が少なくない業界だからです。

良くも悪くもジェネラリスト輩出大学

日本の大学が海外と違うのは、大学に入る時は多少科目などでフィルタリングされていても、大学に入ってからは、割と幅広く学べることです。社会に出てからジョブ型のポストを目掛けて、逆算で大学や高校の専攻を決めるようなルートは医学部くらいで、理系で技術職でも営業職をしたり、私のように経営学部で人的資源管理を専攻していても、人事関連のジョブに就かずにエンジニアになるキャリアも成立します。

これは、日本の大学がある意味「ジェネラリスト会社員」を大量創出する仕組みであり、学校の出口となる企業側も、終身雇用・ジョブローテーションを前提とした「企業内ヨコ割り」型での競争が過去には一定成立していたからでしょう。

今後、終身雇用制度が廃止され、よりジョブ型雇用が進んだとしても、ドラスティックに中学校や高校、大学時点での進路がその後の人生を決定づけるなんてことはまぁありませんから、どちらに転んでも何とかなります。

私自身も、大学入試の時には、滑り止めの学校は受けずに前期試験は不合格、後期試験で別の大学に合格して進学しましたが、前期で受けた第一志望の学校に行かなくても現在、非常に幸福度の高い毎日を送っています。

本来は、選択肢なんて沢山あるはずなのに、「選択肢がないように見える」社会は息苦しさしかありません。いま、目の前に見える道に進まなくても、社会には様々なオルタナティブがある、ということを若い人には伝えていきたい。このようなことをぼんやり考えていたので、考えをまとめてみました。

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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