24歳、初夏。
レイヤーカットをお願いしたらインナーカラーがいい感じに映えて、失恋ソングばかり歌うガールズバンドの一員になれた気がした。誰も悪いわけではないけれど、美容室で最後にしてくれるヘアセットが絶対に気に入らないのはどうしてだろう。エレベーターの中で必死に前髪を整えて、重い足取りで家に帰った。冷蔵庫の中にあった賞味期限切れの物たちで作った、昼か夜か分からないごはんを食べてから少し胸が苦しい。高校時代の友達が遊びに来た。しばらく音信不通になっていたわたしを、いつまでも気にかけてくれた唯一の友達だった。ごまの、周りに何を言われても自分の意思をもって決断できるところが、私にはできなくて、羨ましくて、ずっとかっこいいんだよ、って言ってた。自己主張ができるようになったのは最近のことだと思っていたけれど、わたしはわたしのことをちゃんと分かっていなかったみたいだ。
いつでも店員さんに優しくできたらいいのに、いつでも美容師さんと仲良く話せたらいいのに、いつでも電車で席を代われたらいいのに。そう思いながら、外にいるわたしはずっと不機嫌だ。誰かといるときにだけ優しくできる、そんな醜いわたしのことを考えている。
帰宅途中に知らない人に抱きつかれて以来、ひとりの夜道は怖い。でも、大阪の街を歩いていると、突然に薄っぺらい繋がりが出来ることがあって、数十回に一度当たるその偶然を、どこかで期待しながら歩いているわたしもいる。話し声、足音、視線、すべてが気になってしまうこの街は、たまに息苦しい。
過去に住んでいた町とは全く違う、都会は星が見えません。実家にはもう1年半ほど帰っていません。この前、大阪のまちでとても綺麗な星を見ました。肉眼でここまできれいな星が見えるなんて。大好きな地元の町、道路に寝転がってみんなで見た流星群を思い出した。でも、全部全部、夢だった。そろそろ、帰らないといけないみたいです。
言葉が強くても現実は弱い。その逆もある。わたしにとって言葉は、武器ではなく親友です。いつだってわたしを守ってくれる。わたしも言葉を守る。どんなときにもわたしの傍にいて、絶対に放したくないもの、言葉を愛せなくなったらこの生は要らないです、わたしの人生は、言葉で出来ています。
こう言ってほしいんだろうな。見え見えな期待に応えることがとても苦手で、むしろその期待を無視してみたくなって、誰にもやさしくできません。その癖にわたしのことについては察してほしいなんて、都合がよすぎるよね。矛盾しているわたしのこと、ちゃんと知ってくれた恋人がいます。恋愛に駆け引きはいらない。そう初めて教えてもらった。
少女漫画を読みながら、制服を着ていたあの青春があっという間に過去になっていることを実感する。共感ではなく羨望。小学生の頃から変わらない感情に少し寂しさを感じた。過去に戻りたいという気持ちは一ミリもないけれど、こうして歳を重ねた先にもっと透明で純粋な未来が待っているのでしょうか。
人にどう見られるかよりも自分がどう思うか。この気持ちを強く持つようになった日からわたしは随分自由になったと感じます。バンドマン、アイドル、画家、作家にあこがれる理由は同じです。いつかわたしも自分の意思の強さを形にできるような人間になりたい。未来に見えた1つの希望。
お金が無くなってしまって、どうやって毎日の生活を乗り越えるか考え続けていた時期がありました。限界を超えたけれど、でも、なんだかんだで生きていて、わたしの生命力の強さを知りました。そして、こんなにもわたしはちゃんと生きていたいのだと実感した期間でもありました。生きているということが当たり前ではないこと、生かされているということが幸せであること。決して誰かにこの思いを押し付けることはありませんが、わたしにとってはいつまでも大切にしておくべきことだと思ったのです。
感情がぐちゃぐちゃになって思いっきり泣いてしまう、そんな24歳の初夏でした。大人になってからも「青春」があるなんて知らなかった。大人にしか知らない「恋愛」があるなんて知らなかった。大人になってから楽しめる「哲学」があるなんて知らなかった。過去のわたしは、「今」を残すことで必死だったけれど、それはいつだって「今」よりも楽しい日が二度と来ないと思っていたからだった。けれど、今はなんとなく、どんな明日が来ても楽しめる気がしていて、良くも悪くも楽しめなかった日のことも、そういうものとして美化できるようになった気がしている。
感情が薄くなったり、ダメージが少なくなったり、悲しいけれど間違いではなかった。わたし、いい大人になったね。思っていた24歳よりも、心も体も若いまま何にも縛られずに生きているし、大切にしたい人だけに囲まれているおかげで、あたたかい感情を常に持った人間でいられている。
そっか、わたしは今のわたしが大好きなんだね。