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光の速さで運動する

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「この地球上で死んだ奴なんかひとりもいないんだよ。消えてった奴はいるけど」

「人間は死なないんだよ。死ねないんだ」


2014年6月14日、当時通っていた半蔵門で2週に一度の女性ホルモン注射の用事が済むと(現在は投与していない)、千鳥ヶ淵の小さな公園でチキンカツ弁当とごぼうサラダを食べて、それから早稲田大学の會津八一記念博物館で開かれていた荒川修作さんの展示を見に、地下鉄に乗り込んだ。
そのあいだ、ずっと、インターネットで見つけた、荒川修作さんが2006年5月に東京藝術大学で講義したときの録音をイヤホンで聴いていた。


「ペッ! この唾の中にいっぱいあるだろう。何億っていう。あいつらがぐんぐん土やなんかつくりあげたんだぞ。何十億年かかって。

で、俺らは簡単に消えてくんだよ。消えてくのに『悲しい』とか『悲しくない』とかくだらないことばっかり言ってんだよ。どうして永遠に生きてやろうって思う奴いないんだよ。

いいか、僕が言ってるのは宗教とは違うんだぞ。何のために我々は労働するんだよ。労働の目的をこんなに間違えてしまった地球上のヒト・・人間なんて言ってないぞ、我々はおよそ、≪間の人≫になるにはまだ何十億年かかるよ。僕のような奴がガンガン出てこないといけないんだよ。

だけどなあ、ものすごいことが起こったんだよ、去年。三鷹にそれを体験できる場所ができたんだよ。人間になるための。≪間の人≫になるための。≪間の空≫になるための。≪間の時≫になるための体験ができる場所ができたのに、誰ひとりとして助けようとしないんだ、この国は!!」


こうして私は荒川修作さんの8年前の話を時空を超えて聴講していたのだが、この講義の終盤で荒川さんは言う。


「新しい暦をつくれ!年齢を聞かれると、そのときどきで年齢が変わるんだよ!」


だから、荒川さんにしたら、「ああ私は時空を超えて荒川修作さんの講義を聴いたなあ~」などというような表現や思考はもれなく感傷的で「しみったれている」し、何の意味もないのだ。
私はいつも、もっと違うところに行けるはずなのにと、もがいていた。
その新しい在り方こそが本来の自分であり、また世界が色彩豊かに感じられるのだと何となく信じていた。
荒川修作さんの三鷹天命反転住宅に行ったとき、荒川さんの話を聞いたとき、そのための明確なヒントを提示してもらった気がする。


「少しでも、朝起きたとき、寝る前、あのビッグバンの音を聞こうとしてみろよ。自分のハートの音と似てるんだよ」


荒川さんの言葉は、本人が、「俺は世界中から嫌われてるんだな」と言うように、一般的にはただ過激とか前衛的とか思われてしまいがちである。だけどこんなにも絶望しながら、しかしそれを凌駕するほどの希望を強く持ち、そして他者に絶え間ない期待をし続ける人は、そんなにいない。


「きょうここへ来たのは、君たちの若い有機体を使って、光の速さで運動してほしいから来たんだよ。ほんとは来たくなかったんだ・・」



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