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<白血病くらし> ことばのチカラ: 言われて嬉しかった言葉とその反対。

今回は、「ことば」の話。
白血病の治療中に限らず、言葉の持つ力を日々痛感しています。

いい意味でも、悪い意味でも。

言われる立場からでも、言う立場からでも。

相手の発したほんの些細な一言で、周りの温度が5度くらい上がったように、心がポカポカ暖かくなったり、たった一言なのに、聞いた途端に自分の感情がコントロールできなくなるくらいのイライラモードに突入したり。

言葉は時に(もしかしたら常になのかもしれない)、言葉以上の意味を持ち、その時々の自分の感情、環境に応じて、追加の意味と色味を含みながら私たちの心に届きます。もちろんそれは、何を言われても心の均衡を保てるだけのレベルに私が達してないからだというのもあるのですが、それでも言葉は私たちを最強にもするし、絶望にも陥れるものだと思うのです。

「言わなきゃよかった」も「聞きたくなかった」も実はみんなたくさん持っているのではないかと思います。私ももちろんたくさんあって、大切なことはすぐ忘れるくせに、あの日あの時言われた「あの一言」が忘れられないということもよくあります。でも、もしかしたら、それは私が思っている以上に「実は大切なこと」「強い影響を及ぼしたこと」だったから、頭が忘れないようにしているのかもしれないと考えると、ことばの持つ力の強さに改めて驚かされるのです。

治療中に言われたことば

治療中は多くの人が、直接的にそしてメールやカードを通して様々なメッセージをくれました。何より共通して言えるのは、そのみんなが私の回復を心から願っていてくれてたと言うことで、その想いに対して感謝しかないです。その想いに命を救われたと言っても過言ではありません。

そんなみんなに言われた沢山の言葉の中から、今回は私が言われて嬉しかった言葉、そして発言者の想いとは裏腹に、私が悲しくなってしまった言葉を書いてみようと思います。

周りに病気を治療中の大切な家族や友人がいて、「なんと声をかけていいのか・・」と思っている人もいるかもしれません。あなたの大切な人は、私とは違う人間で、私とは違う環境の中で前に進んでいます。これは、あくまでも私の主観的意見で、私の絆創膏が、その人にとってはナイフになるかもしれません。それでも、私の経験が、あなたの想いを形にする助けとなれば嬉しいです。

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治療中に言われて嬉しかった言葉

「あなたが受けたのは、癌の告知です。死の告知ではありません。」
癌の告知を受けた翌日に、同じく白血病の治療を行い、寛解に至った方に言われた言葉です。初め自分事として捉えられなかった癌の告知が、徐々に現実味を増す中で、やはり冷静さを失う時がありました。ドラマや映画で見る白血病患者は、抗がん剤に苦しみ、そして割と高い確率で死んでしまいます。私の持つ白血病の知識とイメージがその程度の状態で受けた「白血病」宣告は、やはりダークなものでした。理由がなんであるか表せないような大きな不安や悲しさに押しつぶされそうでした。そんな時に受け取ったのがこの言葉。

死への恐怖があったとは自覚してないのですが、「どうしようもないもの」に直面したのではなく、「どうにかできるもの」に向き合えばいいのだと思えたことは、本当に救いだったのです。この言葉を聞いてから、周りの世界が数トーン明るくなったこと、思考がよりクリアになったことを覚えています。

「これはプロセスだから。」
癌の告知を受けたことを伝えた時に、友人から受け取った言葉です。上の言葉と同様に、癌の治療があくまでも、私の人生のなかの過程に過ぎないことを感じられたことは、私に大きな安心感を与えてくれたと同時に、冷静に自分の置かれている状況を受け入れ、対処法を考えようという前向きな姿勢にしてくれました。

「チームゆりに入れてください。」
幸運なことに、私の入院していたアメリカの病院には、日本人のナースの方がいらっしゃって、その方から頂いたカードに書いてあった言葉です。以前の記事にも書きましたが、治療中に医療関係者の方々だけでなく、家族、友人がチームになって私をサポートしてくれたということが、私の治療はスムーズに進んだ理由の一つだと信じています。みんなが、私が寛解に至る、より健康になるという一つのゴールに向かって、自分のできることや持っていることをシェアしてくれたことで、私は自分の気持ちと身体に向き合うことにフォーカスできたし、常に守られているという暖かいエネルギーの中で毎日を過ごすことができました。私は一人じゃないんだ、と思える、このような言葉は私を強くしてくれました。

「ありがとう。」
どんな状況においても心から言われる「ありがとう」は嬉しいものです。「生きていてくれてありがとう」「刺激をありがとう」「勇気をありがとう」「あなたでいてくれてありがとう」「この経験を共有してくれてありがとう」などなど。みんなからいただいた、どのありがとうにも、こちらこそどうもありがとうです。

