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赤いヤークートこと、ルビーの話

5月、6月と書いてきた誕生石がらみのnote。7月の誕生石はルビー。言わずと知れたポピュラーな赤い宝石だ。

このルビー、あまりにポピュラーすぎて、ネット上でも書籍でも、いたるところにさまざまな情報がある。だから何を書いても新鮮味がなく、イマサラ感が出てしまう。そんな気がして、どうしたものかと迷っていたら、とうとう月末になってしまった。

そうこうしていると、1ヶ月ほど前に注文していた書籍が届いた。レバノン出身の研究者が1998年に翻訳した古い古い宝石学の書物。13世紀に、現在のチュニジア出身のアフマド・アル・ティーファーシーという人物によって書かれたものだ。

これはグッド・タイミング。この本からルビーに関する部分をピックアップすることにしよう。

◇◆◇

本がとどいたのが嬉しくって、Twitterに写真を載せたのが下のツイート。ちなみに、この石専用アカウントのアイコンは、わたしが描いたモザンビーク産ルビーだ。

本の構成は、原文とその翻訳、そして翻訳者による補足説明。翻訳本としてはめずらしく、原書のコピーが読める形で掲載されている。素晴らしい!

原書コピーの扉ページにあたるところには、タイトルらしきものがある。円のなかの上半分に、『كتاب جواهر الاحجار(宝石の本)』と書かれているのが見える。

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この本、まだざっと読んだだけなのだけれど、ものすごく面白い。中世はアラブ世界が科学の最先端だったというのがよくわかる。この本については、あらためてnoteにまとめたい。いまは誕生石のエントリなので、ルビーに関する部分だけを箇条書きにすると・・・

① 赤、黄、青、白のカラーバリエーションがある”ヤークート(الياقوت)”という石のひとつ
② 赤いヤークートの色は数種類あって、真っ赤なものが最も高価
③ ヤークートは、ダイヤモンドに次いで硬く、どの石よりも重い
④ 鈍い割れかたをする
⑤ サランディブ(スリランカ)と、そのさらに向こうの土地で採れる
⑥ 水によって山から運ばれて、重いヤークートが溜まった場所がある
⑦ 亀裂やニガヨモギの葉のような内包物がある
⑧ 加熱処理によって黒い部分をとりのぞくことができる

こんな感じだ。もしも宝石学や鉱物学になじみのある方がこれを見たら、きっと驚くにちがいない。わたしもとても驚いた。

驚きポイントはいくつかある。まず、記載内容が科学的であること。そして、いま知られていることとの共通点がおおいこと。さらに、18世紀以降にわかったとされている事柄が、13世紀にすでに知られていたこと。この”驚きポイント”の気づきは、裏をかえせば、自分がいかに西洋の科学史を基準にしてきたのかということだ。自分の無知を恥じるしかない

さきほどの引用内容について、具体的に説明しよう。

ルビーとサファイアは、おなじコランダムという鉱物だ。この事実は、西洋では18世紀になるまでわからなかったとされている。しかし、中世のイスラーム世界では、①にあるように色の異なる石をおなじ鉱物ヤークートとしている(註:現代アラビア語ではヤークートはルビーのみを指す)。見た目の色にまどわされることなく、客観的に鉱物が識別されていたということだ。

ことなる鉱物を擦り合わせると、片方に傷がつく。傷がつく方が柔らかい。この性質を利用して硬さの基準としたのが、モース硬度計。19世紀にドイツの鉱物学者フリードリヒ・モースが考案した。この硬度の違いも、③にあるとおり13世紀にすでに書かれている。しかも、モースと同様に、基準石を設定している。また、比重の違いにも言及している。

④の割れかたは、専門用語で”劈開(へきかい)”とよぶ。割れやすさ、その方向や程度が鉱物によって異なる。ティーファーシーは”劈開(تشقيق)”と”偽劈開(شبه تشقيق)”という使い分けをしているだけだけど、鉱物の性質としてすでに記載している。

⑤と⑥は、産地と産状についての記載。スリランカが出てくるけど、”その向こうにある土地”というのも出てくる。ルビーの産地として名高いミャンマーのモゴックはいまから800年ほど前から知られている。もし「向こうにある土地」がモゴックだとしたら、当時の最新情報だろう。産状についても、二次鉱床(漂砂鉱床)のメカニズムが詳細に説明されている。

⑦は、ルチルの内包物だろうか。顕微鏡のない時代とは思えない細かな観察だ。これを邪魔なものとして、取り去る処理についても触れられている。見た目の改善としてほどこされる加熱処理も、⑧のようにきちんと記載されている(しかも手順つきで)。加熱処理されたものは、ニセモノとして半分以下の価値になるとも書かれている。当時から現代と変わらない価値観があったことがわかる。

話をいったん西洋にうつす。

”ルビー”にまつわる最も有名な逸話は、おそらく大英帝国王冠のものだろう。14世紀にエドワード黒太子が手に入れたというもの。ながらくルビーとされてきたけれど、19世紀になってようやくスピネルだったことが判明した。スピネルはまったく別の鉱物だ。

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これらの写真は、S. Volandesの『Jewels That Made History』とDKの『Jewel: A Celebration of Earth's Treasures』より。

似た話はほかにもいくつかある。たとえば、ロシアのエカテリーナII世の王冠にあるのも、ルビーだとされてきたけれど、これも実はスピネルだった。以下の写真もDKの大判本『Jewel: A Celebration of Earth's Treasures』より。

