今年の美術展はイスラーム美術でスタート!〜スルタンの旗の謎
会期が長いのをいいことに、閉幕が近づくまで観ないままだった。どうしてもっと早く観なかったのかと後悔している。
成人の日、上野公園にあるトーハクこと東京国立博物館へ行ってきた。目的は、昨夏からのロングラン展示「イスラーム王朝とムスリムの世界」。副題に「マレーシア・イスラーム美術館精選」とあるとおり、同館から貸し出された約200点の品々で構成されている特別企画だ。
東洋美術はもちろん西洋美術も頻繁に展覧会が催される日本。しかし、その東洋と西洋をつなぐ地域のものはあまり紹介されていない。その東西をつなぐ地域は、中央アジアや南アジア、そして中近東。そこで1000年以上にもわたって発展し現在まで続いているのが、イスラーム文化。そのイスラームの美術がまとまって紹介されるという、とっても貴重な機会だ。
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東洋館の常設展の地下1階、クメール美術の奥が展示スペースになっている。マレーシアの博物館からの展示品なので、クメール美術の隣というのは、地理的にはつながっている。しかしそこには時間も空間も広範囲にわたるイスラームの世界。ターコイズブルーの看板が異世界への入り口のような雰囲気を醸している。
この東洋館での展示というのもポイントだ。トーハクの東洋館の素晴らしいコレクションのおかげで、アジア(北アフリカの一部も)の古代から近代までを概観できる。そのなかでの体系的なイスラーム美術の展示は、単独の企画展ではとても実現できない深みがある。
わたしは2013年にクアラルンプールにあるマレーシア・イスラーム美術館を訪れている。とうぜん、その時に観たものも今回の展示にある。しかしまったく記憶にないものもあった。収蔵庫に眠っていたものなのか、この9年間の新収蔵品なのか、ただわたしが忘れちゃってるだけなのか・・・。
会場は撮影可能だったのだけど、来館者がおおかったこともあってほとんど撮影しなかった。図録を買うつもりだったこともあるし、マレーシアで観たものがおおかったこともある。
だから、9年前にマレーシアで撮影した写真もまじえて載せることにする。長いので目次つきで。
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ウマイヤード・モスクの記憶
まず最初に出迎えてくれたのが、最初のイスラーム王朝であるウマイヤ朝。シリアのウマイヤード・モスク(またはウマイヤ・モスク)を描いた油絵が展示されていた。
ウマイヤード・モスクは現存する最古のモスク。文句なしの世界遺産だ。
なにを隠そう、わたしもダマスカス旧市街にあるこのモスクにお参りしたことがある。14年前のことだ。この油絵に描かれている門は観光客の出入りに開放されていて、絨毯のところで靴を脱ぐようになっていた。
8世紀からあるウマイヤード・モスクの前身は、さらに以前からある初期キリスト教の教会。教会が改築されてモスクになった。だから、その建築様式はほかのモスクと異なっているし、具象的な植物の壁画など非イスラーム的な意匠もおおい。
その歴史の深さには圧倒される。ひとつの観光スポットとして足早にとおり過ぎるにはあまりにもったいない。当時、とあるプロジェクトの調査隊の一員として渡航していたわたしは、ここでは単独で過ごした。図々しくもスケッチしたりして、その空間を楽しんでいた。
最初に展示されていた油絵は、その時の空気を思い出させてくれる。そして、自分がこのイスラーム文化草創期の建築に触れていたことに、あらためて気づかせてくれた。
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ムスリム文化
トーハクの展示では、時代と地域ごとに古地図が展示されていた。わたしは地図も大好きなので、それなりにコレクションもある。細部をじっくり観たかったのだけど、ほかの来館者の邪魔になってしまうので、足早に移動した。ここで図録で確認しようと決心。事実、細部は会場で観るよりもよく観察できる。
地図は、古い時代ほど、その当時ではなく後世になってから西洋で描かれたものがおおかった。たとえば、以下のものはウマイヤ朝の版図なのにキリスト教世界からの視点が垣間見えていておもしろい。
