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鋭利な刃物のようにリアルに描かれる現実の壁は、夢を抱いたことのある人全員の心を抉る:『GOODBYE WORLD』感想

自分は他の誰にも無い才能があって、きっとこれで食べていける。
これだけはとにかく周りに褒められる。
自分は他の人とは違う。
自分の未来は明るい。

……。

そんな「自分への過信」。
根拠のない自信。

自分の中である程度得意だったり、他の人が苦労しているのに自分は何一つ躓くことなくこなせてしまう物事。
そして、努力を努力を感じないくらい、没頭してしまう好きなこと。
いつかはそれで食べていく。
「好きなことで、生きていく」ようになれるんじゃないか。


思いが強いか弱いかは別にしても、そんなことを若い頃に考えたこと、誰しも1度はあるんじゃないでしょうか。
「自分はこれが得意だから、これで食べていけるかもしれない」と。

一方で、その自信に対して、現実は残酷にも「それはただの勘違いだよ」と、様々な形で否定します。
その結果、多くの人はいつしか、自身の実力に見合った仕事をし、生活をするようになっていくのです。

それが「大人になる」という意味の一つなのではないでしょうか。
これは別に、悪いことではありません。人それぞれポイントは様々にしろ、どこかで理想と現実に折り合いをつけて生きていく必要があります。
給料を稼いで、食べていかなければ、生きていけません。

では、自分が小さい頃に抱いていた、実現可能性の低い夢や理想を「諦めた瞬間」「折り合いをつけた瞬間」。
言い換えれば、「自分は特別では無かったことを自覚した瞬間」。
それがいつか覚えているでしょうか。
それは何らかの大きな挫折かもしれませんし、長年チャレンジしても思った通りの結果に繋がらず、少しずつ少しずつ、自分が天才ではないことを実感するということかもしれません。

このゲームはその「自分は決して、特別抜きんでた存在ではなかった」と、現実に突きつけられる場面を端的かつ、具体的に表現している傑作です。

映画1本分の長さでエンディングを迎えるゲームです。
物語の分岐もありません。
短編のゲームでありながらも……、いやむしろ短編だったからこそ、リアリティがある鋭利なセリフにより、強く心に傷を負ってしまいました。


物語のネタバレは極力書いていませんが、上記PVで気になった方、ネタバレなしで楽しみたい方は、ぜひ先にSteam、またはSwitchで遊んでみてくださいね。



ゲームを作る、専門学生の人生の物語

主人公は、蟹井と熊手。
人とのコミュニケーションが苦手で、とにかくゲーム作りが好きな蟹井。
人当たりが良く、絵で人の気持ちを動かしたいと思っている熊手。

2人はゲーム制作の専門学校で出会います。
プログラミングが出来る蟹井と、ドット絵が描ける熊手。
互いに、求めているスキルを持った相手でした。
蟹井と熊手はコンビを組み、ゲームを作ります。
そして専門学校を卒業した蟹井と熊手は就職せず、インディーゲーム制作で生きていくことを決意しました。

しかし、現実は厳しく、壁が立ちはだかります。
ゲーム作りで食べていくことを目指した2人はどういう壁にぶち当たり、どういう選択をし、どんな経過を経て、最終的な結末を迎えるのか…。
インディーゲームならではの、王道ではない尖った鋭い現実の物語が、そこにはありました。



『現実』の描写

ゲーム制作を行う2人に降りかかる現実。
それは、あまりに現実的でした。

人脈も無いけど、専門学校を卒業して、就職せず、インディーゲームを作る。
そして、「それだけで生活することが出来る」

それは、現実の世界に当てはめると、なかなかに可能性の低い、ファンタジーな話です。そうそう簡単に、インディーゲーム制作で生活は出来ません。
このゲームはそんな「ファンタジー(実現可能性の低い)な現実」ではなく、現実的な(実際にうまくいくのは一握りという)現実を見させられます。

