はじめまして。 ヨコタと申します。 自分は普段は本に関わる仕事をしている会社員ですが、 読書の他、音楽(主にPunk、Post-Punk、Powerpopなど)を聴いたり、 楽器(主にギター、ドラム)を演奏したり、 詩を書いたり、 芸術に触れたり、 子育てをしたり、 そして 「受容」と「排斥」について考えたりしています。 「受容」と「排斥」ついて考えるとは、 端的に言ってしまえば どうすれば人は相手を受容することができるのか、 どうすれば人が相手を排斥することを止められ
「常に仕事をしなければならない」 とは、ロダンの言葉とされる。日々仕事に疲れている人にとっては堪らない話だと思うし、そりゃあロダンのような立派な彫刻家なら定めし仕事のしがいもあるでしょう、と思う向きもあるかも知れない。 だが果たしてロダンがこねこね彫刻をこしらえている時間だけが仕事なのだろうか。彫刻をつくる前には着想を得る段階があるだろう。その着想を得るためには何かの芸術に接したり、あるいはお散歩したり、人と話して何かを感じることもあるかも知れない。それは仕事のためであ
テントの中で目を覚ました 人の気配がしているのに しんと静かで わたしは起き上がって周りを見た すぐ隣にも人はいたが 声を掛けることができない テントの中は思っていたよりも広くて そこには大勢の人々がいた そして外から、誰かから呼ばれるたびに ひとりまたひとりと外へ出ていく 誰も、一言も話さずに とうとうわたし一人だけになって 最後に呼ばれる声が聞こえた 外へ出るとみんな歩きはじめていた これからどこかへ向かうらしい どこかは分からないけれど みん
わたしは線路の上を歩いていた どこへ行こうとしていたのかはわからない ただひとりでどこまでも 行けるところまで行こうという気持ちだった 線路の周りには霧が濃く立ち込めていて 少し先の景色も見ることが出来ない しかし怖くはなかった わたしは怖さというものは 見えないことの恐怖であると同時に 見ようとしない恐怖であることを知っていた 全く見ることができない程の霧であったとしても わたしが目を凝らして見ようと決心し それを実行に移すことで 得体の知れない見えないもの
わたしは独楽だ スローモーションで くるくる回る独楽だ だれが回してくれたか知らないが ともかくこうして動いている もう回転のピークは過ぎて あとは緩やかに止まるのを待つだけ 少し傾いて くらくらと揺れていて いつかは脚元から滑って転ぶだろう 独楽は自分では回れないし その突端は 回るたびにみるみる擦り減っていく だれかがもう一度回してくれたらいいのに 上から大きな手が降りてきて わたしを摘まんで またあの楽しい時間を与えてくれたらいいのに でも考えると 誰もが独
ぼくはあの橋の手前で ずっと待っていた 夜の暗闇の中で 雨が降り続いていた 街灯に群がる虫と その下に広がる無数の死骸が 季節を知らせていた 例えば今ぼくが立ち去った後で あの人が現れたら? ぼくは一生後悔するだろう しかしこの先一生 あの人が来ることがないとしたら それはとても悲しいことだ 悲しまないためには 立ち去ることも必要なのかもしれない 長い時間が過ぎた 時々自転車や歩行者が通っては ぼくをがっかりさせた ぼくは見えない存在だから 誰も気にする
沈んでいく船に乗っている人々は あなたに言葉を預けようとしている その言葉を受け取る勇気が あなたにあるだろうか 船はゆっくりと沈んでいく 彼らは沈む速度より もっと早く考える 何を伝えなければならないかを そして沈む速度よりもっと速く その言葉を投げる わたしたちはただ待つことしかできないのだろうか 人々は口々に さよなら さよならと言っては ひとりまたひとりと消えていく わたしはもう一度立ち上がって 暗く狭いこの通路を 歩いていかなくてはならな
わたしには好きな顔がある それは目が合ってはじめて感じるものだ わたしはこの顔が好きだと だから目が合わなければ好きだとわからない ましてや会ったことがなければ なおさらわからない この顔が好きだとは言えない でも目が会えばわかる この顔が好きだとわかる そのうち好きな顔だらけになってしまった
