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2025年に恐怖の大王が降ってくる。ごはんの上に。
時が経つのは早いもので、今春には娘が小学生になる。
ついこの前まで「ほーら、あんよあんよ〜」などと手を取ってよちよち歩きをしていたのに、今では酩酊した私のあんよが千鳥あんよだ。酒でよちよち歩きの中年男性など、目も当てられない。
メキメキと成長し、見事におませで生意気になったが、やはり我が子は可愛いものだ。
長期の出張から戻って、「父ちゃん〜」と号泣しながらしがみついてくる娘を見ていると、
──たとえ乱心した室伏広治がハンマーを振り回して襲いかかってきても、父ちゃん、お前をムロフシには渡さないからな、ゼッタイ!
などと、心のなかで決意表明をしたものの、後々ムロフシの戦闘力に恐れをなして、狩猟免許の取得を検討したりするものだ。
最強生物はさておいて、娘の成長を眺めていると、父の目は細くなって口元は緩みっぱなしだ。ともすれば、緩んだ口元から垂れ地面に墜ちる涎を見たニュートンが、万有引力を着想するのかもしれなかった。
子供の成長を喜び、そして精神をぐでんぐでんに弛緩させるのも良いが、この物騒な世の中、いつ暴漢が襲ってくるかも分からない。
このは、父として、夫として、世帯主として、緩んだ精神を締めなおす必要がある。
ここは、とびっきり辣くて、ビリっビリに麻れる麻婆豆腐を食べて、緩んだ口元を締め、細めた目を瞠らき、背筋をビンっビンに伸ばしていこう。ハァハァ。
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まず、四川麻婆に不可欠な香りと麻れ担当の花椒を燻製にしていく。「スモーキーに痺れる」という、あわよくば人類未踏の領域に足を踏み入れるのが狙いだ。
長年、麻婆豆腐を作ってきたが、カレーと同じく、常に新しい材料や方法を試せるのがこの料理の懐の深さであり、面白さでもある。
花椒は、そもそもが鮮烈な香りの香辛料なので、煙が埋没してしまわぬようサクラにピートを加えた強い燻材を使った。
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続いて、ひき肉を冷燻にかける。火を通さない冷燻がのちの料理には使いやすいし、香りも埋没しにくい。
材料を燻製にして煙を料理の一味にする。なかなかに面倒ではあるが、燻製家にとっては面倒も美味しさの要素なのだ。
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《材料》
・ひき肉(合挽き)
・豆腐
・にんにく、しょうが、ネギ(たくさん)
・ニラ(あれば葉にんにく)
・豆板醤
・郫県豆板醤
・甜麺醤
・豆豉
・納豆
・老抽王(たまり醤油)
・紹興酒
・辣油
・花椒
いつも味を見ながら加えるので分量の記入は避けたが、材料は概ね上記の通りだ。たとえば、甜麺醤の代わりに赤味噌に。紹興酒を清酒に。老抽王を濃口醤油に、といった具合に試行錯誤を重ねて自分だけの麻婆豆腐を探すのも良いだろう。
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さて、まずはひき肉を弱〜中火にかけ、脂が湧いてきたところに刻んだにんにく、しょうが、ネギを加え、しっかりと煮出して香りを出す。ネギは半量残しておく。
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我が家の麻婆豆腐は、薬味──特に、にんにくと生姜ををどっさり加えるので、食べた後はなるべく人と会う予定を設けないようにしている。
激辛で自らがダメージを受けるのみならず、他人にもにんにく臭を撒き散らし不快にさせるおそれがある。麻婆豆腐とは、なんという恐ろしい食べ物なのだろうか。
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ひき肉がパラパラになるまでしっかりと火を通し、豆板醤、郫県豆板醤を加え馴染ませる。長期熟成された郫県豆板醤を加えることでコクがグッと増して、「それっぽい」味にググッと近づく。
豆板醤類の香りが立ったら、老抽王と甜麺醤、そして刻んだ豆豉を加え混ぜる。豆豉を加えるときには、文章も倒置させるのが作法だ。物書きとしての。
