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秋の神保町。増える積ン読。今や、金策なし。

秋の読書週間は10月27日から。それに合わせるように、その前日から開催された神保町ブックフェスティバル。昨年、一昨年と同様にわたしは今年も“世界一の本の街”神田神保町に足をはこんだ。

今年はある明確な目的があって午前10時の開始時間にあわせて行った。その10時よりも早いタイミングであっても、すずらん通りはすでに黒山の人だかり。

毎年のことながら、これだけ本好きさんたちがいるのだから日本の出版業界はまだまだ安泰なのではないかなんて思えてくる。しかし、そもそもこのブックフェスティバルは「本の得得市」とも呼ばれているように、出版社から直接格安で本が買えるまたとない機会。通常の書店では値引きされることのない書籍が格安となれば、賑わって当然だ。だからこの盛り上がりだけで楽観的に判断して良いものではないし、むしろこの盛り上がりは出版不況の裏返しだとも考えられる。

それはさておき、今回のわたしの“明確な目的”について。掘り出し物の本を探すのはもちろんだけど、第一の目的は買うのではなく宣伝だった。宣伝するのは、日本旗章学協会の会誌『旗章学』。会員でもあるえにし書房さんのワゴンに、会誌のバックナンバーを置いていただく手筈になっていた。

えにし書房さんのワゴンの一角。左上にスペースを空けてくださっていた。感謝。

えにし書房さんは、旗関係はもちろん、翻訳文学や国内外の歴史や文化について深掘りした書籍に強みがある。わたしが見た時は、日本の古代史にまつわる本がよく売れていた。

わたしは一旦ちょっとした買いもののために秋葉原に移動はしたけれど、あとはずっと神保町にいた。夕方まですずらん通りを何往復もした。とにかくすごい混雑でなかなかワゴンにたどり着けないブースも多い。それが何周もまわった理由。毎度のことだけど、とくにミステリ関係の出版社は行列が途切れることがない。

昨年はGem-A(英国宝石学協会)の頑丈なトートバッグを用意した。バッグがいっぱいになるまで本を買い、かなり重くなって苦労したので、今年はさらに頑丈なトートバッグを妻から借りた。それは浅草のブックマーケットでも活躍したLIFE IS SHORT READ MORE BOOKSと書かれたトートバッグ。

今年7月、浅草ブックマーケット会場前で。

自制するためにも、このトートひとつに収まる本を厳選しよう。それが当初の目標。そう、当初﹅﹅考えていたことだった。

朝から赴いたので目当ての書籍も購入でき、わたしはバッグの空きスペースにちょうど良い本を物色しはじめた。

頑丈なバッグは、頑丈がゆえにバッグ自体の重量もある。そして値引率の大きなブックフェスティバルでは、どうしてもお得感のある大型本に惹かれてしまう。そして重たい大型本を数冊買ったところで、トートバッグを掛けたほうの肩が悲鳴を上げはじめる。これはトートバッグで神保町に行く人なら経験のあることじゃないかと思う。

昨年も気づいたことだが、神保町はリュックを背負った常連客が多い。百戦錬磨の彼らははじめから片方の肩に重さが集中することを避けている。それがわかっていたにもかかわらずトートを持参したわたしは愚か者だ。

昨年はリュックだけを売るワゴンがあったけれど、今年は書店・出版社のワゴンでトートバッグが売られているのを何度か目にした。トートバッグは出版社が工夫を凝らしたデザインのものがほとんど。畳めば嵩張らずエコバッグにもなるトートのほうがゆくゆくは重宝しそうだ。ユニークな凝ったデザインとなればなおさらである。

左右社さんのワゴン前を通りがかり、そうそうこの出版社の『書物とデザイン』という本が気になっていたのだったと思い出した。その本はワゴンになかったけれど、もちろんほかの本がたくさん並んでいた。左右社さんは素敵な装丁で印象に残るデザインと内容の書籍が特徴だ。

わたしは黄色い表紙に金の帯のついた『お金本』という書籍をパラパラめくった。明治から現代にいたる錚々たる表現者たちによって書かれた苦労話が矢継ぎ早に出てくるオムニバス形式。いつの時代も皆、お金に困るものだ。文豪や大家と呼ばれた人びともそうとう苦労していた。いや、だからこそ文豪たりえたのかもしれない。

