すべからく双頭を断絶すべし
今回も森田療法のお話です。
今日のタイトルにした言葉は森田療法を実施していた三聖病院の創設者である宇佐玄雄先生がよく引用していた禅問答です。
どういうことなのか詳しく見て行きましょう。
ストーリー
南北朝時代に楠木正成(くすのきまさしげ)という武将がいました。
彼は後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に参加し、巧みな兵法と知略で幕府の大軍を防ぎます。
建武の新政府が成立すると、中央政界で活躍するとともに河内・和泉の守護となりました。
その後、建武政権に反した足利尊氏と戦うことになり、足利軍との湊川での決戦に向かう途中、広厳寺(こうごんじ)に立ち寄りました。
中国から来日した明極楚俊(みんきそしゅん)の名声を聞いたからである。
そこでのやりとりである。
正成「生死交謝(しょうじきょうしゃ)の時如何?」
(生きるか死ぬかの時はどうしたものでしょうか?)
楚俊「すべからく双頭を断絶すべし。」
(自分について生とか死とかの対立概念を使ってはいけない。)
楚俊「一剣天に倚(よ)って寒(すさま)じ。」
(頭の上に敵の剣が来ているぞ。)
このやり取りの後、正成は湊川に向けて出陣したのであった。
自己概念を持たないようにする
この禅問答は結局何が言いたかったのか?
これはなかなか難しいものがありますが、たぶんこういうことでしょう。
生きるか死ぬかで戦地に赴く正成に対して、
そんなこと言っている場合か!!
と楚俊は言っているわけです。
森田療法に置き換えると、治る治らないを考えている時点でそれはもう脱線しているということなのです。
そういう考えを取ってしまわないといけない
ということなのです。
精神疾患はよく薬を使うが、薬では治らないと言っている人や、製薬企業の陰謀を訴える人、スピリチュアルに傾倒する人など多種多様です。
これらは全て、治りたい元に戻したいという意識が働いているのです。
人間としては健康で生きていきたいという欲求がありますから、当然といえば当然なのですが、かえってこれが邪魔をしているということです。
西洋医学が徹底的に入り込んでいる現代において、このような考えをすぐに取り入れていくことは非常に難しいと私自身は感じています。
ですが、精神疾患においてはこの考えは非常に大事だと思っています。
是非、心の片隅にでも留めておいて欲しい言葉です。