岡本亮輔『宗教と日本人』【基礎教養部】
800字書評↓(後日URL添付予定)
シト氏とTK氏と共に同じ本を読んでいる。今月は僕のチョイスした本で、タイトルにある本を読んだ。よく言われることとして、「日本人は無宗教」というのがある。それは仰る通りで、僕も小中高の国語の時間に読まされる評論文で何度も目にしたことがある論調だ。人が死んだら仏教式で葬式をやり、ハロウィン、クリスマス、神社に初詣etc… それはそうだろうなと納得していたのだが、それはどうもキリスト教やイスラム教と比べて信仰が形骸化してしまっているという主張に過ぎないようである。なので、無宗教というには早とちりではないか、ということをこの本は指摘している。そもそも、「宗教」という言葉が広く扱われ過ぎていて、何が宗教なのか?と問われたときに、宗教団体のことなのか、儀式の事なのか、信仰の事なのか文脈に依存するという指摘も最初にされていて、まさしくその通りだと思う。
そこで、宗教というのをこの本では三要素に分解して考えている。信仰・実践・所属の三つであったと思う。簡単に分類すると、日本では人が亡くなったら葬式をほとんどの場合仏教式で行うが、これは信仰なき実践にあたる。また、神社を中心とした地域のコミュニティが根強く存在し、これは信仰なき所属にあたる。つまり日本人は全体として信仰なき宗教文化を持っているということになる。これには歴史上、宗教研究者たちの頭を抱えさせてきた流れがあるようだ。
僕は信仰があるか、と言われるとこれもまたどこからが信仰になるのか難しい問題だが、まず宗教は嫌いではない。墓参りもするし、神社仏閣巡りも好きだ。祖父母の家には仏壇があり、帰省した時はそれに向かって先祖様や亡くなった祖父、曾祖父母たちに報告なりをしたりする。試合や受験の勝負事のときに持っていくラケットケースや筆箱にはお守りが大量にぶら下がっていたのを覚えている。年始にも伊勢神宮に参拝してきた。でも常日頃お経を唱えたり、八百万の神に信仰心をあらわにしているわけではないので、やはりこの本の基準で言うと信仰なき信者の一人に過ぎないのかもしれない。
現代は宗教へのイメージが良くないからか、科学が神を殺してしまったからか分からないが、とにかくいろいろな要素が相まって、宗教(信仰)離れの傾向が強い。そしてその結果、個々人と何か大きな力と繋がりを持った気になれるスピリチュアル(精神世界)や禅、陰謀論がブームになってしまったというのが本書の主張で、それには僕も同意できる。実際僕も、小中学生ぐらいの頃は、都市伝説や陰謀論のテレビ番組を食い入るように見たり、ネットで漁っていたりもした。物理学を勉強しようと思い始めたのも、超常現象を自分で解明してみたいなと思ったのがきっかけの一つだったと記憶している。神は存在するのか?とかそういう哲学的な疑問を持って色々と検索しているうちに、量子力学というキーワードを発見してこれを勉強したいと思ったのをうっすら覚えている。今思うと見当違いだが、当時からやはり量子力学は「そういう認識」をされて扱われていたのだろう。
アイドルやらを「推す」、という行為も仰々しく言えば偶像崇拝であり、宗教っぽいもの(宗教なき信仰)の一つだと思う。こうしてみると、宗教ではないが宗教っぽいもので日本は溢れかえっている気がしてくる(細かい宗派が乱立しているような感じ)。人々の目が一点に集まるものは、なんか宗教っぽくね?と思う。小集団で秘密裏に危険な思想を持ち合わせていて…みたいな危なっかしいカルト教団のイメージだと自分とはかけ離れた宗教になってしまうが、意外と我々は、信仰と実践と所属と隣り合わせで生きている。
本人たちが幸せで、周りに迷惑をかけないのであれば、スピリチュアルにハマろうと、陰謀論を信じようと別に良いじゃない、と個人的には思う。しかし多くの場合、それなりに気を遣わせたり迷惑をかけている気もする。
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