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家族を繋ぐもの。

じいちゃん!!ばあちゃん!!

僕が大好きな二人。

じいばあ の家に泊まるのが最高の幸せなり。(断定のなり)

急にどうしたんだと心配されたかもしれませんが(笑)、今回はちょっとだけ僕のじいばあ のことを自慢させてください!!

僕のじいばあ夫婦はとにかく仲が良い!

ばあちゃんが甘えん坊で、じいちゃんが優しい大黒柱。

ばあちゃんの「構ってちょんまげ」発言をじいちゃんが優しく返すやりとりが最高に愛おしい。。

そんな夫婦の2人ですが、ずっと夫婦円満だったわけでもなく、、

詳しいことは言えませんが、2人で一緒に困難を乗り越えてきたからこそ

感じる2人の夫婦としての関係性がある気がします。

僕には到底理解できない領域なのでしょうね!

現在は2人とも80くらいの年齢です。

そんな中、ちらほら話題にあがってくるのが、「この家は誰が継ぐのか」という話。

じいばあ の家は古くから継がれ続けている伝統のある家で、田舎の町に建っています。

じいばあ には娘2人、孫3人います。勿論、僕は孫4人の中の1人です。

他3人の孫は全員女性です。ということは僕が男1人です。

つまり、、、僕が家を継ぐ可能性が高い!!

だけど、

僕は家を継ぐ気はありません。

当たり前ですが、必然的に名字は継ぐ形になります。

僕も、じいばあ の家に住む予定はないと主張するのですが、じいちゃんの中には「この家を途絶えさせたくない」という思いがあるようです。

ただ、じいちゃんは強要はしてきません。良かったら、、って感じですね。

僕は自分が魅力的に感じた所に暮らすつもりです。

確かに田舎はとても良い場所です。自然に癒やされながらまったり過ごす生活はとても素敵だと思います。

でも、今の時代は爺婆の時代と比べるとかなり自由な時代です。

行きたいところに行ける、買いたい物を買える、やりたいことができる。

自己実現が非常にやりやすい時代ですよね!

そんな時代の中に決められた場所に定住するのが運命だなんて、わざわざ継承者の可能性を潰すことになると僕は思います。

1つの家を継ぎ続ける、決められた人(好きでもない人)と結婚、、のような昔からある伝統があります。

当時はそれが運命となってそれが生きる術だったのだと思います。

時代背景が明らかに違う、爺ちゃんと僕が価値観が合わないのは当たり前ですよね。

それでも自分の価値観を強要してこない爺ちゃん婆ちゃんは凄いです!!

少なくとも僕は、色んな世界を観たいし、今を楽しみたい人間に育ったようなので、昔ながらの価値観には向いていませんね(笑)


僕は家を継ぐことは出来ないけど、じいばあ から注がれてきた愛情は継いでいきます。

なにも家族や家系を形ある物(家・名字)でつなぐ必要なんてないと思うんです。

というか、僕たちが繋がっている人間関係というものは”形ある物”でつながっていますか?

違いますよね。

人と人をつなぎ合わせるものは「愛情」です。

”物”は愛情表現するための1つの手段でしかありません。

そして、家は家族の愛情を共有する場所です。

家族というものは1つの大きな愛情の輪のようなものです。

ちなみにこれは家族トークあるあるですが、家族と話すときに家族の過去話をすることが多いと思います。これは愛情のある思い出が沢山あるからこそ過去の話を沢山するのだと思います!

☆最後に☆
僕は家族という存在が大好きです。
だからこそ家族の在り方というものにもの凄くこだわりがあります。
ちなみに僕のモットーは”愛の輪を広げる”です。(笑)
今回の記事は、じいちゃんばあちゃんの仲睦まじい姿から考える機会ができました。非常にありがたかったですね!
今はみんなが自粛期間で家族といる時間が多いと思います。
だからこそ皆さんが家族の在り方を見つめ直す機会に繋がれば嬉しいです!

えんど。




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