見出し画像

博士号取得への意識:Ph.Dとは

ゆーです。

ボクは学生時代に博士号を取得しました(ちなみに理学博士)。
6年間の研究室生活を経て、無事社会へ!

会社に入ってからは?というと、周りにも博士が“ちらほら”いる環境です。
で、思う。

「博士号を取ったと言ってもピンキリやなぁー」

まぁこれはどんな業界でも、どんな職種でも同じで、いくら博士課程がそこそこキツいものだと言われていても、実態はピンキリなんじゃないかなと

さらに観察を続けてみる。
巷では、博士課程はキツいとされていて、それを乗り越えてきた猛者が多いので、それなりに仕事もできると思われてたり思われてなかったり。

「できる人とできない人の違いはなんだ?」

もちろん、所属していた研究室のレベルはあるかと思います。
めちゃくちゃゆるい研究室は実在しますし、そこで博士号を取得するのは簡単だったりもする。
指導している先生がめんどくさがりで、留年させたくないとか、いろんな事情でテキトーに博士号を与えるケースも聞きましたし、見かけもしました。

でも、レベルの高い研究室出身だからって“仕事”ができるかどうかは別かと思います。
“研究ができること”と、“仕事ができること”は別問題。

「じゃあどういう人ができる人なんや?」

行き着いたのが「哲学」
学問としての哲学ではありません。
その人自身の持つ人生哲学であったり、ビジネス哲学であったり。
そういうのが、しっかりしてる人は“仕事もできる”気がします。
(ちなみにボクは「相手目線に立って何事も提供したい」という哲学で生きてます。いつか詳しく…)

おそらく、自分の中に「何かを選択するときの軸」があるからなんだと思います。
全てのことに一貫性も取れますし、迷うことも少ない。
わからなくて悩むことはあるかと思いますが、そこで下す決断も自分の中にある軸に沿ったものに

必然と決断のスピードも上がりますし、「どういう人間か」というのが、周りから見てもわかりやすい。
自然と信頼感も高まります。

結果、いい仕事に繋がってるのかなぁと。

“博士号”は、英語で“Ph.D = Doctor of Philosophy”です(ラテン語で Philosophiae Doctor)。
博士号を取得するということは、自分の中に哲学を持つことなのかなと。

博士号を持っていない他の人を見ていても、仕事ができる人は哲学を持っているように思うんです。

博士号が大事なんじゃない。

自分の中に核となる「哲学」を持てるか否か

これが大切なのではないでしょうか。

自分をしっかり持ってる人は、輝いて見られることも多いです。
自分なりの哲学を作り上げていくこと、これがボクの行き着いた学びです。

いいなと思ったら応援しよう!

ゆー博士
気づきなどのきっかけになれば幸いです。やはり応援していただけるのは、ものすごく嬉しいですし励みにもなります。またぜひお立ち寄りいただければ… (いただいたサポートは、今後の活動資金にさせていただきます。何かしらの形で還元させていただければと思ってます。)

この記事が参加している募集