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本棚からその持ち主の頭の中がわかるって?
わたしの読書習慣は乱読である。大半はいわゆる速読で、速読したあとに気になった本を読みなおすことが多い。それも飛ばし飛ばしだったり、途中でほかの本に移ってみたりと、一般に読書とされる行為の範疇に入れてもよいものか甚だあやしい。小説や詩では一語一語をていねいに読むことが多いのだけれど、わたしの読む本のなかでは小説は少数派だ。
我が家のリビングには、いつの間にか本棚化した棚があって、そんな乱読している書籍がざっくりとした分類のもと、著者や分野がなんとなくかためて置かれている。それらの本は新たに買ったものがほとんどだけど、他の本棚から引っ張り出してきた古いものも置かれていて、とても雑多な印象がある。このリビングの棚は、なんとなく自分の最近の読書傾向を反映したような本棚だ。
本棚を見れば頭の中がわかる。
これは一月半ほど前にわたしが聞いた言葉だ。リビングの乱読本棚を見ると、たしかに最近の自分の頭の中なのかもなと思えてくる。しかしこれは最近の頭の中である。いや、古い本も混じっているから、わずかながら成育履歴を反映したわたしの頭の中とも言えるだろうか。
人格形成において読書の与える影響は少なくない、というのは、しばしば耳にする話だ。みずからをふりかえっても、ある程度は合点がいく。
幼い頃に読んだ童話から教科書類も含めて学生時代に読んだもの、そして最近読んでいるものも、なにかしら自分の糧になっている。その糧の元が活字なのだから、本の背表紙から「頭の中がわかる」というのは少なからず言えそうだ。
しかしながら、観たり聴いたり話したりといった書籍以外からのインプットも負けず劣らず影響しているのは事実だろう。だから頭の中すべてとまでは言えず、せいぜい頭の中の断片ぐらいのほうが、わたしにはしっくり来る。「頭の中がわかる」とまで言いきれるのは、活字中毒レベル相当の読書家についてなのではないだろうか。
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幾度か書いているように、わたしは小学生の頃から大の手塚治虫ファンだ。その影響で、手塚マンガに出てくるシェイクスピアやゲーテなど外国の古典も読んだ。地図や旗への興味から紋章や歴史の本も読んだ。自然科学全般が好きで、図鑑類はもちろん、研究者の書いた一般書も読んだし、好きが高じて専門書に手を出したものもわりとある。言葉の興味から外国語、古文なども。少ないなりに小説や随筆も読んできた。高校時代はなぜか漱石派と太宰派の派閥があって、わたしは漱石派だった。そして大学ではありがちなように難解な哲学書にも挑戦した。最近は川上未映子さんの小説がお気に入り。大河ドラマの影響で、現代語訳ではあるけど平安文学も読みはじめた。
こうして過去を振り返りつつあらためて本棚を眺めると、書籍以外からの影響もあるはずだなんて書いたものの、たしかに本棚に見える背表紙から“頭の中がわかる”ような気になってくる。
現役の大学生が我が家を訪ねて来たことがあった。彼はリビングの棚にならぶ本を見て、「詩も読まれるんですね」「川上未映子が好きなんですか、『ヘヴン』良いですよね、『黄色い家』も気になってます」などと話していた。彼もいろいろと読んでいるようだ。読書家は他人の読む本が気になるのだろう。
わたしは最近はあまりよそのお宅にお邪魔することがない。他人の本棚を見る機会そのものがなかったから、本棚からわかることには考えが至らなかった。
読書家は常に本を求めている。そしてまだ見ぬ面白い本、あるいは面白いと思った本の反応を欲している。「あの人もあの本を読んでいたのか」とか「あの人はどおりであんなことを話すわけだ」あるいは「あの人はどんな本を読んでいるのだろう、知らない本があれば読んでみようか」など、そんな気持ちで他人の本棚が気になるものかもしれない。
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『本の雑誌』という、愛書家のための月刊誌がある。この雑誌の巻頭に「本棚が見たい!」と題されたカラーページがあり、毎月書店と個人の書斎の写真が掲載されている。この名物コーナーは、きっと読書家・愛書家からの根強い支持があって続いているのだろう。
勿体ぶって書いているけど、ここでこの雑誌を紹介するのには理由がある。実はこの『本の雑誌』6月号(No. 492)の巻頭の「本棚が見たい!」コーナーに、我が家の本棚が掲載されているのだ。
5ページから8ページの4ページにわたって本棚の写真が、続く9ページの下半分に説明文が載っている。
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先の「本棚を見れば頭の中がわかる」は、編集発行人のかたによる発言だ。取材に来られたときに、わたしの本棚を見ながらそうおっしゃった。そう断言されると、なんだか精神分析医に夢判断をされているかのような心持ちがする。きっとこれまでの本棚の取材の蓄積があっての発言だろう。説得力がある。
この4ページにわたる本棚写真は、そのとき撮影されたすべてではない。おそらくある程度は背表紙の文字が判読できる大きさで載せる必要があって、それでカットされた部分があるのだろうと邪推している。
宝石学関連の書籍では、掲載されたのは半分以下。ほかには新書や文庫、洋書のペーパーバックをまとめた書棚も載っていない。前後に重ねて置いてあって背表紙が隠れているものが少なくないからか。それとも一般書の文庫本などはポピュラーすぎて読者受けが芳しくないのだろうか。いや、もしかしたらわたしの頭の中が看取されすぎてしまうのを心配して配慮してくださったのかもしれない⁈
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いま書いたように、掲載されているものは実際のわたしの蔵書数よりもすくない。それでも、この4ページに写っている背表紙からはいろいろ伝わることだろう。写真にない本で、わたしの趣向に合いそうなものを薦めてくれるかたが現れたりしないだろうか、なんて都合のよいことを期待してしまう。
なお、今回の見出し画像はリビングの乱読本棚の一部で、本の雑誌からはカットされた部分。取材からしばらく経っているので何冊か本が増えたり入れ替わったりしている。
百聞は一見に如かず。わたしの頭の中が見える(かもしれない)本棚に関心のあるかたは、書店で『本の雑誌』6月号を手にとってみてください。
と言いつつ、わたしの本棚はさておいて。ほかの記事がとても読み応えある。特集の「研究者の本が面白い!」はその名のとおり面白いし、特集以外のレギュラー記事や新刊レビューも、読書家・愛書家なら引っかかるところはあるはずだ。
具体的には書かないけれど、『本の雑誌』の記事で言及されている本が、わたしの乱読本棚(いつの間にか定着した呼び名?)にも何冊かある。そうそう、記事に書かれていたのと同じことを考えたよ!とか、そうかそんな背景があったのかなど、気がつけばわたしもけっこう楽しく読んでいた。
ふだん読んだ本について語りあう相手がいないものだから、なんだか余計に『本の雑誌』にくらいついてしまった。これもなにかの縁。書店でチェックする雑誌がまたひとつ増えた。そのうち、わたしの本棚に並んだ『本の雑誌』のバックナンバーから、わたしの頭の中が覗かれるようになるに違いない。