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聞いて悲しくなってしまった言葉

「羨ましい。」
癌を経験した人たち、九死に一生を得た人たちは、自分の死と向き合うことで、自分の生と向き合うことで、試練を乗り越えることで、自分の魂を成長させることができる、ハイヤーセルフと繋がる体験をすると言われることがあります。だから、私にとってもこの体験は意味があり、何かしらの学びをもたらしてくれるはずだから、ポジティブに捉えて治療をしてね、という友人からの優しいメッセージだったと思うのです。ただ、その後に「羨ましいくらいよ」と言われたことで、すごく落ち込んだのを覚えています。

確かに、癌の経験は私に多くの学びと、人の暖かさに触れる機会をくれました。貴重な体験であったことは間違いないことです。ただ、それを踏まえた上でも「ならなくていいという選択があるなら、やはりなりたくないもの」です。友人に全くの悪気がなかったのは分かっていても、病気になるということは、羨ましいと思われるようなことではないと思ったものです。

「ずいぶん楽観的ね」
信じられないことかもしれませんが、入院中にドクターから言われた言葉です。その日の前日は、髄液検査の結果が出た日で、私の主治医から私の白血病のタイプは予後良好のタイプで80%ほどの患者は骨髄移植なしで完治すると伝えられました。そして、次の日から一週間だけ問診を担当した新しいドクターに、自分の病気への理解を聞かれた際に、その旨を伝えたのです。すると、彼女は「それはずいぶんと楽観的な数字ね。せいぜい移植をしなくて済むのは60%、若い患者も入れて70%くらいね」と言ったのです。実は、彼女の専門は「骨髄移植」だったようで、I love transplant! とさえ言い放っていきました。

彼女は自分の医学的な知識と実績を誇りに持っていたと思うし、多くの患者の命を救える骨髄移植という医療行為は彼女にとって「命を救う」行為だったのだと思うのです。ただ、抗がん剤のみの治療に比べ、骨髄移植をするとなると、それによる肉体的負担、副作用や感染症のリスクなどが格段に高まります。そんな命が救われる過程において起きる患者の苦しみや不安への理解、完治できない人たちやその家族への思いやりを彼女から感じられなかった事が悲しかったです。

しかしそれ以上に、楽観的であったとしても、前向きに病気と向き合っている事自体を否定されたようで、そのことが悔しかったです。私は基本的に数値にとらわれずに治療をしていたし、私の主治医も「統計データなんてあてにならない。自分を信じて。再発の心配は再発率をあげるからね。」というタイプの人でした。それでもやはり、移植の可能性が低いということは嬉しかったですし、その安心感がさらに私を力づけてくれたのです。

今思えば、あのドクターは、私とは違った観点からから物事を見ていたことはわかります。ただ治療中は、起こるかわからない不安を与えられるよりも、今その時、しっかりと前を向いて立っているという私を尊重して欲しかったものです。統計値として何処かに存在する数字よりも、目の前にいる私を、私の心持ちを重視して欲しかったものです。

「大変な時期かなと思って言えなかった。」
私は治療だけに集中すべきだから、色々と忙しいからと気を遣って、自分の悩みとか困っていることを敢えて言わないようにと友人たちが遠慮してくれたことがよくありました。でも、それを聞いたときに少し寂しさを感じたのも事実です。私の状況が、「ふつう」でないことを突きつけられたような気分にもなりました。

私は病気になったことで、それまで以上に友人の大切さを感じ、だからこそ余計に私もみんなの役に立ちたい、話を聞くだけでもしてあげたいという想いが強くありました。だから、治療中ということに関係になく、いつも通り普通に接してくれて、友人の悩みも含めた日常を共有してもらえると嬉しかったです。癌の治療中という「非日常的な」新しい日常の中で、みんなのふつうの日常を感じられるのは、私にとって寧ろ幸せなことでした。

そして、言葉以上のもの

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一緒にわらう。それだけでいい。
最後に、言葉以上の力を持つことについて。それは、やっぱり一緒に笑うことかなと思います。今はコロナの関係でお見舞いに来れる人が限られていると聞きますし、無菌室で治療を行う人は、そもそも誰かが簡単にお見舞いに来れるという状況でないのかもしれません。ただ、私にとっては、お見舞いに来てくれる友人とするいつも通りの会話と、なんでそんなに面白いのかも分からないような、ただ一緒に笑った時間が何よりの栄養剤でした。

笑いが治癒力を高めることはすでに研究で証明されています。それがもし、自分の大切な人と共有する笑いだったら、自分の持っている治癒力以上の力となってくれると思うのです。私は自分自身でそれを確かに感じていました。


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これは、ある日突然、急性骨髄性白血病との告知を受け、「白血病治療中」という新生活を始めた私が、寛解に至るまでの7ヶ月間、どのように癌と向き合い、毎日をより快適に過ごすために何をしたのかなど、「白血病暮らしのヒント集」としての記録です。自分の価値を押し付けたいのではありません。こんなことを感じて、実行した人がいたということを知ることで、何かのお役に立てたら幸いです。

これらの記録は医学的根拠に基づくわけでもありません。一口に白血病と言っても、それぞれの体調や置かれている立場は様々であり、これらのことが全ての人に当てはまる、役に立つとは限りません。それどころか、時には寧ろ治療の妨げになってしまうこともあるかもしれません。そのことをご理解の上、あくまでも参考程度に読んでいただけたらと思います。


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