アンチため息をつくと幸せが逃げる説
ため息をつくと幸せが逃げる。
昔からよく聞くこの言葉。
無意識にため息をついた時には人から言われ、ひとりの時だって、この言葉が頭を駆け巡り、勝手になんだか悪いことをしたような気持ちになってしまう。
私は昔からこの言葉に対して疑問を抱き続けている。
悩みがある時、嫌なことがあった時など、ため息をついてしまう、もしくはつきたい場面に吐いているのは、幸せというよりも心に溜まったモヤモヤではないのだろうか。
体内に蓄積されたモヤモヤが、ムクムクと膨らんで溢れてしまった結果、それがため息として吐き出されるのではなかろうか。そう思っている。
もちろん幸せも体内に蓄積されていくものだけれど、ため息をつくときに溜まっていて吐き出したいものは幸せではない。
それとも、ストレスに絡みついた埃みたいなモヤモヤを鼻から吸って、体内に微量に溜まった幸せを口から吐くという非効率な呼吸システムなのだろうか。
そんな残酷なことあります?
だってそれだとストレスは溜まっていくばかり、幸せは逃げていくばかりだ。
モヤモヤは無限に体内へと入り込み、体中を勢いよく駆け巡るのに対して、一度に取り込むことのできる幸せは限られているような気がする。
たとえば、針の先みたいな細く鋭い言葉を投げかけられたとする。これが皮膚にできる傷ならひっかき傷でいつのまにか治るのだろうけど、心にできる傷はそうはいかない。ナイフで刺されてぐりぐりされたあげく引っこ抜かれるみたいなほどの威力がある。
それに比べて、本当の幸せにはなかなか気づくことができないし、小さな幸せは本当に小さい。
私の場合、秋の夕暮れ、キンと張りつめた空気を感じて冬の訪れを感じる、のような季節の移ろい的幸せを感じるのは、その一瞬だけだ。
この0.5秒後には「あーさっむ」とつぶやいていることだろう。
おまけにお昼にあった嫌なことを思い出したりして、この思い出したこと自体を寒さのせいにしてみたりするのだろう。
ストレスは恐るべき速さで幸せをストレスの元へと変化させていく。そしてストレスの吸収率と濃度は幸せのそれと比べ物にならないくらいに高い。これが厄介。
というわけで、私はため息をつくことによりストレスをバンバン吐き出していく所存。ため息をつくと幸せが逃げるという説に、真っ向から立ち向かっていこうと思う。
欲を言えば、お酒を飲んだ時の「プハー」、湯船につかった時の「あ゛あ゛あ゛ぁぁー」という声にのせて、幸せにくるんだストレスを吐き出したい。この時に吐きだした幸せは、おそらくブーメランのように戻ってくるはず。
ため息をついて幸せが出そうになるならば、なんとかして弁を閉じ、季節の移り変わりくらいの時期にまた開こう。そして光の速さで閉じてみせるのだ。