カラオケバーに行った話
カラオケバーマンハッタン。
越後湯沢のホテルニューオータニでチェックインを済ませ、お目当ての居酒屋に向かおうとしたら見かけた。ホテルのすぐ隣という立地。居酒屋で飲んだあとの2軒目に来るのもいいかもしれない。
カラオケバーという響きは少し安っぽい気もしたけれど、店構えは悪くなかったし、ホテルも近いし、何よりもグーグルマップの点数が4.9とめちゃくちゃ高かった。しかも口コミの数は294件。グーグルマップで4.0を超えていたらなかなかいい店。4.5を超えていたら名店である。それが4.9とは! 越後湯沢のそんなに賑わっているわけでもない温泉街でどうしてそんな高得点を叩き出しているのか、調査してみたい気分もあった。
でもまずはその前に居酒屋で腹ごなし。
居酒屋湯沢釜蔵で腹を満たしたあと、坂道を上りマンハッタンを目指した。
最初見かけたときはまだオープン前の少し薄暗い感じだったけれど、今は入り口に灯が灯っている。
バーには入り慣れているものの、カラオケバーは恐らく初めて。それまでにいい感じに酔っぱらい、大地の芸術祭で1日歩き回りヘトヘトになっていたのも良かったかもしれない。少し緊張しながらもドアを開け、足を踏み入れることができた。
お客さんいるのかなと思ったけれど、全然いた。先客は4人くらい。皆カウンターに座っていた。談笑しているその感じから、地元の常連客なのだと分かった。
若い女性の店員に「カウンター空いてますよ」と言われ、カウンターの一番奥に座る。1時館30分でチャージ1500円、飲み放題もあると言われたけれど、この日はすでにたくさん飲んで酔っぱらっていたので、単品での注文にする。
ラムコークを飲んでいると、ギャルみたいな店員が「どうぞ」とカラオケの曲を選ぶ端末(デンモク?)を渡してくる。けれども店内は歌い出すような雰囲気では明らかになかった。歌っている人なんて誰もいない。
4人の男たちは楽しそうに2人の女性店員と話していた。明らかに地元の常連トーク。
カラオケバーというか場末のスナックみたいだった。
場違いな場所に来てしまったかな、と感じながらお菓子をつまむ。
誰か話し相手になってくれたらいいのだけれど、常連客で盛り上がっていて、そういう雰囲気ではない。
普通の日なら疎外感を感じて逃げ出したくなっていたかもしれない。でもこの時はちょっと違っていた。
昼間は新潟の十日町で行われている大地の芸術祭に行って、アート作品を浴びるように見ていた。つまり、ハイになっていた。
芸術は爆発である。そしてここはカラオケバーである。カラオケバーマンハッタン。誰も話し相手になってくれないのならば歌えば良い。
デンモクを手に取り、操作する。秦基博の「Rain 」。曲が流れ出し、歌った。ハイになっていたし酔っぱらってもいたし、それなりに歌い慣れていた曲だったのでアウェイな空気感の中、歌いきった。客も店員もお喋りに熱中してろくに歌なんか聞いていなかった。
でもそれが何か良かった。温泉街の場末のカラオケバーで、常連客がお喋りに興じる中、旅行者の新参者がひとり熱唱している。
それって現代アートだ。そう思った。僕は僕にできるアートをやるんだ、今この瞬間。
何しろハイになっていたし、酔っぱらっていた。さっそく次の曲選びを開始した。
Rainはバラードだから、次は盛り上がる曲がいいと思った。槇原敬之のどんなときもを選曲する。
あのキャッチーなイントロが流れ出した、その時だった。店のドアが開いてたくさんの人が店内に流れ込んできた。それまで静かだった店内が突然喧騒に包まれる。
何かの楽器を叩いている人もいたし、「どんなときも~」と叫んでいる人もいた。パリピの登場だった。まずい、と思った。これは幾らなんでも多勢に無勢すぎる。
そう思ったけれど、曲のイントロ部分は終わろうとしている。覚悟を決めないといけなかった。
僕はマイクを手にとり、そして歌った。熱唱した。歌いきった。
マイクを置くと、目の前には派手な服を身に纏った60代位の女性が立っていた。この女性は僕が歌っている間にマラカスを叩いたり絶妙な合いの手を入れたりしてくれた。
「何者?」とその女性は言った。僕は答えられなかった。僕は何者なんだろう?
