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#398 鍛えよう!メンタルタフネス。問題解決の抽象パターンを作って高めるレジリエンス
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
先日、中高でのサッカー部の経験が、現在の私につながるメンタルタフネスの原体験になっていることについて話をしました。
こちらの記事で言及している通り、いわゆる「体育会系」で、「理不尽を理不尽のまま受け入れる」耐性をこの時期を養えたことは、長い目で見ればプラスになっているのを再実感しました。
ビジネスシーンにおいても、ステークホルダーとのパワーバランスや情報量が完全に一致していることなど現実的にはありえません。
何らかのパフォーマンスを出すために投入できるリソースには上限もあり、「安い、早い、美味い」みたいな概念を全て追求できればいいですが、トレードオフとなる概念をどのように両立させるかとか、優先順位を置いていくか、というのが現実的な論点になりますね。
私が普段取り組んでいるマネジメントの仕事なんて、「理不尽耐性」がないととてもやってられません。笑
「理不尽」とどう向き合うか。想定していなかった事象が発生した時にどう受け入れるか。すぐには解決できそうにない問題を目の前にした時に「一旦様子を見る」という選択が取れるか。
このように考えると、On-goingで取り組んでいる日々の管理職としてのマネジメント経験を通じて、日々メンタルタフネスが強化されつつあるとも言えます。
では、このメンタルタフネスを筋肉のごとく、どのように強化できるのか?という問いに対する答えは何か。
もちろん、上手くいかない環境や変化が激しい環境に身を起き続けることで、鍛えられる部分もあります。私は、東南アジアでの約10年間の仕事経験を通じて、日々想定外の連続で、日本での当たり前が全然当たり前じゃない世界に身を置きながら、現地では担当者ながら「会社の代表」という意識で現地のお客さんや関係者と相対していましたから、ここでかなり鍛えられた実感もあります。
この点、もう少し解像度を上げていくと、「理不尽な環境」や「想定外の環境」に身を置くという環境面の話というよりも、結局は1つ1つの困難なシーンにおいてどのように向き合って乗り越えたのか、という経験の数でしかないと感じています。
また、自分のチームメンバーと面談をする機会も多くありますが、「あ、そんなことで悩むんだ」と感じることも多く、確かに自分も以前はそんなことで悩んだこともあったなぁ、と気付かされます。
これは一体どういうことなのか?
自分のチームメンバーの顔を思い浮かべながら、まとめてみたいと思います。
「いつか見た景色」をいくつ作れるか?
仕事を始めたばかりの20代前半の頃の自分と、管理職として仕事をしている30代後半の今の自分。メンタルタフネス・レジリエンスは明らかに強化されています。
それには様々な要素があり、単純に「社会」のことをよく分かっていなかったステージから、社会の仕組み、何かの物事が動く原理などが段々と見えてきて「知らない」が「知る」に変わったこともあるでしょう。
また、単純に年齢が上がって、先輩や上司だけの世界で自分が一番下っ端だった時代から、まだ上の世代の方が多いものの、自分よりも若い世代も数が多くなってきた、という要素もあると思います。
私が最も大きな要因として考えているのは、「いつか見た景色」のストックが貯まっていることです。
例えば、システム開発の現場で私の中の「いつか見た景色」の一つが、開発スコープが想定よりも大きくなったシーンです。
東南アジアでアプリケーション開発のリーダーとして仕事をしていた際、お客さんの要望が変わったり、開発委託先を含めたプロジェクト全体でのスコープ認識の統一を図るところまで手が回らなくなってしまい、当初のプロジェクト予算を大きく上回ってしまうことがありました。
自分ではとてもコントロールしきれないレベルの問題になってしまい、半ば思考停止状態になってしまいました。自分としては精一杯取り組んでいたつもりなのに、プロジェクトの状況はどんどん悪化していき、メンタル的にもかなり苦しい日々でした。結果、役員の協力まで得ながら何とか対処し、そのプロジェクトも無事に完遂しました。
その後、別のプロジェクトを担当して、またシステム要件がドンドン膨らんでしまったんですね。その時真っ先に感じたのは「あ、これはあの時見た景色だ」ということ。最初に泥沼にハマっていた時に、周囲の協力を得ながら何とかリカバったけいけんがあったので、次は冷静に対応できてそこまで大事にも至りませんでした。
このような「いつか見た景色」が30代後半にもなってくると、割と色んなシーンで出てきます。で、その時々で何とか立ち向かってどうにかした経験があるから、次に見た時には「これくらいなら何とかできるな」と感じられるようになる。これが、メンタルタフネスの正体だと考えています。
問題解決能力は、場数で決まる
会社役員の方と話していると、トラブルが起こっていてもかなりドッシリ構えていることが多いです。そして、みんなが慌てている中でも適切に指示を出す人が多い。
これは、もともと問題解決能力が高い人が役員になっているというよりも、とにかくたくさんのトラブルの場数を踏んでいるからこそ、「いつか見た景色」のストックが半端なく多いからだと確信しています。
問題に対して何が解決策か?というのがスッと出てくる人は、地頭がいいというより、単純に場数による問題解決のパターンのストックが多い、ということです。
もちろん、外部環境も変わりつつある中で、過去の問題解決パターンが未知の問題には当てはまらないこともあるとは思いますが、少なくともメンタルタフネスの観点からは「この解決パターンで何とかなるのではないか?」と思える何かがあるかどうかが極めて重要。
未知の問題であっても、過去の具体的な問題解決の考え方が抽象化されていて「問題解決の抽象パターン」がある程度揃っていれば、ピンポイントで適合するケースがなくても「完全に未知の問題に対して思考停止してしまう確率」は低くなります。
「問題解決の抽象パターン」を増やすには?
メンタルタフネスを鍛えるには、体育会的なオラオラ環境に身を置くというアプローチを必ずしも取らなくても、目の前の問題から逃げずに最後まで何とかしてみよう!と取り組むことです。もちろん、心の危険を感じた時には、あっさり逃げ出すことも必要ですが、多少負荷がかかるくらいの問題であれば、きちんと最後まで向き合う。解決できた時に、その解決策を抽象パターンにして、自分のストックにする、ということを地道に続けるしかないと思うんですね。
でも、逆に言えば、筋肉と同じで、日常で発生する大小ある問題やトラブルに対して真摯に向き合ってみることで誰でも鍛えられるということです。全員が、無理やり体育会系なオラオラ環境に身を置く必要はありません。
日常の問題やトラブルが発生したときに、「あ、これは問題解決の抽象パターンを増やすチャンスだ」と捉えられている時点で、すでにメンタルタフネスが高まっているとも言えます。
「全ては捉え方次第だ」というのは、Mr.ChildrenのCenter of Universeという曲に出てくるフレーズです。
問題解決パターンのグラデーションを幅広く持っていることが、理不尽や未知の出来事に対しても柔軟に受け入れられる自分を作ることに繋がります。
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