ゲームが盗まれるとか、ライバル会社に妨害されるとか。天才プログラマーが加入するとか、伝説のゲームプランナーがアドバイスしてくれるとか。
そんな、絵になるような事件ではなく、「最初は強い熱意を持っていたけど、いつの間にか、ただただ生活のためのバイトの時間ばかりが増える」といったような、「ありがち」な現実を見せられます。

特筆すべきは、その現実を表現する、リアルなセリフ。
このゲームは短編のため、セリフ数もあまり多くありません。
そのため、ちょっとしたことがネタバレになりそうでありあまり具体的には語りたくないのですが、心を突き刺したセリフを一つだけ引用します。


「趣味でやってるならいいんじゃないですか」


このセリフ、一番刺さりました。
『あなたのやっていることは趣味レベル。それならそれでいいけど、多くのヒト・モノ・カネをを巻き込んだり、自身の生活の軸とするレベルではない。』
そんな意図を感じたセリフでした。

このセリフを目の当たりにしたとき、ゲームのキャラクターではなく、プレイヤーである私自身が、この言葉を言われたような気持ちでになりました。
私自身がそこに重なったのです。

何かしら新しいことは始めるけど、でもそれをシビアに、趣味を超えるところまでチャレンジしたことはあるだろうか。
いや、ない。
趣味です趣味ですと言い訳をして、でも本当は誰かに見つけてもらって、引っ張り上げてほしい。
努力することを怠けている「ずるい」私自身の性格を、見透かされたようなセリフでした。

でも……。
こういう気持ちって、誰でも思ったことがあるんじゃないでしょうか。


そんな、短いながらも突き刺すようなセリフが、このゲームには詰まっています。
冗長なセリフが無く、各エピソードはナイフのような鋭さで溢れています。

このゲームの最大の魅力は、まさにここであり、これはインディーゲームであるからこそ……つまり、製作者の方の経験や思いが詰まった表現であり、鋭さである。
そう、私は感じました。

さらには、蟹井と熊手の性格の『普通の人』っぽさもまた、物語を形作る重要な要素です。

2人のどちらの性格も多少ゲーム的、単純化されたものではありますが、しかしその行動は現実的で、「ありそう」な行動なのです。
困難にぶつかったとき、挫折を感じたとき、誰もが映画のスーパー主人公のようになれるわけではありません。
蟹井と熊手はゲーム的な、アイコンのようなわかりやすいキャラクターでありつつも、その行動がスーパー主人公ではなく、どちらかと言えばこういう進路を選ぶ専門学生、専門学校卒業生もいるんじゃないかと思わせられる行動、そして人生なのです。

だからこそ、その行動に共感が生まれます。
スーパー主人公ではなく、同じクラスにいたかもしれないキャラクター。
もしかしたら、夢を追い続ける自分だったかもしれない姿。
この部分が、物語の魅力をより強くするとともに、物語の辛さを強く演出していました。



パズルアクションと端的なエピソードパートの繰り返し

ゲームは全13エピソード。
各エピソード、2つのゲームパートがあります。
ひとつは、パズルアクションゲーム『BLOCKS』をプレイするパート。

このパートでは、ゲームボーイ風の画面において、キャラクターを動かしてゴールを目指すパズルアクションを体験することが出来ます。

良く出来ているのか……出来ていないのかがなんとも判断しがたく、レベルデザインも粗いところがありますが、そのシンプルなルールとわかりやすい導線は、「欠点もあるがしかしついやり続けてしまう魅力がある」という印象を受けます。

プレイヤーはその各エピソードでこのゲーム『BLOCKS』をプレイし、所定のステージをクリア、またはゲームオーバー(マリオのように残機が3あり、これが全て無くなるとゲームオーバー)を迎えると、読み物が中心のエピソードパートへ進みます。
難しいステージはクリアできないこともありますし、クリアしたかしなかったかで分岐はありませんので、あくまでストーリーの一部、演出としてプレイをします。

