詩「線路」
わたしは線路の上を歩いていた
どこへ行こうとしていたのかはわからない
ただひとりでどこまでも
行けるところまで行こうという気持ちだった
線路の周りには霧が濃く立ち込めていて
少し先の景色も見ることが出来ない
しかし怖くはなかった
わたしは怖さというものは
見えないことの恐怖であると同時に
見ようとしない恐怖であることを知っていた
全く見ることができない程の霧であったとしても
わたしが目を凝らして見ようと決心し
それを実行に移すことで
得体の知れない見えないものは
わたしの中でゆっくりと姿を現していく
それは全く自分と関わりのなかったものであると同時に
自分のものであることがわかってくる
やがてそれがはっきりと形を成したところで
恐怖は消えていく
そうしてわたしは日々恐怖と戦っている
線路からは時々
遠くで列車が走っているような振動が伝わってくるのだが
それがわたしには人の会話のような
あるいは人の心臓の鼓動のような
不思議な暖かさを感じたものだった
歩いているうちに
線路が二又に分かれている箇所があった
一方は今までと同じように先へ先へと続いている線路
もう一方はあまり使われていないのか
少し錆びていて
枕木の横からは草が生えているのも見える
その線路はしばらく伸びていった後で
一つの建物の下に飲み込まれるようにもぐり込んでいた
わたしはここまでに建物らしい建物は見なかった
その外壁は汚れ
窓や戸も壊れていたが
その朽ちた外見に惹かれて近づいていった
覗いてみると建物の中には居間のように家具が据えてあり
その椅子の上に誰かが座っていた
天井近くの小さな窓の微かな光に目を凝らして見ると
それはわたしが気づく以前
そのもっと前に
亡くなったと思われるひとりの老人であった
長い間ここにこうして座ったままだったのだ
わたしは少しの間その老人を見つめた
そうして後ろへ引き返した
線路の分岐点に戻って見ると
ポイントは先へと伸びている線路の方を向いていた
わたしはそのまま立ち去ろうとして
その時ふと思い至ったのだった
列車がこのままこのポイントを通り過ぎると
誰もこの建物には気がつかないだろう
建物へ向かう線路はなお錆びて朽ちていく一方で
もう一方の線路はこれからも
どんどん先へ先へと伸びていく
わたしは線路で感じた鼓動が老人のものであることを否定できないと思った
有り得ないと言われるかもしれないが
わたしたちが説明できない物事を感じとることは常に有り得ることで
その時なにも特別な技能や才能を要求されるわけではない
ほんの少し
わたしたち自らが感じとろうと思いさえすれば
その感覚は
かなりの確信をもって言えることなのである
そしてそうした確信とともに行われた選択を
わたしは何ものにも変え難いものだと感じる
そこでわたしはそのポイントを建物の方へ
思い切り力を込めて切り替えると
そこを立ち去った
その後わたしは再びそこを訪れたが
老人の姿は無く
その線路は花に覆われていた
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