「私はここの大ママよ」
女性は胸を張って言った。そうだろうなと思った。明らかにその女性はそんな雰囲気を漂わせていた。でもママじゃなくて大ママなのか。
大ママは真剣な眼差しでデンモクを操作し、昭和の曲だけど、と言って曲を入れた。
歌手も曲名も知らなかったけれど、サビの部分は聞き覚えがあった。ああこの曲か、と思った。
さすがカラオケバーの大ママである。歌い慣れていた。上手かった。でも時々は音程を外したり歌詞を間違えたりして、絶妙な感じだった。そしてサビでは右手をつきだし、アイドルみたいに振った。これもある意味現代アートだと思った。
歌い終えるとさすがに大ママが歌った為か、みんな拍手した。でもいつものことなのか、そんなに力のある拍手でもなかった。
その感じが何か良かった。
「ほら次歌って」
大ママにデンモクを手渡される。しょうがないなぁ、と僕も次の曲を入れる。2杯目のレモンサワーを飲み始めていて、かなり酔っ払っていた。選んだのはハナレグミの「オリビアを聴きながら」。大ママが昭和の歌を歌ったので、対抗するつもりだった。
杏里のオリビアを聴きながらをハナレグミっぽくアレンジしたバージョンのその曲は、その場の気分で何となくいい感じに歌えて歌いやすい。映画『君の鳥はうたえる』で石橋静河が歌っていたのがすごく良くて、それ以来真似して歌うようになった。
歌い終えると「そんなアレンジもあるのね」と大ママは感心したように言って、デンモクを操作し始めた。
その辺りからカラオケバーマンハッタンはカラオケバーたる本領を発揮して、みんなが代わる代わる歌うモードにシフトした。
その間にカウンターの席に座っていた客の一人は、いつの間にか客席を離れてステージの方に移動していた。
そう、このカラオケバーにはステージがあったのだ。
ステージにはドラムやピアノやギターとか楽器がたくさんあって、ちょっとしたライブハウスみたいになっていた。
「あの人はね、プロのドラマーなの」
大ママは言った。
プロのドラマーだというその客は、他の常連客がB'zのラブファントムを歌う中、リズミカルにドラムを叩いている。確かにそれはプロが奏でる音だった。
そしてまた僕のターンがやってくる。
何を歌おうか。ノリのいい曲が続いていたので流れに乗ろうと思った。
選んだのはWANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」
B'zに対抗できるようなレパートリーは僕の中でWANDSしかなかった。
歌い出すと、大ママに手を引かれた。
「こっちに来て」
大ママに連れられるがままに、僕はステージに上がった。
後ろではプロのドラマーがドラムを叩いている。テンションが上がった。アドレナリンが出た。僕はステージの上で力の限り熱唱した。現代アートの時間は終わって、今はロックの時間だった。上杉昇になったつもりで眉間に皺を寄せ、力の限り歌った。
歌い終えると、みんな拍手をしてくれた。頭には、いつの間にか大ママに被らされていた変なハットがあった。
いい夜だった。そして不思議な夜だった。40代くらいの男性客がかん高い声で女性アイドルの曲を熱唱する中、店内を見渡す。
すぐ近くのカウンター席では、個性的な顔立ちをした常連客が、大ママの娘と談笑しながら飲んでいた。大ママの娘はフリフリした女の子っぽい服を着ていて、他のギャルっぽい店員とは毛色が違って見えた。二人が横並びで談笑する様は、さながら美女と野獣のようだった。常連客は男前とは言えない野性的な顔をしていたけれど、その笑い方には品があった。
その向こうのテーブル席では、アイドルの歌を歌っている男の他にも何人かの客、そしてギャル店員が座っていた。共通しているのは皆楽しそうな顔をしていたことだ。
楽しそうだけれどばか騒ぎという感じではない。飲んで楽しい、歌って楽しいというのももちろんあるだろうけれど、それ以上にこのカラオケバーマンハッタンにいることそれ自体を楽しんでいるように見えた。
彼らにとって、この場所はとても大切な場所なのだ。彼らを見ているとそれが分かった。
それからも僕はたくさんの歌を歌い、他の常連客や大ママも歌った。ギャル店員も歌い、大ママの娘も歌った。
プロのドラマーはずっとドラムを叩き、そしてB'zのラブファントムを熱唱していた男はいつの間にかピアノを弾いていた。そう彼はピアニストだったのだ。
彼がピアノを弾くなか、僕はZARDの負けないでを歌った。負けないではキーが高すぎるし上手く歌えないことは分かっていたけれど、でも歌いたかった。かん高い声で女性アイドルの曲を歌う常連客に触発されたせいもあったかもしれない。
上手く歌えないけれど歌いきった。とにもかくにも全力で歌いきった。
時刻は23時15分位になっていた。2時間半はお店にいたことになる。時間制でチャージがかかるお店なのでいい頃合いだった。チェックを依頼する。
最後帰るとき常連客たちにも挨拶をする。皆笑顔だった。また来てくださいと言われる、
アウェイだな、と最初店に入ったとき思ったけれど、店を出るときはまるでホームみたいだった。
店に入る前に降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
盛岡にもこんなカラオケバーあるのだろうか。調べてみよう。
そしてカラオケバーマンハッタン。
大地の芸術祭はまだ全然見きれていないし、そのついでにまたいつか来たい。
その頃までに、最近の曲ももっと練習してカラオケのレパートリーを増やしておこう。
越後湯沢の夜空を見ながら、そんなことを考えた。
すぐ隣のホテルニューオータニに戻り、温泉に入って床につく。その日はぐっすりと眠れた。