自分の黒い部分も見つめて受け入れるために
ずっと自分の中の
女性の部分も男性の部分も受け入れられず
「どちらかである」ことを拒絶し続けてきた
それは幼い頃
自分の周りの女性と男性を見て
「どちらにもなりたくない」と
嫌悪の気持ちを
心の奥底でずっと抱いてきたからなのかもしれないなと
突き詰めてみて思った
妙な潔癖主義というか
ゼロ100思考というか
完璧に素敵なものに成りたい欲求ゆえに
不完全で 不調和で 見苦しいものには
なりたくないという
幼稚な願望だったのだと思うけれど
幼少期に感じたこれらの嫌悪感を
無意識下にずっと抱いていたことに
やっと気付いたので
一度きちんと向き合ってみた
まず男性については
少年たちに思ってたことは
趣味嗜好(ロボットや戦隊や虫など)は一致するけれど
思考回路が意味不明というか幼稚というか
口を開けば下品な言葉かダジャレか「ボカーン」「シャキーン」などの擬音しか発しない、あとキレるとすぐ殴りかかってくる ほぼ獣だと思って軽蔑していた(当時のまわりがそうだった、もしくはそう見えていただけなのであしからず!)
青年については
田舎すぎて直接関わる機会がなかったので幼少期の嫌悪の記憶はなく
むしろテレビで見る特撮ヒーローばかりなので
憧れの存在だったように思う
で
「オジサン」と言われる年代については
これは父親や 近所の人、当時の教師と呼ばれる人たちから受けた印象なのだが
社会的&肉体的優勢でもって 一方的に己の正しさと理屈を押し付けてくる そして逆らえば暴力や社会的制裁でもって無理やり従わせる 自分が絶対正しくて一切批判や反抗されたくない 対話不能の理不尽な生き物だと思っていた
あと、ゴミをポイ捨てしたり道端で用を足したり(田舎だったからか田んぼや畑の脇で小の方をする人がたまにいてね…)煙草の煙を撒き散らしたりそして吸い殻をポイ捨てしたり酒を飲んで酔っ払っては大声で喚いたり女性を蔑視する割に性的に求める目線を隠そうともしない、そういう肉体的&社会的優位性にあぐらをかいているからこそ他者目線を考えずに不快な行動を平気で出来る醜悪さに 心底軽蔑していたなあ と(あくまで幼少期の心の在りようを言語化しているだけなので、今すべてのオジサマ達に対してこんな風に思っているわけでは決してない)
なので
思考回路的には少年の部分もあるし
その自覚はあり、ヒーローに憧れつつも、
(幼少期の私の認識している)「オジサン」になりたくなくて(こう言うと酷いが、ここは心の分析なので仕方ないと思ってください)
仲間入りをしたくなくて「男性になる」という選択肢は持てなかったのだと思う
では女性はというと
これは少女も成人女性もあまり本質的には変わらないなという印象で
自分たちのスモールコミュニティでの「常識」を絶対だと思い込んでいて そこから少しでも外れるものは徹底的に排除したり貶め、平気で嘘をついては陰口を言い、遠回しな言い方で本心を言わないくせに「察して欲しい」圧だけは強く、論理的な交渉やディベートには一切応じず、
少しでも機嫌を損ねたら 感情的に喚き散らすか
執念深く復讐する機会を狙い
泣いて周りを味方に付けては 一方的に集団攻撃をしてくる
自分勝手でどこまでも我儘な 自分が中心でいないと許せない性根の 心底恐ろしい生き物だと思っていた
(あくまで当時の話なので、女性の皆様も気を悪くしないでくださいませ…こういうことを言うと嫌われるのは分かってたので 意識しないように言語化しないように蓋をしてきたので、「当時どう思ってたか」を今は言語化してみてるだけなので、今もすべての女性のことをこう思ってるわけではないので!)
(あと、老年の人達については両性とも悪印象はないけれど別のブロックはあるかもなと思うのでそれはまた)
つまり
どちらにも成りたくなかった
どちらも異なる醜悪さでもって
世界を平和から遠ざける憎むべき敵で
いつ危害を加えられるか
ずっとびくびくしていたように思う
そしてどちらかの性別に成ることを
ずっと保留にしたかったように思う
このふたつのどちらでもない第三が選べるなら
そうしたかったんだと思う
けれど肉体はどんどん女性として形成され
まわりからは「女性として生きる」ことを強要され
「あんな恐ろしいものになって、恐ろしいものの仲間入りをしないといけないのか?!」というのと
「あんな醜悪な生き物から性的な目で見られないといけないのか?!」というので 血の気が引き
意識的には「なんか…もやもやする…」ぐらいしか分かってなかったけど
無意識下でずっと抵抗をしていたんだと思う
けれど
女性らしく出来てないというだけで非難され
劣っていると評価され
社会的にいろんな不利益を被るなと思ったので
じゃあと頑張って女性らしく振る舞えば
男性からは性的な目で見られるという苦痛を与えられ
女性からは男性の気を引こうとしている敵だと思われる
そしてそれは
「女性なんだから」仕方のないことだから
我慢しろと言われる
どう振る舞って
どう生きても
すべてが詰んでいて
もう
生き地獄のようだなと思春期過ぎには思っていた
その記憶が
まだどこかにへばりついていたなあ と
自分を俯瞰してみて気付く
スカートを履くことで
「うまく女性としての皮を被れている」という 擬態できているゆえに疎外されずにいる安心感と
この肉体が可愛いと評価されることへの嬉しさはあれど
メンタル的には「なぜこんなものを履いて、世の中に女性であることをアピールし続けなければならないんだ」という苦痛を
同時に感じ続けていた
女性として違和感なくスカートを履き
平気でいられる人達みたいに生きれていたら
こんな苦痛を感じなくて済んだのになと思い続けた
今は本当に
だいぶジェンダーのことを
みんなが考えるようになっていて
私の幼少期や思春期、20代の頃より
生きやすくなっているように思う
私も
自分の性自認が
完全に女性というわけでないという話を
言えるようになったし
一人称が
「わたし、ぼく、俺」でブレて話しても
そんなに気にしてない(風に見えるだけかもだけど)友達も増えてきた
そのことが
すごく自分を楽にしてくれているし
過去へばりついた
「女性であれ」という呪いは
だいぶ剥がれてきているようには思う
でもその奥
幼い頃に抱いてしまった
「男性」と「女性」に抱いていた嫌悪感は
解決しているのだろうか?
