「善人」による無理解が見事に描かれた映画『82年生まれ、キム・ジヨン』
81年生まれの私が原作本を読んだのは去年の春のことだ。韓国語教室を開いている母が教材として使っていたことで、勧められたのがきっかけだった。
カルテという形式で書かれているこの本には、韓国で生きる女性が遭遇するあらゆる不条理や差別、マイクロアグレッションが淡々と描かれている。その多くは、日本に生きる女性も経験する内容だ。韓国の価値観が残る家庭でジヨン同様姉と弟に挟まれて育った私には特に共感できる部分が多く、幼少期からのモヤモヤをうまく言語化してくれた本だった。
その映画が先週公開された。事前に「原作とは少し異なる」という評判を耳にしていたのでどうかな、と思って観に行ったのだが、結果的にこの数年見た映画のなかで一番泣いた。感動したのではなく、辛かったからだ。
女性を苦しめる数々の不愉快な「あるある」
映画では「あるある」な状況や言動がこれでもかと出てくる。
たとえばキム・ジヨンが勤めていた頃のシーンでは、育休から1ヶ月で仕事に復帰し、子育てのほとんどを自らの母親に任せている女性部長が出てくる(この女性部長に夫がいるのかどうかは不明)。そんな部長に対し、理事長は「母親の愛に飢えた子は反抗期がひどい」などと言う。それに対して部長が抗議すると「言い過ぎ」「怖い」という反応。その後部長がおどけて「会議を始めましょう」とやり過ごすと、その姿を若手は「かっこいい」と言い合う。
本来ならば怒るのが正当な状況なのに、嫌がらせする相手の面子を潰さず乗り切ることが「正解」となってしまうという、男性社会における女性の不条理な処世術が描かれているのだ。
これ以外にも映画前半は次から次へと嫌な状況が登場する。ジヨンをこき使う義母、弟ばかり大事にする親族、少女時代のジヨンにつきまとう同級生、子連れのジヨンに暴言を吐く通りすがりの人、セクハラ研修を受けて「窮屈な時代になった」という夫の同僚。見ていてもうめちゃくちゃしんどい。
心配はするが理解しようとしない「善人」の夫
しかしこの映画を見ていて何よりも辛いのがジヨンの夫・デヒョンの言動である。
優しく、娘の世話を「手伝い」、妻を一生懸命心配する夫は見るからに「いい人」だ。自分が育ってきた価値観のなかで多くの女性が我慢してきたということは知らないが、善人だ。自分が特権を享受しているということに気付かず、ごく自然にそれを当たり前だと捉えている善人。妻がそれに合わせている限りはそこに問題があることにすら気付かない善人。そしてなんとなくまずいことはわかっているものの、それでもなお周りの大きなものに巻かれてしまう善人。これらの前提から抜け出すことなく妻を心配する善人なのである。
だから彼は、少しずつ壊れていくジヨンを心配しても、決して自ら原因を探ろうとはしない。「休んで」「病院に行って」と繰り返すのみである。心配しながらも夜まで家事に追われる妻をビールを飲みながら眺めているシーンも印象的だ。
ジヨンと娘が2人でジヨンの実家に行くシーンでは、夫はジヨンを心配して「疲れたら電話しろよ」と言う。しかし「電話したら助けにきてくれるの?」と尋ねるジヨンに何も返せない。また、自らの育休取得を提案しておきながら、母親(ジヨンの義母)の反対に遭うと「別の方法を探そう」と言う(これを聞いたジヨンは裏切られたような表情をする)。ジヨンのことを心配し、何かを解決しようとしているのは本当だとしても、本当に解決すべき問題を理解できておらず、ただ口当たりのよい言葉を並べるに過ぎないのである。
そのため、壊れてしまった娘の姿を目の当たりにしたジヨンの母が「どうしてこうなってしまったの」と言っても、夫は返す言葉を持たないのだ。
社会構造が生むマジョリティ側の無理解
ここに描かれているのは、社会的弱者が経験してきた不条理をまったく意識することなく育ってきたマジョリティ特有の無理解だ。その背景にあるのは、格差や不平等が当たり前の社会構造である。その構造のなかで何の疑問も持たずに特権を享受して育つと「悪気なく無理解な善人」が出来上がる。
こういう人たちは「いい人」なので、対峙する側はモヤモヤしながらもそれを形にして伝えることができない。善人との生活には一見問題など何もなさそうに見えるからだ。実際、傍から見ても「何が不満なの」と理解されないことが多い。しかし、近しい人の無理解は本当に辛いものだ。一見幸せなようでいて、心のなかに空洞を抱えるのである。そしてその空洞は、じわじわと大きな穴となっていき、心を蝕んでいく。この映画ではまさにその様子がしっかりと描かれている。
問題はこの善人の価値観というよりも、こうした善人を生む社会構造そのものである。実際、今日のハフポストに掲載された監督のインタビューでもこう書いてある。
「ジヨンの夫の性格が悪いとか、ジヨンの父親が厳しすぎたから、というだけではないと思うのです。デヒョンなど身近にいる特定の男性をわかりやすく“悪く”描くことで、それをジヨンが病んでしまった原因だとはしたくなかった。
ジヨンの苦しみを、個人や夫婦の問題として矮小化するのではなく、その背景にある、女性蔑視や差別を生む社会的な構造や制度について踏み込みたいと思いました」
実は原作本では夫はここまで登場しない。映画では夫の比重が大きくなったことに賛否両論あったようだが、見た感想としては原作のジヨンの状況を補完し、圧倒的なリアリティを見せた見事な映像化だった。現実を基にした小説だからこそ、生身の人間が演じたときに強大なインパクトを持つ。小説を映像化したもののなかでも、元々の世界観を広げるような、新しいかたちの映画だったのでないだろうか。
Image by manu zoli from Pixabay