🍥燻製ガトーショコラ🍥
私は、太りやすい。
正しく言うと、中年になってから覿面に太りやすくなった。
スタローンの映画をおかずにメシを食い、イーストウッドの眉間のシワで煎じた茶を飲んで育った私だから、心身ともにミチっと締まった人生を送り、そしてミチっと幕を閉じる予定だった。
代謝能力が衰えるだなんて露ほども思わず、「我、肥えぬ」とうそぶいていたのに、三十路も半ばあたりから何だか服が窮屈になりはじめ、あらためて己の身体を鏡で観ると、腹まわりにボテっと浮き輪ならぬ肉輪がはまっていた。
「何かの間違いだ」と、無理やり履いたお気に入りのチノパンは、しゃがんだ刹那に尻が裂けて左右に生き別れた。
悪魔が、中年という称号と引き換えに代謝能力を奪っていったとしか思えない状況に、私は肉輪をつまんで途方に暮れのだった。
霞を食う、というたとえがあるが、私の場合は額面通り「霞でカロリーを摂取」できるのではなかろうか、などと思わざるを得ないほど、放っておけばムチムチもっちりとした肉肌着を纏っていく。
横浜に移った二十歳のころは60kgを回るくらいだったのが、四十を目前に80kgを超えた。
このままいけば、八十の傘寿を迎えたころには160kgを優に超え、「三途川部屋」から「黄泉ノ国」といった四股名で、角界に華々しくも枯れた傘寿特待の幕下付け出しデビューを果たすのかもしれなかった。
年齢的にいって160kgを纏って土俵に立てるだけで奇跡に近いのに、若く猛々しい力士との取組では──残念ながら絶命は免れそうにない。
投げられても、押し出されても、寄り切られても、決まり手は三途川だけに黄泉ノ国への「送り出し」である。もしかすると、のちに蘇生がうまくいって「送り出し」あらため「呼び戻し」になったら少しだけほっこりするかもしれなかった。
土俵昇天はさておき、私は数年前に一念発起し、ダイエットをはじめた。
間食をやめ、夜の炭水化物を断ち、1日30分〜1時間程度のウォーキングを週5〜6日。それを1年間続け、
80kg → 65kg
の減量に成功したのである。
奇しくもそのころ、燻製や料理、菓子作りに目醒めた私は、作っては食べ、食べては太り、太っては歩き、歩いては食べ、といった無限回廊に迷い込み、そして、現在に至る。
ウォーキングというのは不思議なもので、2〜30分を過ぎると妙な多幸感に包まれて、「いま漬け込んでいるバラ肉の名前はクロエグレースモレッツちゃんにしようかしらウフフ」などといった恍惚状態となって、気がつくと膝が笑うほどに歩き続けていたりするものだ。
膝が笑うほどに運動をすれば、当然ながら相当量のカロリーを消費する。
失ったカロリーの──ぽっかりと空いた穴を眺めていると、
汝、ガトーショコラで満たしたまえ
という天啓が降りてきた。
思い立ったら吉カカオだ。さっそく作っていこう──と思ったのだが、呪われた燻製家の血が燻せ燻せと騒がしいので、たいっへん面倒ではあるが、燻製から始めていこう。
チョコレートを冷燻にかけると、同じメーカーのものにもかかわらず、板チョコの4枚中1枚のみが融けている。
単なる個体差なのか、融けたチョコだけ「根性なし」だったのか、あるいは他のものを熱から護って果てるという、伝説の「自己犠牲カカオ」だったのかは杳として知れない。融けたチョコの原因妄想究明だけで2〜3000文字は書けそうだが、菓子作りとは何ら無関係なのでやめておこう。
融けたチョコもろとも刻んでいく。ゴールデンカムイを読んだばかりの私は、カカオと煙の神に感謝を込めながら「チタタプチタタプ」と言いながら叩き刻んだことは家族には秘密だ。
温めた生クリームを注ぎ、やさしくチョコレートを混ぜ溶かしていく。チョコレートは陶然とした様子でマーブル状にひろがって、やがて生クリームと同化した。
溶き卵を混ぜ合わせ、ふるった薄力粉を混ぜ合わせ、うだる夏の残滓も混ぜ合わせ、気持ちの悪い表現だな、という感慨すらも混ぜ合わせて、パウンドケーキ型に流し込んでオーブンに委ねる。
以前の記事でも述べたが、釣り師が記念に魚拓を取るように、燻製家も煙拓を取るものだ。
20数分の焼き上がりまで、チョコレートの煙拓を眺めたり匂いを嗅いだり「私は一体──何をしているのだろうか」と正気に戻ったりを楽しんだ。
焼き上がったケーキからは──濃厚なカカオの香りと、ほんのりとしたスモークが漂っている。
当たり前だ。
これでラベンダーの香りでもしようものなら、鼻腔いっぱいにラベンダーの花弁が詰まっている可能性がある。いますぐ耳鼻咽喉科へ行け。そして医師にこう訴えるんだ。
「先生っ!チョコレートから──ラベンダーの匂いがするんですうっ!」
──と。
鼻花弁はさて置いて、ねっちりとした感触に、フォークが嬉しそうだ。フォークからショコラを奪うように唇で引きはがす。
──おお....これはいい──
濃厚なチョコレートが口のなかで溶け、やがて棚びくように鼻から燻香が抜けてゆく。
特筆すべきはその舌ざわりのなめなかさだ。なめらかさがなめられずにはいられずに、あくまでもなめらかで、なめらかさの中にも仄かななめらかさがあった。
ややあってからなめらかさが訪れ、口のなかでなめらかさがきわめてなめらかで、なめりとなめらかが過ぎるきらいもあったが、あと引くなめらかさが、なかんずくなめらかななめらかみをなめらいでいたでやんす。
──おっと....脳のシワまで、ガトーショコラの滑らかさに擬態してしまったようだ──
心ゆくまでガトーショコラを楽しみ、ウォーキングでぽっかりと空いた穴は、たちまちカロリーで満たされ、そして溢れていった。
とめどなく溢れてゆくカロリーに慌てた私は、靴ひもをぎゅっと締めて、ふたたび玄関を飛び出したのだった。