おおくの日本人にとっては、おそらく縁遠いムスリムの文化。モスクのなかのものが展示され、動画解説もあった。動画で紹介される各国のイスラーム建築には、代々木の東京ジャーミィもあった。
クアラルンプールのマレーシア・イスラーム美術館は、建物自体がイスラーム建築。天井のドームも美しく、モスク内部の構造もあり、そのままが展示空間になっていた。
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宝飾品など
わたしの宝石関係のnote記事によく出てくるアフマド・アッ・ティーファーシーの時代の宝飾品が観られるかと期待していたけど、ドンピシャの時代のものはなかった。しかしインドのムガル帝国と地中海地方のオスマン帝国の絢爛豪華な宝飾品が来ていた。
当時はまだインドだけでしか採れていなかったダイヤモンド、ペルシャ湾の真珠、現在のミャンマーからのルビー、はるか遠く南米から運ばれていたエメラルド。どれもが高品質で、金工技術もハイレベル。イスラーム王朝の国力が伝わってくる。
宮廷文化を伝えるものは、近年のものの方が残りやすい。オスマン朝はヨーロッパとの関係も近く、オスマン帝国用にヨーロッパでつくられて輸出されていた物品も展示されていた。
細かい刺繍の施されたローブには、ほつれや傷みがなかったので、実際に着用されたものなのかどうかわからない。一度袖を通して終わりのものなのかもしれない。庶民の日常使いとはまったく異なる生活なのが推察できる。
オスマン朝の螺鈿細工、寄木細工には独特の魅力がある。神の永続性を象徴する、繰り返される幾何学模様もカッコいい。こうしたオスマン朝のスタイルは、いまも中東各地に残っていて、わたしがシリアやヨルダンで滞在したホテルにもおおかったのを思い出した。
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書道芸術
イスラーム世界といえば、その書道芸術も素晴らしい。神の言葉をつづったクルアーンにつかわれる神聖なアラビア文字。言葉の力を高め、威厳も高め、そして美しさも追求されたアラビア書道。東洋の毛筆にもそういった要素があるけれど、精神的な深みも表現される東洋の書道にくらべて、アラビア書道では視覚的な調和が重視されている。
昨年のラマダーン入りにnoteでも書いたとおり、わたしもアラビア書道をかじっている。
マレーシア・イスラーム美術館を訪れたとき、わたしはまだ転職して数ヶ月。宝石よりもアラビア書道の作品に注目していた。あのとき、欲しいなぁと指を咥えて眺めた書道道具をふたたび見ることができて嬉しい。
マレーシアは隣のインドネシアとならんで東南アジアの主要なイスラーム国家だ。だからこそこのような美術館があるわけだけど、東洋のイスラームにも詳しいところに特色がある。これは、中東各地の美術館・博物館ではなかなか観られない。
中国のイスラーム文化は、中央アジアに位置するウィグル以外にも存在する。特に毛筆で書かれるために考案されたスィーニー書体が、独特でおもしろい。
今回は来日していなかったけれど、マレーシアでは中国の書家が毛筆で書いた作品をいくつも観た。とくに興味深かったのは、漢字に似せたアラビア文字でダブルミーニングにしたもの。下の写真の作品は、”壽”に見えるようにアラビア語を配置しているようだ。
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スルタンの旗と花押の謎
先述のとおり、わたしは今回ほとんど会場で写真を撮らなかった。それでも、これは!と思って撮影した1枚がある。19世紀、オスマン帝国後期のスルタン、マフムト2世が戦場でつかったという旗だ。これは旗マニアとしては素通りするわけにはいかない。ちなみに、マレーシアではこれを観た記憶がない。
目録には「スルタン・マフムト2世花押入旗」とある。花押(トゥーラあるいはトゥグラ)とは、スルタンごとに異なる形でデザインされた意匠だ。いっぽう漢字文化圏の花押は署名が簡略化・文様化した記号で、いわば西洋のサインに近い。トゥグラは簡略化されず、逆に装飾的にデザインされ、西洋の紋章に似た重要さをもつ。個人ごとに異なる点は似ているが、はたしておなじ用語で呼んでも良いものだろうか。この旗にはその花押が入っているということだ。
