麒麟がくるまで待てない!【合戦場の地形&地質vol.1】桶狭間の戦い①
中学生か高校生の時からでしょうか?
KOEI(コーエイ)の三国志や信長の野望などの歴史シミュレーションゲームにハマって以来、戦国ファンを続けております。
当然、NHK大河ドラマの「麒麟がくる」は毎週楽しみにしてましたが、収録が中断されていた影響で、しばらくは過去大河ドラマの総集編になってしまいました。
「独眼竜政宗」を久しぶりに見れたのは良かったですが、でもやっぱり麒麟がくるまで待てない!ってことで、こんな記事を書いてしまいました(笑)
もともと斎藤道三とその息子高政の長良川の戦いを見た時から、「合戦場がどんな地形・地質だったのか?」と興味を持っていました。
と言う訳で、合戦場を地形・地質の視点で見る「合戦場の地形&地質」シリーズ」を書いていきたいと思います!
桶狭間の戦いの概要
桶狭間の戦いなど歴史上のできごとや人物については、新たな研究成果があれば話は変わってしまうかも知れません。今回は以下のサイトを参考にしました。
合戦までの流れはざっとこんな感じ。
・今川家の対織田家最前線の鳴海城(なるみじょう)を今川家臣の岡部元信隊が守っているものの、織田軍の5つの砦(丹下、善照寺、中嶋、丸根、鷲津)に囲まれている。
・鳴海城の南の大高城(おおたかじょう)には今川家臣の鵜殿長照隊がいるが砦が邪魔で動けない。そこで松平元康(後の徳川家康)が先鋒として大高城に兵糧を運び、砦を攻撃。
・松平元康らのによる砦攻撃の報告を受けた信長は清州城(きよすじょう)を出て熱田神宮(あつたじんぐう)で戦勝祈願後、善照寺砦へ。
・今川義元軍本体は沓掛城(くつかけじょう)に待機し、砦攻撃の戦況を見ながら大高城に移動。
・その移動の途中に桶狭間山(おけはざまやま)で小休止していたところに善照寺砦から出撃した織田軍が攻撃を仕掛け、今川義元が討ち取られる。
といった流れです。
ポイントは鳴海城、大高城、沓掛城、桶狭間山、清州城、熱田神宮、5つの砦ですね。沢山ある(笑)
それぞれの位置関係はこんな感じ。青丸が砦、×が合戦場です。
今の地図も重ねてみると道路が多いし都会ですよね。
長くなるので今回はここまで!
②につづきます!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。