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尽くし過ぎてしまうあなたへ

とにかく心に関して悩んでいる方の一助となればと思っておりますので、目次に示した部分だけでも読んでいただけると良いきっかけになるかもしれません。


私は大学3年生の時に精神病と診断されました。

当時の複雑な環境や出来事が絡んでいることは確かではあるのですが、やはりそうした外部の環境や出来事をどうとらえるのかという私自身の認知のクセというか性格自体に何か原因があるのではないかと考えます。

このように今こうして振り返っても精神病を患った根本的な原因を自分の性格の問題と捉えてしまうこと自体が自分を追い詰める事になっているのだと実感しますし、変わっていないところだなと痛感します。

ですが、最近は非常に精神的な面で安定してきたように思えます。
これにも複雑な要因が絡んでいます。

まず、薬を変えました。
これまでは服用していたものは精神病の薬の中でも古典的というか歴史ある薬だったそうです。
この薬の効用としては、とにかく気分を上げる事に特化した薬でした。
なので、興奮する力が突き抜けても構わない。つまり、落ち込むよりかは気分が上がっている方がいいよねというようなお薬です。

ですが、変えたお薬は気分を上げる効果とともに上がり過ぎた状態を落とす効果も作用するお薬だそうです。つまり、活気があるうえでの安定感を図るお薬と言ったイメージです。精神病のお薬の中でも最新のものらしいです。

次に、読書の量を増やしたことです。
読書は一定の集中力がいると思うので、訓練として読む量を増やしました。
なかなか集中力が続かず、スマホをいじったりもするのですが、入り込む感覚が養われていると実感します。

その他には、このnoteを始めたことです。
私のnoteは主にこれまでの私の経緯や思想といった人によっては避けられるかもしれないような内容が多いのですが、このnoteを通じて自分の人生での経験や感じた事を自分なりに解釈して言語化するという作業を行ったことで改めて「自分が何のために生きているのか」「自分は何がしたいのか」といった整理ができました。つまり、自分なりのアイデンティティのようなものを見つけられたことが大きかったです。

また、友人に自分のやりたいことを言語化することを助けてもらったことも大きな影響です。
私はずっと「教育」からのアプローチが誰かにとって幸せになる根本的な解決策だと考えていました。しかし、その友人にあまりにも「教育」の観点が強すぎるから一度「教育」から離れてみて考えてみるといいかもしれないと伝えられ、紙に書き出して頭の中を整理しました。すると、意外と「教育」以外のアプローチの方がいいかもしれないと考えられるようになりました。
このように何か自分の中での偏った考え方とは異なる視点で指摘してくれる人と一度話してみると良いかもしれません。

最後に最近心が落ち着いていると感じる出来事だったのですが、親友と距離を置くようにしました。

だからといって、一切連絡を取らないといった意味ではなく、誤解を恐れずにいうと親友に冷たくあたる部分を出すようにしました。
私は「この人が喜んでくれるために何か尽くしたい」とかそういう感情を抱いてしまう事が多いです。
なので、自分のことを犠牲にしてまで、尽くそうとしてしまいます。
それが自分自身を大切にできていない状態であり、それが自分自身のメンタルを不安定にさせる要因の1つではないかと考えます。

先ほどX(旧Twitter)を見ているとまさに私が求めていた考え方に関してポストしていらっしゃる方を発見いたしました。

この方の言葉をお借りするならば、「執着しなくなった」ということです。
「尽くしたい」という感情が強い方は相手に対して与えすぎているんです。その与えている量をまずは減らすことを考えてみると良いかもしれません。

そして、見返りを求めることをやめましょう。確かに何か与えると見返りが欲しくなることも本当に分かります。私もそうです。しかし、いくら与えても同じ量だけ返ってこないことが経験的には当たり前ですし、最悪なケースはあなたの善意を悪いように利用したりする人がいるという場合です。

また、与えすぎているあなたにシビアな事をいうと、この与えている・尽くしている自分が自分にとって快感になっているかもしれません。
私の場合ですと、何かと教えたがる癖があるのですが、それもこの自分にとっての快感のためであると考えていると言われても否定する事ができません。

その他にもそのように「誰かのために!」という精神は実は自分の保身のためかもしれないという可能性もあります。
非常に悪い事なのですが、私が仕事を始めて困った時に先輩に聞いていいのか分からず聞くことをためらってしまい、ミスをしてしまったという経験がありました。
これは、昔からの習性で、自分が発言して手間をかけさせたり、傷ついたりさせてしまうことが怖いです。
しかし、それは自分にとってもデメリットが発生することですから失敗しないために何もしないという選択肢を取ってしまい発言しないということになってしまいます。

まとめ

最後はかなり厳しい事を言ってしまいましたが、まずは自分のために生きる事が大事だと思います。自分が幸せでないのに相手を幸せにすることはできません。似たようなことを役者の友人は言っておりまして、自分の心が動いていないのに人の心を動かす事はできないと。これは通ずる部分があるなと思っています。

まずは、人に与えていた量を減らす。それによって友達だった人が離れていくという恐怖もあります。ですが、それは友達ではないです。何も利害関係がない、何もしなくても側にいてくれる人こそ一番大事にしなければならない真の友人(略して真友?笑)なのかなと思います。

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