a lost article of “Saki”


「サキの忘れ物」という本を読みました。

偶然、近くの席に座った人へ鋭い観察眼を飛ばす男性や、自分だけに見える「不思議な存在」と「王国」を持つ幼稚園児など、9つの短編が収録されています。
少しミステリアスな観光案内や、いつの間にか暗号混じりのようになってしまった日記。ここにいるはずの無い、ひとりぼっちのガゼル。
過ぎていく日々のなかで何かが少しずつ変わっていく、その「終わり」や「始まり」を感じさせる描き方がとても素敵だなあと思いました。

印象に残った物語は、本のタイトルと同じ「サキの忘れ物」です。

主人公は、高校を中退し喫茶店でアルバイトをしている千春さん。彼女には夢中になれるものが無く、家族や友人との関係も希薄です。変わるきっかけとなったのは、「サキの本」。来店した女性客・元川恵里さんの忘れ物です。
本に興味を抱いて持ち帰った千春さんは、意味のわからない単語がいくつかあったために、読むのを諦めて翌日お店に戻します。けれど、訪ねてきた元川さんと言葉を交わすうちに、気持ちに変化が起こります。近くの書店で同じ本を買い求め、自宅で再び読み始めるのです。

物語の中では本のタイトルは書かれていません。
千春さんが「牛の話」とか「オムレツ」と言っているので、ひょっとすると新潮文庫の「サキ短編集」かもしれないと思いました。

後日、元川さんからのポストカードには、数冊の本のリストが書かれていました。
「読書家ではない」という彼女のおすすめリストは、やっぱり「以前は結構読んでいた」人だと思わせるものがあります。
推理小説で有名なアガサ・クリスティ。
「月と六ペンス」のサマセット・モーム。
織田作之助は「夫婦善哉」を書いた作家さん。
そして、アイザック・アシモフは三大SF作家の一人です。
千春さんが羨ましくなってしまいました。こんなふうにいろいろな作家や作品と出会えるって素敵。

元川さんは、友人のお見舞いのために病院に通っていました。彼女は、平日の夜は一時間ほど、週末は午後の数時間、千春さんが勤める喫茶店で本を読んでいたのです。入院中の友人が眠っているため、という言葉だけで、詳しいことは何も語られていません。

一体、どんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。

私は、家族が入院していた時のことを思い出しました。
面会に行っても、治療の関係で病室にいない時もあったし、体調が悪くてあまり話ができない時もありました。不安で悲しくてそのまま帰ることも何だか辛くて、病院の1階にある喫茶室でぼうっと過ごすことが何度もありました。静かで優しい音楽が流れるお店の窓からは、綺麗に整えられた中庭を見ることができ、とても心が落ち着いたことを覚えています。

元川さんは、どうだったかな。
仕事の帰り、自宅とは反対方向の病院に向かうのは大変なことです。休みの日も、彼女はお見舞いを欠かすことは無かった。

どのくらい、だいじなひとだったのでしょう。

本を読んでいる間は、いろんな気持ちを忘れることができたのかもしれない。
もしかしたら喫茶店はとても大切な場所で、すごく必要な時間だったのかもしれない。
リストの作家さんたちも、入院中の友人からすすめられた大切なもの、だったのかな。

そして元川さんは、どのような気持ちで千春さんに本のリストを伝えたのでしょう。

私は思ったのです。
たぶんきっと、千春さんには届いている。
元川さんが友人を思って過ごした時間。言葉にならない、祈りのような何かが。


時は流れ、人も変わっていきます。
物語の最後、10年後の千春さんが描かれています。
リストに書かれた本を全て「1年かかって読んだ」千春さんは、どんな感想を抱いたでしょうか。
様々な本を読むことは、人生をより豊かなものへと導いてくれる気がします。
さりげない、淡い光に包まれるようなラストがとても心に響きました。

他の作品も、楽しかったです。

「王国」は、子供の頃のことをたくさん思い出しました。
みんな、自分だけの秘密、想像する世界を持っていたんじゃないかな。ラストの一文、デリラの言葉がすごくすごく好きです。

「喫茶店の周波数」は、主人公(38歳男性)のココロの声が本当に聞こえてくるようでした。
喫茶店のメニュー、どれを頼もうかな……と考えている時に、このひとが隣にいたら「それもそれもそれも食べた」とか絶対言われる気がする。何だかおかしくて笑ってしまいました。

「真夜中をさまようゲームブック」は、スタートして二つ目で「本を閉じる」とか「刺される」とか、むごい結末が続いて苦戦中。ゲームセンスの問題なのかな? こういう物語は初めてで、悩んだり呻いたりしながら楽しんでいます。

この本の中で一番好きなのは、「隣のビル」という物語。
ビルの構造や部屋の住人など、いろんな謎?について考えたり、予想外(無鉄砲?)な主人公の行動にドキドキしました。でも、一番最後にふわあっと軽やかな浮遊感が伝わってきて、このお話とてもいいなあ、私こういうのすごく好きだなあって思ったのです。

作者の津村記久子さんは、「ポトスライムの舟」や「ワーカーズ・ダイジェスト」、「とにかくうちに帰ります」など、たくさんの作品があります。受賞作が多くて、エッセイも楽しそうです。他の本も読んでみたくなりました。

それと、一番最後になってしまいましたが、表紙がとても素敵です。
紙の色や質感がナチュラルで、本も手に持ったときに軽くて柔らかくて、うまくいえないのですが優しい感じがしました。
表紙の絵は、物語に出てきたものたちでいっぱいです。王国のお姫様が暮らす三角の島、ゲームブックの主人公が無くした鍵、喫茶店の周波数で男性が頼んでいたバームクーヘン、それに元川さんが千春さんたちにくれた文旦。デリラも、きらきらした星雲といっしょにいました。こういうの、本当に大好き。
カバーを外すと、シンプルで落ち着いた印象を受けました。洋書みたいで、とっても素敵。

帯の文章も載せておきます。

見守っている。
あなたがわたしの存在を信じている限り。
ある日、千春はアルバイト先の喫茶店で客が忘れていった一冊の本を手にする。
人生は、ほんとうにちいさなことで動きだす。
たやすくない日々に宿る僥倖のような、まなざしあたたかな短篇集。

最後まで読んでくださって、本当にどうもありがとうございました。

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