「人を嫌いなままだと、人に嫌われる」
と思って
全面的に、手放しに、
「人のことを好きになろう」としてきた
幼少期に感じた嫌悪感も
「そんなものは無い」と蓋をして
見なかったことにしてきた
ちゃんと男性とも女性とも笑顔で話せるし
もうそんなものは消えたと思っていた
けれど
男性に関しては
心理的安全性を築いていない人だと
やはり近付かれるだけで
ちょっとビビってるなと思う
(絶対に触られたくない案件)
結局 身体的な優位性はこの年になっても変わらないので
3分の1サイズのツキノワグマくらいには
存在を恐れていると思う
だから不用意に性的な意味での好意を持たれたくない、というところに帰結するのかなと(好きと嫌いは裏返りやすいので恐怖しかない)
女性に関しては
やはり「女子集団」に混じったときに
めっちゃビビってると思うし
気を張ってると思う
気付いたら機嫌が悪くなっててほんと怖いし
(気付かずに感情を害したから以外に理由はないんだろうけど)
常にご機嫌を取らないといけないという恐怖が未だにある
(というかふと思ったけど、もし「本心は決して言わないけど、常に私の本心を察知した上で機嫌をとってて欲しい」とデフォルトモードで思ってる生き物だったとしたら、マジで横暴だし酷すぎじゃない?! どうなの??)
でも
幼少期のように
男性も女性もすべて嫌いかといえば
そうではない
男性でも 信頼できる友達が出来て
傍に来られてもビビらない人もいる
女性でも 機嫌を取らないとと不安にならず
安心して話せる友達がいる
だったら
その小さなきざはしを頼りに
自分の中の男性と女性
どちらの部分も
愛せるかを
試してみたいなと思っている
本当は
他者の中だけじゃなく
自分の中にも
きっと軽蔑するものと同じような醜悪さがあって
それを見たくない
そう成りたくないと思っているのかもしれない
少年漫画を読んでスカッとするのは
肉体的優位性で 気に入らないヤツをボッコボコにしたい欲求からかもしれない
トーナメントで1位を取る展開を悦ぶのも
社会的優位性の獲得を望んでいるのかもしれない
少女漫画を読んで 自分勝手で我儘な主人公に嫌悪を覚えるのは 自分がしたくても出来ない我儘をしているからかもしれない
でもそれらがあったとしても
私が不快に思ってきた彼ら彼女らと同じように
それで他者に苦痛を与えるということに
直結しないのかもしれない
それをどう使っていくか、
なのかもしれない
それを持っていても
いいのかもしれない
というか
いいとか悪いとかなくて
ただ そうなのかもしれない
あるだけなのかもしれない
それを受け入れることで
他者への理解がもっと進み
怖さが減ればいいなあと思う
私も持ってるから
他者も持っている
私が持っていることを許せたら
他者が持っていることも許せるように思う
醜い生き物になりたくないと拒んでいたけれど
そもそも人間は醜さと美しさのどちらも持っていて
きっとカードの表裏で
水に溶けたゼラチンのように混ざっていて
それがあるから逆もあるのだと
諦めて
受け入れてみたい
そこがあると分かっても
自分を嫌いにならないでいられるように成りたい
そうなれて初めて
人の醜さも
受け入れられるように
なるんだろうなと思う
そしてその醜さの奥には
もしかしたら寂しさが隠れてるのかもしれなくて
何かしら優位に立とうとするのは
それを社会から求められているからだったり
本当は弱くて傷付きやすい自分を守ってるからなのかもしれない
我儘なのは
常に人の気持ちに揺らいだり
不安を感じやすかったりで
自分を大事にされないと潰れてしまうからなのかもしれない
醜くなってしまう奥を
裏側を見つけれたら
醜さも愛せるのかもしれない
そこをみんなで見合えたら
本当の意味で世界はもっと
優しく平和になる
のだったらいいなあ と思う
人は見栄を張りたいし
美しく見られたいから
「真っ白な部分を見てね」と言う
だからそう見てあげても
「私を理解してくれない」と言う
本当は
黒い部分も知ってほしい
それも受け入れてほしいと
みんな思ってる
きっと私もそう
でもその奥の弱さを
本当は包んでもらいたいんだなと思う
黒さの奥の弱さを
きちんと見つめて
受け入れていけたら
自分の醜悪さから
逃げずに向き合ってみた先に
きっと本当に大切にすべきものがある
人の醜悪さを見た上で
人を好きでいられる自信がずっと無くて
目を背けてきたけれど
きっともう
大丈夫な気がする
この幾重にも続く表裏を
面白がれたら
いいなと思う
2024.11/19