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続いて、紹興酒、叩いた納豆、鶏ガラスープを加える。ガラスープを家庭で取るのも大変なので、顆粒やウェイパーで充分だ。より麻婆豆腐に淫したいという奇特な麻辣倒錯者は、麻婆休暇を取得し、血走った眼で牛骨スープや干した貝などから出汁を取って、更なる深みに沈んでいこう。
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続いて、絹ごし豆腐を茹でていく。茹でることで、余分な水分が抜けて豆腐が締まり「気合いが入った絹ごし」の状態になる。豆腐が締まることで崩れにくくなるし、味も入りやすい状態になる。木綿豆腐でも構わないが、地獄のような麻婆豆腐のなかで、ふるふるの食感だけが唯一の癒しだ。頼むから絹ごさせてくれ。
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しっかりと湯切りをした豆腐を加え、
「煮崩れたら…わかっているな──?」
などと、含みを持たせつつ、味も含ませていく。
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しっかりと豆腐に味が入ったら、粉末にした燻製花椒をどっさりと投入する。
基本的に仕上げに振りかける花椒だが、仕上げ分とは別に、より毒性を高めるためスープ全体に行き渡らせる。
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続いて、残しておいた刻みネギと、ニラを投入する。
ニラの花言葉は「多幸」と言うくらいなので、少量ではとても幸せは訪れない。どっさりバサバサと加えて、しっかり幸せを掴んでおこう。
ニラを加えてすぐに水溶き片栗粉を回しかけ、豆腐を崩さないように優しく馴染ませていく。
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やや強めにトロミをつけたら、辣油をたっぷりと鍋肌に回しかけ、強火でしっかりと焼きつけていく。最後に麻婆豆腐を焼くことで、香ばしい仕上がりになるのだ。
ちなみに、今回の仕上げ辣油は自作の激辛ちゃんだ。自家製辣油は、自分好みの辛さや香りにできるし、材料選びや製作工程も楽しい。そして、何より色々と活躍してくれるのでオススメだ。
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さて、ギンギンに焼いた器に麻婆豆腐を注ぐと、大量の湯気がたちのぼって、瘴気をまとったそれは──モクモクと悪魔のかたちに姿を変えても不思議ではないほどだった。
ゲホゴホと咽せながら、ぐつぐつと煮えたぎるそれに擂りたての燻製花椒をたっぷりと振りかけ、硬めに炊いた米によそう。たちまち劇物が無垢な米たちを蹂躙していく。1999年に空から恐怖の大王は降って来なかったが、それから26年後──米の上に降り注ぐなんて、かのノストラダムスも草葉の陰で腰を抜かしていることだろう。
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恐怖の大王オンザライスをレンゲですくって、ハフハフとかぶりつく。
──ぶへッ...
──ぼへぼへッッ!!
辛辣!!
──なんだこれは...
──麻辣無双じゃないか...
この底冷えする二月に、暖房を止め、Tシャツ一枚で手拭いを握りしめ、汗みずくになって麻婆豆腐飯をかき込む快感ときたら、ちょっと他には見当たらない。
黙々と手拭いを濡らしながらスモーキーな麻辣に浸り、最後のひと口をビールで流すが、ジンジンビリビリと焼け石に水、といった様相で、ホップの香りもヘチマも感じられない。あまつさえ、オラオラと食道を通った恐怖の大王が私の可愛いストマックちゃんをシクシクと泣かせ始めた。
ふと娘を見やると、彼女は無邪気な様子でタブレットのゲームに興じている。
──この娘は、いつか私の麻婆豆腐を食べる日が来るのだろうか───
──いや、こんな劇物を嬉々として食べるような大人には、どうか、ならないでくれよ──
などと、私はふたたび目を細めるのだった。