エピソードパートは、蟹井と熊手の専門学生時代や、学校卒業後のシーンを見ることが出来ます。
ここでプレイヤーが出来るのは、表示されたセリフを送ることのみ。

ドット絵で描かれた彼女たちの生活風景、そしてそこで発生する物語を、見守ります。

このゲームは短編であると書きましたが、全体の何割かをパズルアクションゲームに割いているため、エピソード部分、つまり物語を言葉で描写する部分はさらに短くなります。
そのため、エピソード部分で語られるのは、物語全体における核心的なエピソードのみ。どうでもいいシーンは無く、物語を構成する『幹』の部分のエピソードが、過去と現在の2つの時間軸で描かれます。

このゲームの魅力は物語部分に強く存在しますが、一般的に、物語の『深み』『魅力』を増すためには、文量やプレイ時間を、冗長にならない程度に増やすのが重要だと思います。
例えば、原稿用紙3枚の小説と数百枚の小説では、やはり数百枚のほうが表現できることが多くなります。ブログとの長文とtwitterの1ツイートでは、伝わり方の詳しさが違い、ブログの長文のほうが物事が伝わります。

ただ……。このゲームは、短編であるからこそゲーム制作に対する挫折という部分に焦点を当てつつも、その当て方が限りなく端的であることが、誰もが自身に当てはまる部分を見つけてしまうという結果に繋がっているんじゃないか。そしてそれが強い魅力なんじゃないか、と思いました。

ゲーム制作というテーマでありつつも、奥底にあるのは「何かを作る」という、ゲーム制作に限らない、物作りに対する熱意のようなもの。
このゲームで感じるゲーム制作に対する挫折は、奥底にある「物作りに対する熱意」を通じて様々な分野で感じる挫折と紐づいています。
つまり、このゲームから受ける印象は、「ゲーム制作特有の挫折」というよりは、様々なクリエイティブな仕事でも感じられる挫折なのです。

細かい説明、描写でゲーム制作にどんどん特化していないからこそ、他人との共同制作やコンテンツに対する熱量、お金という現実といった、「お金に無縁のクリエイトから仕事としてのクリエイトへの移行と挫折」という、ゲーム制作に限らない共通項を描いていることに繋がります。
だからこそ、ゲーム制作経験者だけではなく、誰もが感じる物語として完成されている、そう感じました。



『GOODBYE WORLD』というタイトル

この『GOODBYE WORLD』というタイトル。
世界に対してサヨナラ。
これは上から目線なのか下からの目線なのか、肉体なのか精神なのか金銭なのか、やりたいことからサヨナラなのかやりたくないことからサヨナラなのか、それが一体どういう意味なのかは、プレイすることで判明します。

一方で、クリアしてから気づいたのですが、これはプログラミングで練習に使われる「HELLO WORLD」との対比なのかなとも思いました。
ゲーム完成をGOODBYE WORLDとしたのならとてもおしゃれだし、なんて粋なタイトルなんでしょうか。
ゲーム制作だからこそ活きてくるタイトルであり、そしてクリアしたからこそ言えるのは、「まさにこのゲームにぴったりのタイトル」であるということです。



ラストがこのゲームを完成させ、傑作にした

このゲームのラストについて。
この最後についてはどう捉えるか意見が分かれるかもしれませんが、私はこのラストこそ、このゲームに無ければならなかった演出であると考えます。

逆に、これが無かったら「心情の描写がリアルな良いゲームだったなあ」という印象で終わっていたと思います。
このラストがあったからこそ、私の中ではこのゲームが傑作へと昇華しました。

プレイした人はきっとわかっていただけると思います。
そして、認識すると思います。
これはゲーム制作を夢見て、ゲーム制作に情熱を注いだ2人の物語であったことを。



クリエイティブな仕事をしていても、していなくても、きっと胸がチクリとするゲーム

ゲーム制作はもちろん、イラストや漫画、小説、映画、デザイン、ダンス、音楽、演劇、様々な創作や表現を経験した人は、誰しも一度は「やりたいことと稼げること」を天秤にかけたことがあると思います。

