不安が攻撃性をつくる、安心が平和をつくる。
もう先月のことだが、友人の中和田さんが主催するビーチクリーンへ参加してきました。
僕は常々、自分にできる平和活動は自分の身の回りを平和にすることだと思っているけれど、そんなことは軽々と飛び越えてどこかの国では戦争や紛争が始まったりする。そして僕の知らないところで辛い出来事はたくさん起こっている。
そんなことを考えていると心が無力感でいっぱいになってしまうので、今回は少しでも世界へつながることを…という思いで参加してきました。
話で聞いていた以上のゴミの数、拾っても拾っても切りが無い。ひとまず持って行ったゴミ袋がいっぱいになるまでゴミを拾った。
印象的だったのは、マイクロプラスチックになる前であろうプラスチックの細かい破片。
これがさらに細かくなって目にも見えないマイクロプラスチックになるんだな…
これでは海の生き物たちがエサと間違ったり、それ以前に勝手に口へ入ってしまってもおかしくない。手では拾いにくいから今度は細かいザルを持って行こう。
世界中の海のゴミからしたら無くなったのか分からない量かもしれないが、きっと何匹かの生き物の命は救えたのではないだろうか。
海風と波の音にも癒やされ、終わった後の心は晴れ晴れとしていた。一緒にビーチクリーンを行った仲間とのひとときも、僕の心をほっと優しく包んでくれた。
風が強かったせいか、帰り道の夕焼けは一段と濃く輝いて、今日のご褒美のようだと思った。
僕は以前の投稿で「家族の機能とは、安心である」という旨の文章を書いた。
一番は、きっと自分自身が安心したいんだろう。
だからこそ、僕に関わってくれる身の回りにいる人たちには、安心していてもらいたいのだ。
不安が攻撃性をつくる。安心していれば、物事を悪いようにとらえて反発したり、他人を攻撃したいなんて思わないから。
そのために僕は安心して過ごせる家を作りたい・気持ちの良い家へリフォームしたいと思っているし、首に巻いてほっと出来るような、色やデザインで心が躍るようなストールを目指して織っているし、会場のみんなと一体感を感じられるようなライブやワークショップを目指して太鼓を叩いている。
全部そこにつながっているんだ。やっていることは支離滅裂かもしれないが、僕がやりたいのは、つくりたいのは「安心」なのです。
世界中の人々が、安心して過ごせる世の中になりますように。
そのために出来ることは目の前の仕事を一生懸命やることだけなのだけど、それがきっと誰かを幸せにして、その幸せが平和へ繋がっていくと信じたい。
果てしないが、一歩ずつ。海岸のゴミをひとつひとつ拾っていくように。