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#362 損得勘定・コスパで測れないものに、人生の面白さがある
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
何かに時間を使うとき、何かにお金を使うとき、「それをやってどうなるの?」、「本当に効果あるの?」と聞かれたことがある人は少なくないのではないでしょうか。
私は、どうもこの損得勘定やコスパといいますか、合理的判断だけに基づく意思決定が苦手です。もちろん、その重要性は理解しているつもりですが、合理的判断だけでは真に面白いものには出会えないと考えています。
今日は、私の実体験をもとに「損得勘定」や「コスパ思考」が制限してしまうものについて考えてみたいと思います。
「それやってどうなるの?」は、人を白けさせる言葉
私が仕事をしている中でかなり窮屈に感じてしまったシーンとしては、新規事業創造関連の仕事をしていた時に、出張申請の効果について、都度組織長から「それやって効果あるの?」が問われたことです。
私は「地域ビジネス」が面白いと感じていた一方で、地方出身とは言え、高校卒業後は関西・関東で生活をしていましたから、地域の人が感じるリアリティある課題感がなかなか掴めずにいました。
リアルは常に現場にある、と考えていたので、地域を自分の目で見てくることが不可欠だと感じており、自分で情報収集して仮説を立てて、この地域の人はこういうことで困っているのではないか?こういう貢献ができると、先方にも喜んでもらえるし、自分たちとしてもお仕事になるのではないか?と考えた案を検証すべく、地域の現場を自分で見て、仮説を検証しようと思っていました。
そこで、「ここに行って、この仮説を検証してこようと思います」と出張の許可をもらおうとするのですが、海外はともあれ、国内移動でさえも、毎回「それやって意味あるの?」みたいなことを問われて、正直、気持ちが盛り下がるというか、ちょっとげんなりしてしまいました。
新規ビジネスを作るということは、当たり前ながらそこに投資が必要です。投資なくしてリターンなし。それは人員を既存ビジネスから剥がして新規側に振り分けるということもそうなのですが、活動にかかる+アルファの費用の発生も想定することだと思います。
もちろん、無駄にコピー機を揃えたりするのは不要なので、投資先の見定めは重要です。できるだけイニシャルコストを抑えることは、稼ぐ事業作りの原理原則だからです。
もちろん、行くのであれば、何らかの成果に繋がるようにできるだけ多くを吸収して結果に繋がる意識を持つことは大切だと思うのですが、「それやってどうなるの?」ということを都度問われると、一番大事な人のモチベーションを下げているだけな気がします。課題設定に必要な現地調査(しかも外注ではない形で)であれば、予め投資額のアッパーや期間を決めて、その中でやりくりさせるアプローチのほうが無駄にモチベーションを下げることにはならないのかなと。
結果としては、それでも現地に行かせてもらって、担当としては初めて受注に繋げることもできましたし、何より色々と動く中で得られた自分が仕事に面白さを感じるポイントや知見が本当に貴重だったので、活動させてもらったこと自体にはとても感謝をしています。しかし、このエピソードから自分が得られた教訓としては「新規ビジネスは、トップが本気でBetする気持ちがないとできない」ということと、「合理的判断だけでは、真に面白いものに出会うことはない」ということでした。
「学ぶ」ことを「損得勘定」だけで考えない
賢い人ほど、短期的な費用対効果に捉われすぎて、かけた時間やコストに対するリターンがクリアに理解できないと動けないというのは勿体無いと考えています。
例えば、私の場合「情報処理資格試験」がそれに該当します。
私は学生時代、文系出身で経営学部を卒業してIT企業でシステムエンジニアとして働くことを決めました。
(そもそも、文系・理系の区分けが不要では?、と考えてますが、それはまた別記事で深掘りします)
システムエンジニアの仕事を選んだのは、「文系」であってもモノづくりに携われると考えたからです。当然ながら、パソコンが動く仕組みやプログラミングとは何ぞや?の状態だったので、入社1〜3年目の間で、入門的な「基本情報処理試験」、「応用情報処理試験」から、「プロジェクトマネージャー」や「データベーススペシャリスト」、「セキュリティスペシャリスト」などの高度情報処理試験の資格も取りました。
当時、これらの資格を取得すると、会社から奨励金が出たのですが、当たり前ですが何百万円ももらえるという話ではないので、かけた時間と労力にはおそらく見合わないのです。
ここで短絡的な「損得勘定」だけで考えると、「そんなに得しないから」とか「業務時間外まで、仕事の勉強したくない」になってしまうのですが、捉えるべきリターンの対象が違うのでは?と考えています。
目先の奨励金はもちろんあったほうが短期的なインセンティブにはなりますが、私の場合、入社して数年の間で、これらの国家資格を取得したことで、自分自身に体系的なITに関する知識が得られたことが1番のリターンでした。
仕事で使われる言葉が分かるようになるし、自分でJavaを書いたときも、インシデントの調査でSQLを書いたときも、あらゆるITサービスがどのように動いているかの前提知識があるので、とにかく理解が深まって面白がれるのです。
この感覚が一番の報酬でした。
結果的に、その後海外のお客さん向けにデータベースに関する研修講師の仕事に繋がったりしましたが、短期的に「情報処理の勉強してどうなるの?」だけで動いていたら、こんな仕事を自分が担当することもなかったはずです。
TOEICも同じです。
私は新卒で就活してたときは、とにかく日本の中でこじんまりと生きていきたいと切望してましたから、「I love Japanです!とにかく日本にいたいです」と面接で話して、後で興味を持った総合商社では軒並み落とされ、今考えると勿体無いことしたな、、て感じでした。笑
しかし、入社して数年経って、「自分が第一人者と呼べる仕事がしたい」と考え、当時会社として力を入れていこうとしてたグローバルの世界に飛び込みました。
TOEICも、そこからはじめてちゃんと勉強して300点以上スコアを上げて、希望の部署に異動させてもらったのですが、これも「TOEICなんて意味ないよね」と短絡的な損得勘定で動くとより長期的なリターンを得られないことになります。
私がTOEICの勉強を起点にして得られたものは、短期的な金銭面での報酬ではなく、東南アジアの仕事に飛び込んでこそ得られた視点・視座・視野です。
もちろん日本にもそれらが得られるよい仕事はありますが、向こうに行かないと実感として持てない感覚があるのは事実なので、人生の中でこのような時間を20代で持てたのが、何よりのリターンでした。
短期的な合理性だけで投資判断をしない
上記エピソードも、情報処理試験やTOEICの勉強を始めたときには、当然長い目でどのようなリターンがあるかなんて分かりません。投資した時間やお金がリターンにならない可能性も当然あります。
でも、それがリスクだと捉えて「何もしない」場合、当然ながらリターンもありません。
合理性だけで考えると「動かないのが一番良い」となってしまうのですが、それだと永遠に最大のリターンである「人生の幸福度を上げる」ことも得られません。
人生観はそれぞれですが、私は少し勇気を振り絞って、それなりの時間投資、金銭投資の先にこそ、本当の面白みがあると考えています。
「迷ってる理由が値段なら買え」という言葉は言い得て妙。過度な損得勘定、コスパ意識は捨てて、面白そうかも?と感じたら、積極的にBetしていきたいと思います。
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