眺めていたページに明治30年の国木田独歩の日記があった。日記にもかかわらず「人生は何ぞや」と重々しいトーンではじまっている。途中、「人生は戦なり」ともある。借金も拒まれ、原稿料の前借りも断られたと絶望感が綴られている。そして「今や、金策なし」。

ふと目を前に向けるとその「今や、金策なし」と書かれたトートバッグがあった。わたしは『お金本』とそのトートバッグを買った。本をトートに入れてわたしてもらえたが、こちらには1冊しか入っていないので、とうぜん左右の重さはアンバランス。自ずと「金策なし」のほうにも本を入れて重さのバランスを取る必要がでてきた。あとはいい塩梅に釣り合う重さに調節しなくてはならない。本選びに重量の要素が加わった。

結局わたしが買った本は、それぞれのトートバッグに5冊ずつで合計10冊になった。左右社さんのトートはマチが付いていて、華奢に見えても収納力があるのが良い。

帰宅直後のトートバッグ2つ。

自分の姿は鏡にでも映さないことには気づけない。これらを両肩にぶら下げて歩いていた自分の姿を想像すると、そこにはなけなしのお金を本に費やして生き急ぐかのような五十男がいた。左肩に「短い人生にもっと本を」、右肩に「金策なし」で重そうなバッグを運んでいるのだ。1時間近くの帰宅の途、どこかで失笑を買っていたに違いない。

せっかくなので、この日に買った本の記念写真を載せておこう。

左に5冊、右に4冊、そして金策なしトートを押さえる役目を果たしている黒無地表紙の1冊。大判本はデヴィッド・ホックニー、手塚治虫、謎の黒表紙。あとは美術関係、文学関係。

上の写真撮影後に本を出して並べて記念撮影。

この写真で背表紙の見えている本については、いずれも購入時にざっと目を通しているものの、もちろんこれから時間を見つけてちゃんと読むつもりだ。年末の振り返りで書けるよう読んでおかないと。

そして謎の黒表紙本。実は、この中は真っ白。つか見本といって、書籍の出版前に同じ紙とページ数で大きさや重量を再現したモックアップだ。このブックフェスティバルのような出版社が直接出店するイベントでは数百円で売られていることがある。

「一日一画」より、束見本の筆ペンスケッチ

手帳がわりに良いかもしれないと思いながらも、すでに手帳や日記帳はペーパーブランクスのものを愛用しているから買ったことはなかった。無地なのでスケッチブックにもなるかと考えたけれど、画用紙ではないから裏移りしたり破れたりしてしまいそうだ。そうして気にしつつも買うことのなかった束見本。今回買ったのは、手に取ったものが思いのほか頑丈な紙だったからだ。

おそらく百科事典のような書籍の束見本なのだろう。皺にもなりにくく破れそうにもない。それで厚みもそこそこある、紙幣に使われそうな紙がページになっている。ひとつ試しに使ってみようかと思った。

どう使うかはまだ決めていない。最近は筆ペンのクロッキーが多いから、もしインクののりが良ければ筆ペン用にするのも良さそうだ。日記はボールペンの手書きで書いているから、思うことをつらつら書き留めて、それこそnoteのネタ帳みたいにしても良いかもしれない。筆ペンで和歌でも書いてみるのも一興か……。

この束見本の使用は、年が明けるまでいろいろと考えておくことにしようと思う。

『お金本』にはじつに100名もの人物によるお金にまつわる話が集められている。ひとつひとつの短い話が積み重なると、お金に困った表現者たちの内面の豊かさが合わせ鏡のように浮かび上がってくる。

最後に載っている角田光代さんの文章の締めくくりが象徴的だ。

ゆたかであるというのは、お金がいくらある、ということではけっしてないのだと、その人を見て知った。そういう意味で、まずしいまま年齢を重ねることが、私はとてもおそろしい。

左右社『お金本』より、角田光代「一日(1995年の、たとえば11月9日)5964円」から

金銭的にはさみしくなっても、それだけ心が豊かであれば救いがある。もちろんお金に余裕があるに越したことはない。ただ、ケチケチせずに心を豊かにできるように使ったお金は、お金のままであるよりも価値があるのだ。予定外にトートバッグを増やして両肩を鍛えたあとのわたしにも、なんだか励みに聞こえる。

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