1998年4月8日の高田渡
※こちらはホームページのブログのよりぬきです。
1998年4月8日、「笑っていいとも!」を見ていた。
テレフォンショッキングで、タモリさんが「昨日の井上陽水からのご紹介…高田渡さんです」と言うと、その人は現れた。
タモリ「神様と言われてた人なんですよ。神様と言われてた人なんだから、俺は当然、年上だと思ってたんですよ。そしたら年下なんですよ、この人」
観覧客「え〜っ」
タモリ「見えないでしょ?」
観覧客「見えな〜い」
タモリ「50いってないんですよ!」
観覧客「え〜っ!!!」
当時、高田渡は49歳だった。終戦の年に生まれたタモリさんの4歳年下である。
彼は、その重荷によって、すでに老人の顔をしていた。
「ニュースで原稿読んでる女の人いるでしょ。すごいギャラが高いらしいね。原稿読んでるだけだよ。原稿読んでるだけで、そんなギャラもらってるんだよ。…だったら、ボクも原稿読むよ?」
これは、自分で考えたことを言っていないのにカネをもらっているということをバカにしている高等でインタレスティングなジョークなのだが、生前、多くの人は彼を酔っ払いが気まぐれで冗談を言っているという認識で見ていた。
遠藤賢司や忌野清志郎がテレフォンショッキングに出たときは、ギターを抱えて歌ってみせて、みんなを楽しくさせるが、高田渡はそのようなことをしない。
高田渡は、ケレン味を極力避けていた。シンプルで気高い人であった。
柄本明さんは、彼が《本質的な欲望の持ち主》であることを見抜いていた。
翌年、私は、ある著名なイラストレーターの息子のマンションに居候する一人となっていた。そこで深夜、フジテレビのドキュメンタリー「放送禁止歌」に高田渡は再び現れた。
放送禁止曲や差別問題や政権批判にまつわる番組をテレビでやることは、とても危ういことだ。
岡林信康や泉谷しげるは出演を拒否したのに、高田渡はカメラを向ける森達也を心配しながら、初期の逆説の風刺ソング「自衛隊に入ろう」について語っていた。
「こんなことして大丈夫?始末書くらいで済んだらいいけど…」