解説には、戦場で王室用天幕の前に掲げられていたとある。中央の楕円のなかには信仰告白の後半部分「ムハンマドは神の使者」、そしてその外側にはクルアーンの一節が銀糸で刺繍されている。
調べたら、まわりに書かれているのはクルアーン第48章「勝利章」の第4節だった。以下、対訳つきクルアーンより。ちなみにこの対訳つきクルアーンは、『世界の軍旗図鑑』(苅安望著、2020年、えにし書房)を手伝った際に大活躍した。
これが旗の周囲の右上から下の中央まで書かれている。残りの部分は、神と預言者を讃える文になっていて、少なくともクルアーンの同章には見当たらない。どこか他にあるのかもしれない。
オスマン朝では、装飾的なディーワーニー体が考案され、高度な書道芸術が発展した。トゥグラはその代表例。スルタンの勅令にはかならずトゥグラが書かれた。高名な書家がスルタンのためにデザインし、スルタン以外は使用が許されなかった。
別に展示されていた勅令書には、いちばん目立つところにトゥグラがある。
で、マフムト2世の旗に話を戻すと、旗には肝腎のスルタンのトゥグラが見当たらない。もしかして裏面だろうか。いや、もしそうならその裏面を見せるだろう。ということは、勝利章の一節の後にある複雑な三角形部分がそうなのか。
オスマン朝のトゥグラにはデザイン要素が決まっていて、この三角形に見える部分はそのデザイン要件を満たしてはいない。それにマフムト2世のトゥグラはWikipediaにもその解説が載せられているほど有名だから、これがあればすぐにわかるはずだ。
解説には、マフムト2世は書にすぐれ、みずからトゥグラをデザインしたとある。書家としてのマフムト2世の作品を探したら、興味深いものが見つかった。
これはデジタルアーカイブが公開されているナセル・ハリリ氏による膨大なコレクションから(詳細はこちら)。これより前の年記の、別の書家によるおなじ内容のものが存在するとのこと。このことから、マフムト2世が書の練習として書いたのではないかとされているようだ。梨の形のなかに、マフムト2世の名前がある。
旗の三角形部分とこの署名部分をくらべてみよう。
後半部分の文字の配置が若干違っているけれど、おおむね共通している。すくなくとも、「マフムード(マフムト)・ビン・アブドゥルハミド」と書かれた箇所は確認できた。旗のこの部分は書家としてのスルタンの署名とみて間違いないだろう。
上述のとおりスルタンのトゥグラには省略がなく、構成要素が決まっている。それに通常はもっと目立つように配置される。署名とトゥグラは、その意味あいがおおきくことなる。これを”花押”としてしまうと署名までもが混同されてしまいそうだ。
・・・見あたらない花押の謎の答えは、そういうことなのだろう。
これはスルタンが書いた書をもとに刺繍で旗にしたものだとみえる。だから、あくまで署名があるだけ。署名はあるがトゥグラはない。
図録によると、マレーシア・イスラーム美術館の解説が「tughra」としていて、そのまま「花押」と日本語に訳されている。マレーシアはイスラーム国家だけど、現代マレー語はラテン文字で書かれる。中国からの移民も少なくない。Tughraが署名ぐらいの意味あいでとらえられてはいないだろうか。
ここは是非ともトーハクに確認してもらって、マレーシア側の記述から修正してもらいたいところだ。
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旗と花押について書き始めたら、いつもどおり、いやいつも以上に長くなってしまった。
この「イスラーム王朝とムスリムの世界」展は、副題の「精選」のとおり、イスラームの歴史と文化を知るために凝縮されたようなセレクションだ。シルクロードの交易を例に出すまでもなく、イスラーム王朝の数々は周辺の文化と相互に影響しあいながら存在した。
わたしは今回、東洋館のほかの展示をすべて観てから観覧した。冒頭にも書いたけど、この東洋館の一部での特別企画というところに主催者の意図があるんじゃないかと思う。
会期はのこすところ約1ヶ月。このnoteを読んで関心を持たれたかたには、「イスラーム王朝とムスリムの世界」だけでなく東洋館すべての展示を観ることをオススメしたい。