【考えたこと】斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』
こんにちは、ゆのまると申します。
最近、「小説以外の本が読みたい!」という衝動に突き動かされまして、本屋さんの新書コーナーをぶらぶらしております。
というのも近日報じられるニュースは、これまであまり聞いたことがないような信じられないものが多く(日本の貧困化、「Z世代」テロetc)、「この国は一体どうしてしまったんだ」という疑問がよく浮かんでくるのです。お世辞にも社会に関心があるとは言えない私ですが、心理学・社会学・経済学と分野を問わず、その答えになりそうな本を読み漁る日が続いています。
おおむね今月に入ってから読んだのは、石井 光太『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』、太田 肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』、スーザン・フォワード、(訳)玉置 悟『毒になる親』など(敬称略)。他にもAmazonさんから届くのを待っている本もあります。
今回は、そうした「新書ブーム」の中で特にこれは、と思った一冊をご紹介したいと思います。
それがこちら、斎藤 環先生の『「自傷的自己愛」の精神分析』です。
ネットサーフィンをしていて見つけたこの本、惹かれたのは「自傷」というキーワードでした。
一般的に「自傷」といえば、リストカットやオーバードーズなどの自分で自身を傷つける行為が思い浮かぶかと思います。
私はそうした行為の経験はありませんが、その代わりに、言葉で自分自身を切り刻んでしまうことがなかなかやめられません。それは「あぁ、ミスしちゃった」などという自己嫌悪のレベルではなく、本当に些細なきっかけから自分の存在を全否定してしまう――そんなスイッチが入ってしまうことがあるのです。
私の場合はその一因にPMDD(月経前不快気分障害)もあり、低用量ピルを服用することでその影響ははるかに小さくなりました。それでも未だに排卵日付近になると、尋常ではない物事の受け取り方をしてしまい、止むことのない自責の念に駆られることがあります。
この「自傷癖」が緩和されれば。そんな思いで本書を手に取りました。
帯に「自分をディスり続ける人たち」とあるように、この本は極端な言葉で自分を傷つけてしまう人に対して、健全な「自己愛」を取り戻す方法を提案しています。
前書きから始まって本編は全四章構成、最後にそれまでの内容をまとめてくれているのもあり、非常にわかりやすい内容でした。昨年12月に出版されたので、例として取り上げられる事案も記憶に新しいものばかりです。
自身の自傷癖の由来を解明するために読み始めましたが、私にとって予想外の収穫だったのは、その起源として「いびつな親子関係」や「思春期のいじめ体験」が挙げられており、母と娘の関係性についても触れられていたことです。
最近ちょうど、勇気を出して『毒になる親』を読んだばかりの私。そちらでは作者の豊富なカウンセリング経験による事例紹介が多かったのに対し、本書では「女性の『自傷的自己愛』者には、母から否定され続けてきた人が少なくありません」(p162)といったことが端的に書かれていました。
いわく、女性とくに長女は思春期から一貫して「母親の負の感情のはけ口」になってきた人も多く、こうした「否定」と「愚痴」のセットは巧妙な「支配」の手口となっていく、と説明されています。
娘は否定され続けることで自尊感情や自己価値感情が低下し、加えて母親からの愚痴をぶつけられることで母親を「ケアしなければならない存在」として認識していきます。その刷り込みによって「ケアの対象」である母親に怒りをぶつけることはためらわれるし、物理的に距離を置いたとしても「ケアを放棄した」として罪悪感を覚えてしまう。そんな関係性が生まれてしまうというのです。
もちろん、すべての母娘がそうだというわけではありません。私だって、職場やnoteで生まれたつながりを通じて、微笑ましい母娘関係をたくさん目にしてきましたし、義母との交流は私が抱いていた「母親像」を良い意味で打ち破ってくれました。
それでも、私が母に対して打ち明けられない思いを抱いていることも、何故か「母と娘」という関係は一筋縄ではいかないこともまた事実。複雑な心境を抱えている私にとっては、いびつな親子関係が子の自尊感情を傷つけることもある、と斎藤先生が言い切ってくれたことには救いを感じました。
さて、本書の重要なキーワードである「自己愛」についても、私なりにまとめたいと思います。
「自己愛」と聞くとどうしても、語源となったナルキッソスの話を思い浮かべて「自分が大好きな人」と捉えがちです。事実、伝統的な精神医学の世界でもポジティブな文脈で語られることは少なかったんだとか。
それを斎藤先生は、かの有名な『ジョジョの奇妙な冒険』を引用しつつ、「自分自身でありたい欲望」だと定義しています。
私は「ジョジョ」を読んだことはありませんが、「だが断る」という有名すぎるセリフは知っています。これは、敵に襲われた岸辺露伴が、仗助をハメれば命は助けてやると唆されるシーンで生まれた名台詞だそう(動画で該当のシーンを見ましたが、ジョジョって色遣いが凄いんですね……)。
私自身、いまや社会に溢れかえっている「自己肯定感」よりも、「自己愛」の方がしっくりきます。いえ、というよりもむしろ、自分自身でありたいと願うことは「持っていて当たり前の感情」という認識すらあります。
それは、実家での経験から生まれた「意地」ともいえます。
やること成すこと否定され、自身の責任の範囲もわからなくなってしまうような実家での日々は私から自尊感情を奪いましたが、同時に「誰からも否定されて、そのうえ自分まで自分を否定したら、一体誰が私を認めてくれるんだ」という重要な問いを生み出しました。その後社会に出て、自分を楽しく・嬉しくさせることができた体験(ライブに行く、好きな人とお酒を飲む等)も、私は私の欲求を満たすことができるんだという自信につながりました。
私は自己評価は低いけれど、「自己愛」は強い人間です(それでも自分を傷つけてしまうことはあるのですが)。それをより健全に育てていくには、詰まるところ「どんな人間になりたいのか」という自分の美学のようなものが必要なのではないかと感じました。
本書では最後に、自傷性を緩和するための方法として、「オープンダイアローグ」、すなわち「対話」を推奨しています。否定や説得は禁物、相手の「尊厳」を徹底的に尊重することが求められます。
実は私は、この「オープンダイアローグ」と本質的にかなり近いことを大学時代に経験したことがあります。「哲学カフェ」と呼ばれたその場は、今よりも切実な痛みを抱えていた当時の私にとって、まさに目を開かせてくれる体験となりました。……が、この話はまたいずれ。
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長々と書いてきましたが、私がウダウダ言うのを聞いて少しでも興味が湧いた方は、ぜひお手に取ってほしいなと思います。内容もさることながら、所々に覗く先生のユーモアにもほっこりしてしまいました。
新書の良いところは、巻末に参考文献リストがついていることですね。気になった本がいくつかありますので、また本屋さんに行ってこようと思います。
自分を傷つけてしまう人や、つい他者からの「承認」を最優先にしてしまう人。今の世の中には、この本が必要な人がきっとたくさんいます。それらのうち一人でも多くの人が、自分の尊厳がいかに傷つけられてきたかについて「自覚」できますように。本書を読み終わって、真っ先に心に浮かんできたのはそんなことでした。おしまい。
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