それだけではなく、学生の頃、進路を決めるときにも「本当にやりたいのはこっちだけど、学力的に難しいからこっち」「本当はこういうことを仕事にしたいけど、安定したこっち」というように、より現実的な進路を選んだ人も多いと思います。私も、大学のときに一番行きたかった学科に落ちたため、第2志望の学科で妥協した経験があります。

そんな、「理想と現実の差」。
クリエイティブな仕事をしていても、していなくても、きっと多くの人に刺さるのではないでしょうか。
なんなら、「現実をつきつけられて大なり小なり挫折した人」ほど、このゲームは心に突き刺さるものになると思います。

更には、社会人として、クリエイティブな仕事をしてきたわけではない人。それこそどんな職種で働いてきた人にも刺さるゲームであると、私は実体験から感じました。

私は以前勤めていた会社で「こういうことをやりたい」と表明し、調査し、文字通り寝る暇もないくらい仕事をしました。
その期間はゲームもせず、クラブも行かず、DJもほぼやらず、眠い目を擦って夜中まで仕事をしていました。
幾度となくプレゼンもしたし、打ち合わせも何度もしました。
結果、うまくいきませんでした。原因は全て自分の力不足です。

自分がとても小さい存在であると実感しました。
実感したというより、自分を身の丈以上の存在だと思い、何でもできると思っていた…しかしそれは世間を知らず、物事の難しさを知らないからこそ、安直にできると考えていたということの、裏返しでした。

世の中の仕組みやお金の流れ、企業の体裁や規模に費用、コンプライアンス、マネタイズ。様々な「社会的な当たり前」「仕事をするなら当たり前に考えていること」を全く知らなかったことが原因で、誰の心も動かせませんでした。

自分の中でやりたいことは決まっているけど、でもお金にはならない。
解決策も無い。
でも、気持ちは曲げたくない。

そんな子供のような甘い考えは、人に迷惑をかけるだけの結果となってしまいました。今でも、ありとあらゆることを大きく後悔しています。
noteを書き始めたのも、そのときに「自分は人に物事を言葉で伝えるのがとても下手だ」という実感を苦しいほど経験したからこそ、少しでも言語化能力を高めたいというのが理由です。

個人的にはこの辛い経験が、この『GOODBYE WORLD』を遊ぶことで蘇ってきました。
決してクリエイティブな仕事ではありませんでしたが、やりたいことが叶うかもしれない瞬間、叶わないと同時に自分の力を過信していたことを徐々に理解するという挫折を強く味わったという記憶が蘇ることで、特に強く感情移入したと思います。

だからこそ言えるのは、決してクリエイティブな仕事をしている人に限らず、一歩でも何かやりたいと自分で考えた人、採算度外視だった若い頃の夢や計画、そういうものがある人はきっと、忘れかけていた気持ちが蘇ると思います。

そして、いわば自分の過去の分身のような蟹井と熊手の2人の物語が、いつの間にか「もしかしたらこれは自分の人生だったかもしれない」と思えるようになるかもしれません。
そう思えた瞬間、このゲームはプレイヤーにとって、とても大きなゲームへと変貌を遂げるのです。



短編で端的な演出でありつつ、しっかりと人間の感情、そして現実とのギャップという部分を的確に描写する『GOODBYE WORLD』。
私はまさに、この物語からは、過去の人生を振り返り言葉にできない後悔とと、その時期を思い出したことから生まれる余韻を強く感じました。

当然、このゲームに感情移入出来れば出来るほど辛いと思います。
でも、そんな辛い気持ちにさせてくれるコンテンツが、この世にどれほどあるでしょうか?

私は間違いなく、「こういう気持ちになりたい、こういう風に感情を動かしたいからゲームをやっているんだ」と思い、とても嬉しくなりました。


『GOODBYE WORLD』、今年本当にお勧めのインディーゲームです。
精神的、社会的に大人になる前、そして現実を目の当たりにしたあの頃の気持ちをぜひ、感じてみてください。


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