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※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 ブッダは自我なんてなく無我なのだと言う。 キリストは肉体を超えた霊性があると言う。 明治になり、日本人は自我を植え付けられた。それまでの江戸時代の価値観(差別構造のほかに、お城、ちょんまげ、混浴、同性愛、女将さん、巻物、かみさま、妖怪、おむすび、小判、下駄、襟のない服、江戸幕府etc)を恥ずかしいと感じ、西洋的価値観を主軸に置こうとした。しかし、それは「江戸に西洋ぶっ込んだら明治」と言うような無茶なコラボだった。 そ
※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 1998年4月8日、「笑っていいとも!」を見ていた。 テレフォンショッキングで、タモリさんが「昨日の井上陽水からのご紹介…高田渡さんです」と言うと、その人は現れた。 タモリ「神様と言われてた人なんですよ。神様と言われてた人なんだから、俺は当然、年上だと思ってたんですよ。そしたら年下なんですよ、この人」 観覧客「え〜っ」 タモリ「見えないでしょ?」 観覧客「見えな〜い」 タモリ「50いってないんですよ!」 観覧
※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 破壊と再生、死と笑い、道化と権威、悪と善、コントと歌舞伎。 他殺と自殺のヤクザ、暴行と恫喝の刑事、生徒を殺し合わせる教員、絵画と妻しか頭にない芸術家、新興宗教の幹部、昭和の凶悪事件の犯人、そして菊次郎。 黄泉の海岸に、花火が上がる。 ビートたけし(北野武)は、戦後芸能史の象徴であり、そして実際に多くの芸人やタレントたちの面倒を見る大親分だ。 この国の芸能を寿ぎ、そして国際的な映画界の重要人物でもあるビートたけし。彼
12年くらい前の写真。 種田山頭火が好きで、真似して、じぶんの俳句を詠んでいた。 てづくり句集を、ニヒル牛や井の頭公園で売ったりしていた。 以下は、昔の私が詠んだ句です。 ゲル状の浮世こそ愛はとこしえに 宿なしの朝は早く 教会を飛び出して革命に挫折した とか何とか言わず (当時の最高傑作) 女(ひと)に逢えば我が身を呪い呪いけり 日が暮れた 小鳥の影をそっと踏む それくらいの傷は呑み込みなさい 山頭火の宛てのない旅をしながら詠まれた俳句とともに、山頭火の
地下鉄漫才で昭和の演芸界の花形だった、春日三球・照代師匠。 「地下鉄はどこから入れるんでしょうね?それを考えると、夜も眠れない」と言う三球さんに対して、妻の照代さんが「あなた、そんなこと考えてるんですか。おかしな人ですね」と応える。 三球さんは、「まず地下鉄をつくって、それを埋めといて、そのあとに駅をつくる」という推察をする。 「何をバカなことを言ってるんですか」と、常識の立場からツッコミを入れる照代さんの存在に、お客さんは安心して二人の不思議な会話に笑う。 しかし
「この地球上で死んだ奴なんかひとりもいないんだよ。消えてった奴はいるけど」 「人間は死なないんだよ。死ねないんだ」 2014年6月14日、当時通っていた半蔵門で2週に一度の女性ホルモン注射の用事が済むと(現在は投与していない)、千鳥ヶ淵の小さな公園でチキンカツ弁当とごぼうサラダを食べて、それから早稲田大学の會津八一記念博物館で開かれていた荒川修作さんの展示を見に、地下鉄に乗り込んだ。 そのあいだ、ずっと、インターネットで見つけた、荒川修作さんが2006年5月に東京藝術
写真は、「季刊ユジク」という雑誌の創刊号、高田渡のインタビュー。「高田渡けんきゅう会」を旗揚げし、いろんな雑誌や資料をあつめている。 「何にせよ歌っていればいい」「いろんな考えの人がいていい」と言う高田渡だが、やっぱりじぶんの考えや主張を言わずにはいられない。「季刊ぐるり」および「高田渡読本」という本で、豊田勇造さんが「彼はもっと自分のことを知ってほしかったんじゃないか」というようなことを語っている。「レコード・コレクターズ」という雑誌では、鈴木慶一さんがやはり「彼は自
がんばる。生きる。寂滅。偏在。ぺったんこ。死んだ目で戦闘態勢。ばかばかしいお笑いを一席。はじける虚無。誤魔化せないのに、ぐっすり眠れることが罪悪感。都市の空気、軋む命。アイデンティティを繰り返し捨てるポイ捨て音。自分を人間だと思っていたら、いつまでも間の人にはなれない。花になれ。石になれ。植物になれ。人だとしても言葉も火も知らなかったときを思い出せ。宇宙はご丁寧にもカラフルなブラックホールたたえている。何もかも忘れることで思い出せ。そうしてはじめて人間のふりができる。やっ
※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 昔は何事も単純明快だった。 落語、漫才、漫談、ボーイズ、奇術、腹話術、コミックバンド、講談、演歌、浪曲、そして喜劇と、芸能のジャンルは雑多に分類されても、ある程度はひとつの場や価値観に纏めることができた。 現代においても、たとえば新宿末廣亭では、噺家さんたちと六代目神田伯山とナイツとニュースペーパーとうめ吉さんが、お座布団に座ってお弁当たべてたら、続々と高座に現れる。それを文化というはず。 だが文化は文明を伴うから、寄