繋がっていく、豊かさ
お家の庭に植えた
ミモザアカシアの木も
7年目
2階のベランダに
届く高さになってきて
初めて植えた年は
お花は咲かなくて
2年目に
ほんの少しお花を付けたときの
嬉しさったら!
3年目
急にたくさん付いたお花を持て余し
惜しんでいたばっかりに、
萎れて落ちた大量の花弁(ミモザ爆弾と命名)
の処理に大苦戦
4年目から
咲きそうなものからどんどん
周りの人、出会う人に
分け与えていくように
そうすると
受け取った人の笑顔が
どんどん どんどん
増えていく
不思議なもので
「ミモザを好きじゃない」
という人は、あまりいない
(たまたま出会わなかっただけかもだけど)
優しい黄色で
丸がたくさん連なってて
そんなにキツイ香りでもなくて
ドライフラワーとしても楽しめる
みんなに受け入れられやすい要素が
多い子なんだろうなあと
いろんな人に渡していて思う
今日
馴染みの自然食品のお店に
すっかり“毎年恒例”になった
ミモザ進呈の儀を済ませてきた(笑)
時間が無かったので
お店の前に車をサッと横付けして
パッと両手いっぱい、
もりもりのお花だけをお渡し
「わあ、今年も有難う!」
と、店主さんの満面の笑顔に
ふふふ、となりながら車に乗り込む
ふと、
振り返って店内を見ると
たまたまお買い物に来ていた他のお客様に
店主さんがミモザを一房、
お裾分けしている様子が見えた
その方も
思いがけないプレゼントに
満面の笑顔
私は
その方から直接お礼を言われたわけではないけど
その様子がめちゃめちゃ嬉しかった
私が手渡したものが
その方の喜びになり
豊かさになり
別の誰か
知らない誰かへと
手渡されていく
その様子は
側から見ているだけだったり
全く見えないものだったりするけど
それを心から嬉しい、
と思えるのは
見返りを全く期待していないから
生まれる嬉しさなんだと思う
そこに少しでも、
「返してほしい」
が乗ると
黒く、重いものになるように思う
そのためには
相手に渡すものが
「無理をしているもの」
であってはならないのだと思う
無理をした分
その負担に見合った見返りを
求めてしまう
だからこそ
自身が豊かであること
(これは物質的ということではなく
心が豊かでないと、いくら物が増えても
欲しい欲しい病は無くならないと思う)
が大切で
その豊かさの
あふれた分を
いつでも気軽に
ポンッと
差し出せるよう
自身の豊かさを
増やし、
磨き、
余分を持っておきたいなと
そしてできれば
「ここでしか
私でしか手に入らない豊かさ」
をシェアできたら
きっと
自分にとっても
皆にとっても
世界にとっても
一番、嬉しいことなんじゃないかなと思う