人の心は多面体だと思っている。 寂しいも、悲しいも、嬉しいも、楽しいも、人の心にはきっとそのどれもがいびつにカットされた宝石の表面のようにならんでいて、タイミングによってその見え方を変えていく。 でも言葉で言い表せるのは、毎回その中のたった1つの気持ちだけ。 他の面にある裏腹な気持ちは表現されないままだ。 そしてそれが、時には正反対のことさえある。 大好きの裏側には大嫌いがあったり、その逆もあったりする。 「あの時はこう言っていたのに」ということがあっても、きっとそれは心とい
ちょっとした、なんでもない出来事が、まるで何かの啓示のように響いて心から離れないことがある。 僕はひたち海浜公園にいた。地元の写真館さんの仕事で、ある幼稚園の親子遠足の撮影に同行していた。 曇り空の6月。日差しがない分いくらか涼しいが、ムシムシとしたその空気は夏がもうすぐそこまで来ていることを伝えているようだった。 午前10時に到着し、子どもたちを追いかけながら撮り回って、予備のカメラとレンズを入れたリュックを背負う背中はじっとりと汗ばんでいる。 どこの家族も昼食をとる時間
自分が好きで選んだことをやっていても 忙しくなったり疲れたりすると 感情は狭くなり、今まで満ち足りていたことが足りないかのように勘違いし、そればかりに目が行くようになる そしてその空白と勘違いしてる部分を、他人の優しさで埋めようとする あなたがこうしてくれたら幸せ してくれなかったら不幸せ それって、自分が一番嫌いな人間と同じことをやっていないか よくよく振り返ること 自分の幸せを他人の手に渡さないこと どんなに近い身内でも、暴言を吐かれるような相手にまで優しくする義理は無い
他人の人生にとやかく口を出したがる人間が多過ぎる… 俺は男だし、そういう雰囲気になったらさっさと逃げるから言われる回数は少ない方だと思うけど、女性は結婚や子どもの事とかも含めあれこれ何度も言われてるんだろうな…(今回も自分ではなく妻が言われたのだが)。 あなたの言う通りにして上手くいかなかったら補償してくれるの?お金出してくれるの? 口を出すなら金を出せ。金を出さないなら口を出すな。ま、お金もらっても言うこと聞かないけどね。 俺のやっている事は、お金のために嫌なことを我慢
風呂上がりに、子どもとキッチンのカウンターで乾杯して水を飲む。 なんでもない日課なんだけど、大好きな時間。
この間まで横で手を繋いでいた子ども達だが、最近は後ろ姿の写真が多くなってきた。これが子どもの成長ということなのかもしれない。 子育ての目的はただひとつ、「子どもの自立」それだけだ。 親が子どもを使って自己実現しようとしたり、親の利益のために飼い殺しするようなものではない。 子どもの自立のため、それは子どもが社会の中で生きていくためだ。 どれだけ逃げても、社会の中で生きていくことからだけは逃れられない。それはただの現実逃避なのだ。 2年前に独立して個人で活動していても、むし
ボランティアでやっているわけではないから、仕事としてやる以上やることが増えたり拘束時間が増えれば金額は増える、逆に金額はこれでと言われればそれに合わせた時間と内容でやる。 気持ちの面で全力でやることには何も変わりない。 これって普通のことだと思うんだけど、それに対して「金額によってそうやって手を抜くんですね!」と言われても…ねえ。 レストランで1500円の単品ランチを1000円に値切った上に、「ドリンクとデザートも付けて!」って誰もやらないでしょう。 でも不思議と音楽ってこ
「老婆心ながら」「あなたのためを思って」という話で、まともな話だったためしがない。
患者だろうが、障害者だろうが健常者だろうが、お年寄りだろうが子どもだろうが。 いい人はいい人だし、悪い人は悪い人。 好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。 ただそれだけ。 寄り添うとか、あなたのためにとか言われても、結局それって相手を自分より下に見てるんじゃないのかなって思う。 僕はただ対等に、一緒に楽しみたいだけ。 ただ出会うだけでもけっこうな確率なのに、一緒に太鼓を叩いたり仕事をしたり、そんなことってめったにないことでしょう。 その貴重な喜びを、ただ分かち合いたいだけなんです
いいものをつくるには、いい音楽を演奏するには、繊細さが必要だ。 同時にそれを守るための、押し殺さずに済むための少しの強さも必要なんだと思う。 それは嫌な場所から逃げる勇気だったり、孤独を楽しむ心持ちだったり、尊敬のない依頼にNOを伝えることや、自分のやりたいことを伝える意志だったりする。
先日はかすみがうら市内の小学校にて、卒業式の撮影の仕事でした。 子ども達の通う保育園で毎年卒園式の撮影をさせてもらっているんですが、印刷を依頼している地元の写真館の方が僕の撮った写真を気に入ってくれて、今日の撮影を誘ってくれました。 どこからどう繋がるか分かりませんね。ありがたいです。 アフリカ太鼓、手織り、リフォーム大工、そして写真… もはや本当に何をやっている人か分からなくなってきましたが、こんな生き方をしてる人がいてもいいんじゃないかなと思ってます。 世間の大きな本
もう先月のことだが、友人の中和田さんが主催するビーチクリーンへ参加してきました。 僕は常々、自分にできる平和活動は自分の身の回りを平和にすることだと思っているけれど、そんなことは軽々と飛び越えてどこかの国では戦争や紛争が始まったりする。そして僕の知らないところで辛い出来事はたくさん起こっている。 そんなことを考えていると心が無力感でいっぱいになってしまうので、今回は少しでも世界へつながることを…という思いで参加してきました。 話で聞いていた以上のゴミの数、拾っても拾っても切
個展4日目が終わりました。ちょうど会期の半分。 まだ終わってないけど、今回個展をやって本当に良かったと思っている。 自分の手で作ったものでみんなが喜んでくれることが、こんなにも自分の喜びに繋がるのだということを毎日実感できたから。 大先輩の靴デザイナーの友人が「展示会はみんなに褒めてもらえる、ボーナスタイムだからね」と言っていて、まさにその通りだなと思う。 「きれいだね」「素敵だね」「え!これも作ったの!?」見てくれたみなさんの反応が、嬉しそうにどれにしようか悩む姿が、「これ
手織と暮らし展「ぼくをつくっているもの」絶賛開催中です。 会期は11/27(土)まで。 ブランドYUTA RIVERSのホームページもできました。 https://yutarivers.com/ 友人のフォトグラファー atakamaki photography https://151truevine.wixsite.com/less-is-more が来場し写真を撮ってくれたので、会場の雰囲気が分かるようなものを載せていきますね。 僕が着ているのは自分で織ったラム
まさか自分が屋根の上で丸ノコをぶん回す日が来るとは、人生って面白いなあとしみじみ感じています。 8月末で父の会社を退職しました。父のドロドロなプライベートに巻き込まれ、それが仕事にも影響が出てきて苦しみもがいていたここ数年…やっと踏ん切りがつきました。 ただ実力的にも時代のタイミング的にも、今やっている音楽だけで生計を立てるのは厳しい、手織も仕事にしたいがまだ始めたばかり…どうしたものかと思ったときに、妻の勧めで自宅をリフォームしてくれた大工さんについて修行を始めました。