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プロダクトを蔑ろにしたブランディングは悪なのか?

ここ最近、フレグランスマーケットに対して意見を求められることが複数あった。

その中で、必ずといっていいほどいくつかの有名になったブランドに対しての見解が求められた。それらのブランドのことについて尋ねられた背景は、それだけ成功したブランドであること以上に、そのブランドの成功要因の中にどこかしら“疑問”を感じる部分があってのことだと思料する。つまり、一般的な解釈として、成功したブランドのプロダクトはクオリティが高いと思われるが、どこかそうなっていない部分があるのではないか、という疑義がある、ということだ。

もちろんのことだが、ブランドの知名度や評価と、そのプロダクトのクオリティは必ずしも比例関係にあるわけではない。それは「プロダクトのクオリティはブランディングに寄与しうるが、ブランディングはプロダクトのクオリティに一切寄与し得ない」という性質からだろう。「プロダクトのクオリティが高い」ということはブランド力の向上に繋がりうるが、その効果は限定的だし効果が出るまでに長い時間が必要だ。一方でブランディングは当然ながらブランド力の向上には大きく貢献するが、それとプロダクトのクオリティは全く関係がない。

顧客は必ずしもプロダクトのクオリティに対して感度が高いわけではないので、ブランディングによってブランド力を上げる方が販売にはつながる。さらに昨今のSNSの発達等により「見せ方」が多様化したことで、ブランディングを強化する“インセンティブ”はより大きくなり、逆にプロダクトのクオリティを上げる“インセンティブ”は小さくなっているはずだ。

そのようにブランディングが先行することでプロダクトのクオリティが蔑ろにされることは、作り手としては看過できない。だから私は、このnoteでもそれらに対して批判的な意見をしばしば表出してきたし、ここ最近でブランディングが先行していると思われるブランドに関する意見を求められた際も、否定的な回答を繰り返していた。


それはそれとして、ブランディング先行型のブランドに対して、作り手という立場を離れ少し引いた視点から見ると、その存在意義も見えてくる。先述の通り、顧客は必ずしもプロダクトのクオリティに対して高い解像度を持っておらず、商品選択においてブランド力がその評価基準になることが多々ある。それによって選択された商品で、結果的に喜びを覚えるのであれば、それは悪いことではあるまい。なぜならばブランドが提供しなければならないもののひとつに、「顧客の満足」があるからだ。それは当然ながら、プロダクトのクオリティだけによるものではない。Chanel、Louis Vuitton、Hermès等、そのロゴだけでテンションを上げてくれるブランドたちが果たしている社会的な価値は計り知れない。

もちろん、ブランドとしてクオリティの高い商品を提供することも重要ではあろうが、最終的な顧客満足につながらなければ意味がない。本来ブランドは、プロダクトのクオリティもブランディングも蔑ろにするべきではないのだろうが、昨今のブランディングの“力学”的には、プロダクトのクオリティを見捨てることに合理性を見出せてしまうのだろう。


先にも述べた通り、私は作り手としてプロダクトのクオリティを無視したブランドに対して批判的になっているが、そういったブランドの存在意義についてもよく理解しているつもりだ。ブランディングが社会に提供する価値は、仮にプロダクトのクオリティが伴っていなくとも大きいゆえに、それそのものは否定されるものではないと思料する。

それはそうなのだが、昨今のブランディング先行の傾向が強くなりつつあることに対しては、一抹の不安と淋しさを覚える。「いいモノが売れない」といわれる世の中はきっとよくはないだろう。そんな状況に、私は声を上げ続けていきたい、と考えている。


そして、もっと「いいモノ」にフォーカスがあたる世の中になるように、çanomaはきちんとしたモノづくりに取り組みたい、という思いを、ここ最近そんな話をしながら、新たにした次第なのです。


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