テーブル 折りたたみ式の椅子 本棚 コート掛け ドア 井草のラグ ソファ 読みかけの本 こどものおもちゃ 電源の入ったパソコン 時計 閉まっているカーテン 食器 カレンダー スマートフォン コーヒーの入ったカップ 世界地図 スピーカー 鞄 つぶれた座布団 スリッパ 窓 そして妻 これが 今わたしの傍にいる者たちです
遅くなりましたが、3月に行った詩の展示と朗読について、 簡単な記録です。 奈良市のアートハブプロジェクト「ならまちワンダリング」の一環として 大阪の梶原あけみさんという方と一緒に、 詩の展示と朗読をさせて頂きました。 初めてのことでしたが、色々な方に来ていただき、 短いですが大変楽しい時間を過ごすことが出来ました。 朗読は2日間で5回ほど行ったのですが、 奈良は観光地ですから、 外国の方もたまたまこの町屋施設を観に来たりしていて、 中には座って熱心に聴いて下さった方もい
わたしは優しくはないし いいひとでもない ただ優しくみえるように ついつい反応しているだけだ だから本当のやさしさを持った人は すぐに気づいてしまう わたしがニセ物だということに 本当はそういう人にこそ 優しくしたいのだけれど
自分が何をやっているのかを理解してやっている人は、 この世の中にどれくらいいるのだろう。 この物語に出てくる登場人物の多くは、 主人公家族がしていることをあまり理解しようとしない。 そしてそのことがもつ意味、そこにある蔑視という存在に気付かない。 もちろん気づいてないということを単純に攻めることはできないが、 何かの出来事の背景には、人と人の関係が、 どこまでも続いているということを想像しなくてはいけない。 しかし主人公であるスカウトという少女は、 まさにそのことに気付
空の穴から川が流れ出ているのを見た ちょっとした丘ぐらいの高さに黒い穴が開いていて そこから下の方に水が落ちていく そして途中でカーブしながら こちらに向かって流れている 川はぼくの横を過ぎて そのまま見えなくなるまで真っすぐ進んでいく 水をつかもうとして 川に向かって腕を振り下ろすのだけれど 何も当たらないまま空振りする 川にはいろんなものが流れている ぼくの帽子とか服とか 大事な本とか 家族とか 心とか そういうものを捕まえようと ぼくは必死に腕を振り下ろす
詩が書けない時がしばらくあって、そんな時は 自分はどうして詩を書いているのだろうと考える。 アマチュアの自分にとっては 多くの読者がいるわけでもないし、 それで稼いで家族のためになっているわけでもない。 あまり実際的なことばかり考えると、 詩を書かない理由の方がどんどん見つかってくる。 そんな時ふと、ことばではないものに触れると ふっと考えが融解することがある。 自然でも芸術でもいいのだけれど、 あっ、と思えるものが、どこかのタイミングで見つかる。 告白すると、テレ
わたしはその暗い階段を 灯台の展望室を目指して上っていた 階段の表面はじっとりと湿気を帯びて 少々の水溜まりと苔で黒く光っていた 階段の壁には窓は無く 真っ暗なはずの灯台の内部で それでもわたしの目はしっかりと その階段と壁の存在を捉えていた どこまで上ってきたのかわからない いつ上りはじめたのかもわからないが まだまだ上り続けなければならないことは どこかで承知していた 時折壁に手を当てる そのザラザラした感触を手のひらに受けると 心地よい痛みと不思議な安心感があっ
雨が一滴、空から降ってくる まだ上空千メートル、地上では 誰も気づいていない しばらく一滴のまま落ちてきた雨は 上空八百メートルぐらいで風にあおられて 二滴に分裂する 一滴はそのまま風に乗って横向きに 移動していく もう一滴は身軽になったから まっすぐ下へ落ちていく 落ちていきながらまたあおられて また分裂する 上空五百メートル 今度は二滴とも並んで 同じ速度ですすんでいく 最初に分かれた子はどうなったのだろう 風にのって遠くへ行ってしまった 上空三百メー