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椿柄の銘仙と一冊の雑誌が繋ぐ、かつて少女であった彼女の記憶。ほしおさなえ 著『琴子は着物の夢を見る』

時折、幼い頃に母の実家で見た着物のことを思い出す。あの日、いつも通り玄関の引き戸を引くと、普段とは異なる光景が広がっていた。目に飛び込んできたのは、和室に並べられた鮮やかな着物の数々。近づいてよく見ると、それぞれの着物に、花や蝶、鳥など美しい模様が施されている。

「すごい……」、と思った。今であればあの時の気持ちを、もう少し繊細に表現できただろう。しかし、当時の私にとって「すごい」が、美しいものに対する精一杯の褒め言葉だった。

その記憶が、ほしおさなえ氏の『琴子は着物の夢を見る』(角川春樹事務所)を読み、蘇った。「あの着物たちには、どのような記憶が宿っているのだろう」という疑問とともに。

本書は、リユース着物の店「本庄の蔵」にて、着物の査定を行う琴子(ことこ)が、椿柄の銘仙(めいせん)と出合い記憶を辿る物語である。銘仙とは、大正から昭和に普及し女学生の普段着としても使われていた着物だ。着物に宿る記憶が視える琴子は、その銘仙に出張先で出合う。ほかの着物より傷みが目立ち不穏な空気を纏うそれは、依頼主の今は亡き祖母・たつ子が残したものであった──。

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本書の魅力としてまず伝えたいのが、単なるローファンタジーではないということだ。椿柄の銘仙の記憶を辿る物語だが、伝統産業や戦争の話題にも触れながら進んでゆく。この2つは、現代を生きる私たちが向き合わなければならないテーマでもある。だが、身近に感じられないという理由から、関心はあっても足を踏み入れづらいと思う人もいるだろう。

しかし基盤となる物語が、「物に宿る記憶が視える」というファンタジーな要素を含んでいるため、難しく考えたり変に構えたりせず読み進められるのではないだろうか。筆者も物語の世界にすんなり入り込み、各テーマについて深く考えることができた。とくに、戦時中から戦後の場面では描写や言葉のひとつひとつに重みを感じ、涙がこみ上げてきたり怒りを覚えたりと感情も大きく揺さぶられた。

そして、もうひとつ注目したいのが、文章の端々に感じられる強い想いと熱量である。これに関しては、作中に登場する少女雑誌『少女の友』の存在が大きい。『少女の友』は、実際に1908年に創刊され1955年まで続いた長寿雑誌である。当時の少女たちが夢中になり、多くの女性文化人も生み出している。

著者である ほしおさなえ氏は、戦前の号を実際に目にする機会があり参考にしたそうだ。雑誌から伝わる熱量を、そのまま物語に落とし込むことができるなんて、改めて「小説家」という言葉のプロのすごさを感じた。

また『少女の友』の場面では、「鳥」という詩が強く印象に残っている。

ひとり、朝の空を見てゐると
わたしはだんだん自由になる
心は白い鳥になり
ひとり孤独に飛んでいく
さびしくはない
孤独がやさしくわたしを包む
きつとこの先に自由がある
───飛べ

『琴子は着物の夢を見る』本文p.123-124引用

この詩を読んだ時、「飛べ」の部分に力強さを感じた。覚悟を決め震える足にグッと力を入れ飛び立とうとしている、そんな力強さを。そしてこの詩は、自らを奮い立たせるために書いたのではないだろうか。そう感じたのは、彼女が生きた時代と当時の女性ゆえの不自由さが関係している。

作中にはこの詩以外にも、当時の掲載内容や雑誌の特徴が丁寧に描かれており興味深く読み進めた。初読の「こんなにも充実した内容の雑誌が、この時代に存在したのか」という驚きと心が弾む感覚は、数日たった今でもはっきりと思い出せる。叶うことなら、実際に読んでみたい。

戦争や昭和の文芸誌にスポットを当て紹介した本書だが、そのほかにも銘仙の歴史や現代の伝統産業が抱える問題など、多様なテーマが交わりひとつの物語を形成している。それぞれのテーマに触れるたびに、さまざまな感情が生まれ考えるきっかけになるだろう。筆者は、丁寧に紡がれたこの物語がより多くの人へ届いてほしいと思う。




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