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自分軸で生きていく

小学校一年生のころ「友達100人できるかな〜♪」と歌ったように、顔が広くて友達がたくさんいて人気者であることが重要だと思っていた10代。

就職・コロナ禍・結婚・出産を経て、
家族と親族と、ほんとうに気の合うごくごく少数の友人さえいれば充分だよなと考えるようになった。



10代はとにかく「イケてる」ように見られたくて、ずっと外を向いて他人軸で生きてきた。

幼いころに好きなだったものすら見失って、
今思うと、友人関係すら自分と気が合うかどうかよりも「イケてると思われるか」という外向きな感覚が強かったように思う。

あれ、こんなにデリカシーのないこと言っちゃう人だっけ?あれ、やっぱりずっと妬まれてたんだっけ?あれ、こんなに会話が出来なかったっけ?
と気づくたびに一つ一つショックを受けるのは、あの頃の外向きな人付き合いの代償なのだなと。変わったのはわたしなのだけど。



20代は意識が内へ内へと向かっていった。
コロナ禍のステイホームと、それを機に始まったフルリモート生活が大きかった。

人と会って話して騒いでワイワイすることよりも、ひとりで粛々と過ごしているほうが性に合っていることを思い知って。

本来好きだったはずの読書、ものづくり(工作・料理・手芸・絵描き)、バラエティや映画ドラマなど、幼少期を取り返すように没頭した。

本来の自分を見つめなおすと同時に、今までどれだけこの自分をおざなりにしてきたのだろうと、自分のことながら居た堪れなくなる。


自分を見つめなおすということは、自分のドロドロした醜い部分ともガチンコで対峙することでもあって。

ウワァアアっと叫びたくなるくらい嫌な部分があるということを認める。
これまでごまかしたり見て見ぬ振りをしてきたけど、まず認めることができたわたし偉いじゃーん!とまた一つ自分を好きになれたりする。



イケてると思われたかった10代、自分を見つめなおした20代。あと一年半でやってくる30代は、それらを清算するフェーズになるのかな。

例えば、「好きな自分」でいられない相手との付き合いを見直すとか、心が荒む場に行かないとか、らしくないことをやらないとか。
自分を好きでいられる環境を自分でつくっていく。

長年かけて蓄積した贅肉が落ちにくいのと同じで、そうやって時間をかけなければ修正できないのだろうなあと感じている。



映画『さかなのこ』を観たことをきっかけに原作『さかなクンの一魚一会』を読んだ。

お魚博士のさかなクンが幼少期からどのように魚に夢中になり続けてきたか描かれていて、さかなクン本人の探究心はもちろん、お母様によるサポートがただただすごい。

さかなくんのお母様が「ずっと魚を好きでいつづけてくれてよかった」と言ったことが印象に残った。
親として、子が好きなことを持ち続けてくれることがこの上なく嬉しいことなのだと今ならわかる。


いつの間にか手放してしまった好きなものを大人になってもう一度やってみると、やっぱりなんかこうしっくりきた。
何かひとつでも夢中でい続けられていたら、自分軸のまま貫けていたら、10代の自分の支えになってくれていたのかもなと思うことがある。さかなクンがかっこいい。

娘には、そんな“何か”を持ってくれたら嬉しいなと願っている。




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