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いただきます

不動産関連のお話しではないのですが、考えさせられることがありましたので、記事にしようと思います。
皆さんはお食事を頂く前に何も言わずに食べ始めますか?
それとも手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めますか?
ちなみに僕は後者です。

「いただきます」は、日本ならではの言葉なんだそうです。
なので、この言葉を知らない外国の方は、
「いただきますって、何なの?」
「それは神に対する祈り?」
と聞かれるようです。

「いただきます」の意味

もし、皆さんが子供たちに「なんで食べる前に『いただきます』って言わないといけないの?」
と聞かれたら、どう答えますか?
考えられるのは・・・
<命を頂く動物、植物、食料を生産してくれた人、そして調理をしてくれた人に感謝をする為>
と答えるのかなと思うのですが、どうでしょうか?
しかし、子供たちにその話しをして、果たしてどれくらいの子供たちが心から理解するでしょうか。
良く考えてみると、子供たちは恐らく似たような事を親からも、保育園や幼稚園の先生からも、小学校の先生からも、何回も何回も聞いているはずなんです。
ですが、残念ながらそれが多くの子供たちの心に響いていないのが現状だと思います。
よそ様をとやかくいうつもりはありませんが、外食で食事に来ていても『いただきます』を言って食べ始めている、大人も子供もあまり見る事がありません。

勿論、中には「ちゃんと『いただきます』をいいなさい!」「ごちそうさまは?!」「はい、手を合わせていないからもう一回」とやっている親御さんも見受けられます。
『いただきます』の意味とは何なのでしょうか?

動物と植物の違い

動物と植物の違いというのを中学2年生の理科で習うらしいのです。
動物と植物の違いは何か。

<動物は食べる為に動かなくてはならないから、動物>
<植物は食べる必要がないので、動かなくて良いので、植物>

植物は生きていく為の栄養を自分で作り出す事ができるから、動かなくて良いのですが、動物は自分で生きていく為の栄養を作り出すことができないので、どうしても他の生き物を食べる必要がある。
植物も動物も、どんな生き物であっても、一生懸命「いのち」を全うしようと生きていると僕は思います。

僕たち動物は、他の生き物の「いのち」を奪わなければ、ひと時も生きていく事ができない、悲しい宿命を背負った生き物という事です。

食事は「いのち」を考える事

食について考える事は、命について考える事と同じ事なのかも、と考えさせられました。
この事をどうやって子供たちの心に響かせれば良いのか。
ふと、過去に読んだ事のあるお話しがありますので、一部をご紹介します。

九州大学大学院助教授だった佐藤剛史氏が書いた「自炊男子『人生で大切なこと』が見つかる物語」の中に出てくるお話しです。

「いただきます」「ごちそうさま」をなぜ言わなければならないか分かりますか?「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」という事です。命とは時間です。ある人が80歳で亡くなったとしましょう。ということは、80年間という時間がその人の命だという事です。
今朝、皆さんのお母さんは30分かけて朝ごはんを作りました。今日の夕食、お母さんは1時間かけて夕飯を作ります。その朝ごはんにはお母さんの30分ぶんの命、夕食には1時間分の命が込められているのです。
皆さんが生まれてから今日までの間、お母さん、お父さんは自分の命の時間を使って、皆さんを食べさせてきたのです。
そして、これから親元を離れるまで、ずっと皆さんは、お母さん、お父さんの命の時間を食べていくわけです。食べ物を粗末にするという事は、作ってくれた人の命を粗末にする事です。
心を込めて「いただきます」「ごちそうさま」を言いましょう。
作ってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

出典:自炊男子 「人生で大切なこと」が見つかる物語
佐藤 剛史 氏 著

そして、もう一つは内田産婦人科医院の内田美智子先生が書いた、「いのちをいただく」という絵本のもとになったお話しです。
この絵本はおススメしたい絵本なので、皆さんのお子さんたちに読み聞かせてあげて欲しい本です。

坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。
(中略)
ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には明日、殺される予定の牛が積まれていました。
坂本さんが「明日の牛ばいねぇ・・・」と思っていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。
坂本さんは「危ないかねぇ・・・」と思ってみていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。
すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ・・・」
「みいちゃんが肉にならんと、お正月が来んてじいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃんごめんねぇ・・・」
そう言いながら一生懸命に牛のお腹をさすっていました。
坂本さんは「見なきゃよかった」と思いました。
トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。
「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いておくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、宜しくお願いします」
坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん。」とおもいました。
(中略)
牛舎に入ると、みいちゃんは他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、次第に坂本さんの手をクンクンと嗅ぐようになりました。
坂本さんが「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう・・・」というと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきました。
 (中略)
牛を殺し解体する、その時が来ました。
坂本さんが、「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」というと、みいちゃんはちょっとも動きませんでした。
その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちました。坂本さんは牛が泣くのを初めて見ました。

出典:いのちをいただく 内田美智子 氏・諸江和美 氏 著

翻って、ある学校で保護者の一人から「給食費を払っているのに『いただきます』と言わせるのはおかしい」とクレームがあったという話しを聞いた事があります。
この話しを読んだ皆さんからしたら「なんて親だ!」と思われるかもしれませんが、もしこの保護者もこの話しを知っていたとしたら、どうだったのでしょうか。

現在の食生活と食品ロス

現在の食生活は「命をいただく」というイメージから随分と遠くなってきているように思います。その結果食べ物が粗末に扱われ、日本での年間の食品ロスは612万トン(東京ドーム約5杯分)に相当するそうです。
【食品ロスの現状を知る】農林水産省HP

僕たちは奪われた命の意味も深く考える事なく、毎日の食事と向き合っていると思います。動物は皆、自分の食べ物を自分で獲って生きていますが、人の大半が自分で直接手を付ける事なく、坂本さんのような方々の思いも知らぬまま、毎日食事をしています。
命をいただく事に対しての思い、改めて考えさせられます。
お肉を食べて「美味しい」お野菜を食べて「美味しい」。
そこに生まれる思いにはどんな印象を感じますか?
お肉を食べて「まずい」お野菜を食べて「まずい」。
そこに生まれる思いにはどんな印象を感じますか?

子供をもつ親として後世に伝えなければならない事

食べ物をいただく時、そこに尊い命があった事を忘れずに、その命を敬い感謝の気持ちをもてる人になりたいし、子供にもそう育ってもらいたいです。
当たり前のようで、当たり前ではない、今日もまた食べられることへの感謝の言葉、「ありがとう、感謝します、いただきます」
食べている時の「美味しい」という言葉。
そして、食べ終わった時の「美味しかった、ごちそうさまでした」という言葉。
食べる事ができた事への感謝の言葉をかけてあげましょうね。
勿論、残さずに。
食べたものが僕たちの身体をつくります。
という事は、話しに出てきたみいちゃんも姿を変えて僕たちの中で生き続けるという事です。
そして、僕たちを身体の中から精一杯生きる事を応援してくれています。

僕たちはそれに応えて、自分の命を精一杯全うしなければなりません。
できれば、ピッカピカに輝かせながらです。
食事は命のバトンと誰かが言っていた気がしますが、本当にそう思います。

僕たちと共に生きている沢山の命が一番喜ぶことは、命のバトンを繋ぎ、繋がれた者が輝いて生きる事だと思います。

まとめ

『いただきます』という言葉はとても深く、古来よりアニミズムの日本人らしい感覚の言葉だなと改めて感じます。
今日の夕飯は何だろうか。記事を書いていたらお腹が空いてきました。
今日も美味しくいただきます。

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