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#342 「管理職」と呼ぶか、「マネージャー」と呼ぶか、の本質的な違い
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
今日は、いわゆる組織の「管理職」のことを「管理職」と呼ぶのか「マネージャー」と呼ぶのか、で、自分がなってみる前はよく分かっていなかったそれぞれの意味の違いがクリアになったという話をします。
考えるきっかけになったのが、先日もご紹介した「マネージャーの問題地図」で取り上げられていた話と、伊藤羊一さんが過去にPLUSでご自身がマネジメント業務を担当していた時の話です。
澤円さんも、かなり以前から「自分は管理職という言葉が嫌いだからマネージャーという表現をしている」とおっしゃっていて、私も共感するところです。
noteなどでは、一般的により伝わりやすいかなということで便宜的に「管理職」という言葉を使っていますが、「管理職」で私にとってはあまりポジティブな表現と捉えられていません。
ただ、「名は体を表す」は真実で、物事に対してどのようなネーミングを付けるか、でその対象が持つ実態的な意味も変わってくるんですよね。
私は、自分のチームメンバーと1on1をする時も、単なる「1on1」だと味気ないなということで「炎の1on1」といって案内してみたり、「残暑の1on1」といって無駄に季節感を出してみたりしています。笑
こういうのも、ネーミングに少しだけ遊びを持たせているだけではありますが、メンバーから1on1したいです!と逆に申し入れを受ける時には「涙の1on1」と向こうからアレンジしてアポイントされたりと、ちょっとした遊びのやり取りが発生するきっかけにもなったりするんですよね。
私はこれまでも何度か、日本の旧態依然とした「組織文化」の問題点が個人のやる気やエネルギーをかなり奪っているという趣旨の話をしてきました。もちろん組織改革として大掛かりで取り組まないと変わらないものもあれば、こういう日々のちょっとしたコミュニケーションに、遊びを頻繁に持たせることの方が重要ではないか?と思ったりもしています。普段は「お堅い」コミュニケーションが常態化している組織のトップが、「自由な組織文化を作ろう!」と声高々に叫んだところで、その声は虚しくこだまするだけでしょう。
コンサルファームなどを訪問して打ち合わせをすると、会議室の名前が「ジュピター」とか「マーズ」みたいに惑星の名前になっているのもそういう工夫の一環だと思いますし(セーラームーンではない)、同じ時間・空間に対してポジティブorネガティブの印象を付けるのはネーミングだったりもするので、私は仕事上での物事の名前や資料のスライドタイトルには、かなり繊細に気を配ります。
というわけで、「管理職」か「マネージャー」か、について、その名前が持つ実体的な意味の違いについて、話していきたいと思います。
「管理職」だと職域が広すぎる
何気なく「管理職」という言葉を使いがちですが、日本の「管理職」という言葉は、実は次の3つの役割を同時に持ってしまっています。
Management (やりくりする)
Control (統制する)
Administration (事務を執行する)
従来の日本型組織では、前例踏襲型で、過去の組織文化で成功してきたスーパープレイヤー、エース級がマネジメント職に登用されてきました。結果として、マネージャー個人の成功体験や属人的なスキルとメンタリティで何とかしてきたのが、「管理職」だったわけです。
しかし、以下の記事でも言及した通り、本来は「管理職」というのも専門職の一つであると私は捉えており、プレイヤーとして優秀な人がマネジメントにも向いているかというと必ずしもそうではありません。
それどころか、プレイヤーとしては優秀だけど、マネージャーとしては明らかに向いていない人も一定数存在しますから、そういう人もマネージャー側に入ってしまうエラーが発生すると、そのチームのメンバーはたまったもんではなく、組織としての損失も大きくなります。
話を戻すと、"Management"、"Control"、"Administration"のうち、本来「管理職」が担うべきは"Management"で、"Control"や"Administration"は管理職の役割でなくてもいいはずです。だから、英語では「管理職」のことを"Manager"と呼び「Controler」や「Administrator」とはあまり言わないわけですが、日本語でマネージャーのことをまるっと「管理職」として表現してしまうので、統制や事務執行も管理職が行わないといけないもの、と多くの役割を管理職に求めすぎているのだと考えます。
「マネージャー」は目的達成のために何とかする人
20世紀に「経営の神様」と呼ばれたピーター・ドラッカーは、マネジメントの定義を「組織の成果を上げるための機能」とし「組織の成果に責任を持つ人」をマネージャーと称しています。
英語のManageには「何とか成し遂げる、やりくりする」という意味があり、組織の成果創出という目的達成のために何とかする人、というのがマネージャーの定義だと捉えています。
「管理職」と表現すると、「人を管理する」「資源を管理する」のように、目の前にあるものを「管理すること」そのものが役割だと誤解してしまいますが、本来、チームのマネージャーとは、「管理すること」が仕事なのではなく、「組織の成果を出すという目的を達成すること」が仕事なのです。
だから、本来は成果創出のためにはメンバーに気持ちよく仕事をしてもらってより高い成果を出してもらうことが仕事であるはずの「マネージャー」が、昨日のKashiwaさんの記事にあるように、パタハラ・マタハラでメンバーのやる気を削いでしまう「オッサン管理職」に成り下がってしまっているのは、明らかに矛盾した存在で撲滅すべき対象です。
ここに、「管理職」と「マネージャー」が持つ本質的な違いがあります。
成果創出が目的だから、マネジメント対象は広い
伊藤羊一さんの話から得られたもう一つ重要な示唆は、「管理職」というと、その人がリーチする対象の相手は「自社の指揮命令系統にある人」となるわけですが、「マネージャー」の場合、そこに限定されないという点です。
何かの成果を出そうとする場合、基本的には自社の能力だけで全てを完結できることは少なく、パートナーとなる他社や、お客さんとも協働することが不可欠です。
現在の私を単に「管理職」と捉えた場合、自社の配下メンバー4名がマネジメントの対象になるわけですが、「マネージャー」と捉えると多くの協力会社の人たちやお客さんも含めて同じ目的達成を目指すパートナーである、という認識の仕方に変わります。なぜならば、「マネージャー」とは「チームの目的達成のために何とかする人」なので、ここでいう「チーム」を会社や立場関係なく一つのプロジェクトの成果達成と捉えると、その成果達成に必要な人であれば自社/他社関係なく、信頼関係・協力関係を築いて何とかしていくのが仕事だからです。
だから、同じプロジェクトを担当している人同士で「受注者or発注者」の立場が違うという理由だけで相手に高圧的な振る舞いをしたり、無理強いをしたりというのは、少なくともマネジメント能力としては欠けていると言わざるを得ません。
お互いに尊敬の念を抱き、プロジェクトの完遂を通じて成果を達成する仲間である、という感覚を持てないならば、そのプロジェクトが真の意味で成功することはないでしょう。
したがって、マネジメントの仕事は、単に自社の指揮命令系統にある人の管理をするというのは全く違っていて、プロジェクトの成果達成のために、自社・他社関係なく信頼関係と協力関係を築いて、何とかして成果を達成することなのです。
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