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*幸せのセンサーを持って幸せに気づく*

昨日は、残暑とはまだいえないような真夏のじりじりと照りつける日差しの中、
恋人と汗だくになりながらバドミントンをして、その後家に帰って保冷剤で氷枕を作って一緒に床に転がっていた。

「疲れたねぇ」

なんて言いながら、夜ご飯は何食べようか、外で食べるなら帰ってきてからお風呂入った方がいいねとか、運動したら眠くなってきたねとか、なんでもないことを隣で話しながら、少しだけ眠って夜ご飯を食べにまた出かけた。

いつも一緒にいると幸せなのはそうなのだけれど、なんだかふと、隣で横になって話をしている時に

「幸せだなぁ」

と。心の底から感じた。

これからも一緒にいたいとは思うけれど、先のことは誰にも分からない。

もし、別々の道を歩むことになったとしても、私はこの日の胸が満たされた幸福な気持ちや、彼に対する、愛おしい気持ちを思い出すことで、今後乗り越えていけることがある気がする。

好きな人と、ディズニーランドとか、花火大会に行ったりして、思い出を作ることも楽しいけれど、懐かしいなとか幸せだったなとか、愛おしい毎日だったなとか、感情もセットで思い出すのは、きっと、何気ない日常のひとコマなんじゃないかなと。


私の好きな言葉で、

なんてことないように思えることが、あとですごく大事になるよ
私はただ暮らしたいのだ。
洗濯をして、そうじをして、犬や猫の世話をして、子どもと手をつないで歩きたいだけだ。
そしてそのくたびれた手で小説を書きたい。
なんていうことのない日々のありがたみや、
それをいつか離れるときの切なさや、そういあことを。

どちらも、吉本ばななさんのイヤシノウタという本に出てくる一文。

忙しい毎日の中、日々のありがたみや、幸せは分からないかもしれないけれど後になって、その時の私を守ってくれたり、導いてくれるものもきっとあるだろうし、私は日常の当たり前を幸せだと感じて生きていきたい。

昨日のように、幸せだなぁと感じられるセンサーをもっと持っていたいし、こんな気持ちをくれる彼には本当に感謝だし、大切にしたい。



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