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これらの”スピネルでした”エピソードは、西洋でながらくルビーとスピネルが混同されてきたことの証左だ。その理由に、スピネルを”バラス・ルビー”と呼んでいたことが考えられる。

いつからそう呼ばれたのか。諸説あるようだけど、マルコ・ポーロの『東方見聞録』以降だろう。中央アジアからもたらされた”ルビー”は、現地ではバラフシ(Balakhsh)と呼ばれていた。それがヨーロッパ人には”バラス”と聞こえ、”バラス・ルビー”となった。

しかし、”バラス・ルビー”は本当はスピネルだ。19世紀にブレトシュナイダーが『東方アジア由来の中世研究(Mediæval researches from eastern Asiatic sources)』で書いたところによると(出版は死後の1910年)、「イスラームの宝石商は、ルビーとバラス・ルビーを見分けることができた」とある。

アラビア語ではバラフシ(البلخش)というと、まさにスピネルをさす。産地のバダフシャン地方が名前の由来。バダフシャンは、中央アジアのパミール高原にある。現在のアフガニスタンとタジキスタンにまたがる地域。

13世紀のティーファーシーも、コランダム(ヤークート)とは別にスピネル(バラフシ)を独立した項目で書いている。硬度も、コランダムの次の区分に分類している。そして、「アラビア語”バラフシ”は、地名のバダフシャンが訛ったものだ」とまで書いている。

このように、13世紀のイスラーム世界ではルビーとスピネルは明確に区別されていた

そしておそらく、スピネルを知らなかったヨーロッパ人が、ルビーと勘違いしたのだろう。本来別の石をさす「バラス」を「バラス・ルビー」と言いかえている段階で、推して知るべし、である。

現在、アフガニスタンとタジキスタンからは、スピネルだけでなくルビーも産出する。一説によれば、アフガニスタンのルビーは、かつてシルクロードの交易で各地にひろまったらしい。なお、タジキスタンのルビーは、20世紀後半になってから知られるようになった。

しかし、このアフガニスタンのルビーの話は真実なのだろうか。

13世紀、ティーファーシーは、コランダムの産地としてサランディブ(スリランカ)と”その向こうにある土地(ミャンマー?)”は挙げているけれど、中央アジアにはまったく触れていない。

いっぽうで、タジキスタンのスピネル(赤やピンク)は、東方世界では古くから有名だ。権力者が独占してきた歴史があり、いまもタジキスタン政府が流通を管理しているらしい。

つまり、シルクロードで知られたアフガニスタンのルビーというのは、もしかしたらスピネルだったのかもしれないということだ。すくなくとも中央アジアは、ルビーの産地としては、スリランカや東南アジアほどの知名度はなかった。仮にルビーが混じっていたとしても、ごくわずかで、ほとんどは”バラス・ルビー”とよばれたスピネルだったに違いない。

ルビーと信じられてきた宝石がスピネルだったことがわかっても、歴史の認識は修正されていない。いや、当時の石を特定して調べないかぎりわからないので、憶測の域を出ないというのが事実だろう。

シルクロードにからんだアフガニスタンのルビーの話は、わたしもいままで疑わなかった。13世紀のイスラーム世界に書かれた本を読んで、ようやく疑問に感じたところだ。

このnoteの見出し画像は、西アフリカのギニア産のルビー(を描いたもの)。西アフリカは、中世ヨーロッパではまだよく知られていなかった地域。宝石品質ではないので、現在もさほど重要な産地とはみなされていない。

昨晩、おなじように別のルビーの原石もスケッチした。ミネラルショーでわたしが個人的に買った標本。

こちらも西アフリカ産の某国産として売られていたものなのだけど、品質はかなり良い。半信半疑だったけど、もしそれが事実だとしたら、採掘ラッシュになりかねない。よくよく検査してみたら、これはマダガスカルのものだった。わずか6年ほど前にあらたに報告された産地のもの。

流通の過程でこうしたことは常におきる。信頼できるソースから仕入れたと思っていても、どこで何がどうなっているかはわからない。偶然ほかのものが混入することはあるし、意図的に混入されることもある。鉱山のすぐそばのマーケットでは、平気で合成石が売られていたりもする。だから近年、宝石の産地鑑別のニーズが増していて、わたしもそれを仕事にしている。

7月の誕生石のルビーのことを書きはじめたら、おおきな話になってしまった。最後にルビーの産地についてひとつだけ触れておきたい。

ルビーは産地によって価値がことなる宝石だ。名だたるオークションハウスでも、もっぱらミャンマー産のものが、ものすごい高額で落札されている。

10年ほど前に市場にあらわれた高品質のルビーに、モザンビークのものがある。いまや、産出量は世界一だ。これが、どんなに美しくても1カラットあたりの単価はミャンマーのものには及ばない。

この事実について、どうこう言っても仕方がないのだけど、わたしはモザンビーク産のルビーがけっこう好きだ。ミャンマー産のものよりも安く買えるのは、ある意味ありがたい。

このnoteでは13世紀のイスラーム世界で書かれた内容を紹介したけど、当時はミャンマー産のルビーはほとんど知られていなかった。それがいまやルビー産地としてのブランド価値ナンバーワンである。

もちろん、ミャンマー産のルビーが高品質だったからこそなんだけど、最近の宝石市場をみていると、同じことが繰り返されているような気がする。高品質なモザンビークやマダガスカルのルビーの市場価値は、今後どうなることだろう。

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