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三浦しをん著『ゆびさきに魔法』|ネイリストの多様な側面を丁寧に描き、固定観念を鮮やかに塗りかえる。
お仕事小説が好きだ。
その仕事に就かなければ見られなかった景色や、遭遇できなかった出来事を小説を通して体験できる。本を手にとり表紙をめくれば、誰もが探偵にだって宇宙飛行士にだってなれてしまう。そんな、疑似体験のような感覚を味わえるお仕事小説は、さまざまな作家によって紡がれている。ネイリストを題材にした三浦しをん氏の『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)も、そのひとつだ。
物語の舞台は、昔懐かしい雰囲気が漂う「富士見商店街」。そこでネイルサロン「月と星」を営むネイリスト月島美佐(つきしま・みさ)は、とある騒ぎをきっかけに新米ネイリスト大沢星絵(おおさわ・ほしえ)を雇うことになる。人懐こく天真爛漫な性格の大沢に、最初は戸惑い気味の月島であったが、ともに働くうちに絆が芽ばえ、次第に自身の考え方や抱えていた悩みにも変化が表れる――。
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ネイリストと聞くと、"ゆびさきを彩る仕事"と認識している人が多いのではないだろうか。本書にも、下記のような美しい描写がいたる所に登場する。
仕上げに白やゴールドやシルバーのジェルを使い、さっと筆を振るって、雷光や薄靄や星々のきらめきを爪のうえに発生させる。そのつどこまめにライトで固め、トップジェルでいよいよ艶を増したネイルアートは、妙なる音楽のように幽玄な美を湛えていた。
だが実際は、引用した華やかな場面以外にもさまざまな仕事を行っており、本書はその部分にも光を当てている。例えば、「月と星」の隣には「あと一杯」という居酒屋が存在するのだが、そこの店主は足の親指が巻き爪になり痛みに悩んでいた。その痛みを和らげるために、月島が巻き爪矯正の施術を行う。
今回のような巻き爪矯正の施術をするには、カリキュラムの受講が必要だ。きちんと学び、理論と技術を習得しておいたおかげで、また一人、巻き爪の痛みから解放することができそうだ。
このようにネイリストは、爪を彩るだけでなく爪の健康を保つ手助けもしているのだ(※カリキュラムを受講したネイリストが行うのは、巻き爪“矯正”であって“治療”ではないため、そこは誤解しないでほしい)。月島たちは自身の技術やアイデアを駆使し、お客さまの心身の悩みを緩和していく。繊細なネイルアートの描写とともに、数々の悩みに向き合う彼女たちの様子にも注目しながら読み進めてほしい。
ちなみに作中には、居酒屋「あと一杯」の料理も登場する。ジャガイモと鮭のみのポテトサラダやお手製のさつま揚げ、ふわふわの衣に包まれたフリットなど、店主が作るごはんはどれも美味しそうなものばかりだ。想像するたびに空腹が増し、時には喉も鳴った。叶うことなら「月と星」で施術を受け、そのまま「あと一杯」に寄り店主の料理を堪能したい。時折、ゆびさきの煌めきも視界に入り、食事をより楽しいものにしてくれるだろう。
『ゆびさきに魔法』は、ネイリストの多様な側面を丁寧に描き、ネイルの必要性や素晴らしさを教えてくれた。同時に、以前よりは減ってはいるが、今も残る"ネイリストは、ゆびさきの美しさを追求するだけの仕事"のような固定観念も鮮やかに塗りかえてくれている。
読むと、ネイル愛好者はネイルをより好きに、興味はあるが一歩を踏み出せなかった人には、そっと背中を押してくれる一冊になるはずた。
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