研究者、守破離の「離」に至る?
ゆーです。
みなさんには、型ってありますか?
どんな型でしょうか?
(最近、流行りの「○の型」という話ではありません。笑)
守破離って言葉が有名ですね。
まずは教えに従い型を作ってから、そのあと他のやり方も取り入れ、さらに出来上がったものから離れて自分なりの方法にしていく。
社会人になる前も、なってからも、この言葉をよく耳にします。
ただ、耳にするものの、正直あまり意識したことがありませんでした。
ある日、研究者らしく実験をしつつ、単調な作業で“頭が暇をしていた”ので考え事。
そして、ふと思う。
「あれ?俺、我流でいろいろやってね?」
つまりですね、守破離の「離」に到達してるんじゃないのかと。
でも、同時に、
「ゆー(ボク)流のやり方ってなんだ??」
とも思う。
言語化できないんです。
自分流のやり方ってなんだ??
(これについては、言葉で表せるようになったら、おいおい書いていきます。)
そんな自分のやり方もわからないのに、どうして自分が「離」に至ったと思えたか?
それはですね、いろんな人の手法を聞いたり、本を読んだりしても、感動を覚えなくなってきたからです。
これは研究と同じ。
“自分が想像もしなかったような革新的な方法”なら、別です。
それに関しては普通に感動しちゃいます!
何も知らない時であれば、新しいことを知るのは楽しいですし、試したくもなります。
でも、そうでないと心は動きません。
なぜか?
想像できるからというのもありますが、何よりもうまくいった人の方法を自分が実践しても成功するとは限らない。
なんなら、成功しないことの方が多い。
結局のところ、人それぞれ環境が異なるので、適切な方法も人それぞれ。
その人自身で合った方法を開発したほうがいい。
ただ、なんでも最初は素人なので、誰かの真似をするところから始めればいい。
研究なんて、論文の読み方を学ぶ前に論文の検索の仕方とか、実験の仕方を学ぶ前に器具の場所を教えてもらったり構造を教えてもらったり。
そこから自分一人で論文を読めるようになり、一人で実験もできるように。
時には、他の人がどうやって研究を進めてるのか観察したり聞いたりして、真似をしてみる。
どんな素人であれ、本質的にやることは同じですよね。
でも、ある程度のレベルにまで至ると、方法ばかり探しても意味がないことに気づく。
結局どんな方法であれ、自分でそれなりの成果を出せるようになって初めて、自分に何が必要だったのか、これからどう進めたほうが効率的か、などなどわかるもんです。
あるいは、成果を出すための自分に合った方法を探さないといけない。
何事も進めば進むだけ、取り組む内容も変わってくる。
そうなれば、必然的に方法も変わる。
誰かの方法を延々と試してるだけでは、最適な方法に至ることが難しい。
どんな方法であれ、チューニングしていく必要があります。
もちろん、感動しないからと勉強しないのではなく、知識として色んな方法を知っておくことは必要ですけどね!
素人のうちは生み出せる成果も小さいので、新しい方法を試してみると、いい結果が出ることもあります。
でも、それは“素人がやってみて生み出せる成果”で止まります。
そこから先の大きな成果を生み出すには、自分なりのやり方で探さないといけません。
こういうことに気づけるようになったので、守破離の「離」に至ったのかなと思えました。
ここからは自分流のやり方で結果を出すのみです。
色んなことを勉強しながら、自分のやり方を築き上げて成果につなげてみせる。
まだまだ道半ば。