声を出して笑うことができなかったタイムは「まいにち大喜利」で少しずつ、声を出して笑えるようになってきた🤣
私は小さい頃から笑わない子。
正確に言うと、ニコニコはできるけど、ガハハハハと声に出す笑いができなかった。
一応、ニコニコはしているので、印象は悪くなかったと思う。でも、ジャイアンのように大声で笑い飛ばすなんて恥ずかしかったし、そんな風に笑うのは下品と蔑んでもいた。
元旦那はお笑い番組を見て、大声を出して笑う。どこにいても聞こえるその声にイラッとしたことも多く、笑っている暇があるなら、少しは手伝えや!と心の中でマグマ爆発。
最近、長女が元旦那そっくりと思えることが増えた。体型も顔も私寄りなのに、テレビ番組等を見て、笑っている姿が彼と同じテンション。
娘なのでイラッとはしない。だけど、一つの疑問が生まれた。
「どうして私はこんな風に笑えないのだろう?」
映画が大好きでよく観に行く。その時、号泣することはあっても、大爆笑したことはない。面白いとは思っているけれど、声を出しては笑えない。
生きていく日常は爆笑しなくても問題なし。だから、ツラッと過ごしてこれたけれど、フッと思った。
「あー、声を出して笑いたいなあ」
笑点に出ている人の落語を見たことがある。多分、演目も有名所だったとみえて、周りの人は大爆笑。それを眺めながら、この人達は笑うためにここに来ているのかもと感じたことを思い出す。
骨折してから、時間の流れが明らかに変わった。ひたすら時間を飲み込んでいたゲームが本に変わり、疲れたからと寝てばかりいたのが動画を見るように。そして今、1番見ているのが
「まいにち大喜利」この動画が推しなので、貼り付けてみた。
爽やかさのカケラもなくて、ブラックな要素も強い回。でも、私はこれを見て「クスッ」と笑った。
「あ、笑ってもいいのか」
声を出して笑っている自分に気づいた時、笑うことがダメだと思い込んでいたこと発見。
ニコニコはOKだけど、声を出して笑ってはいけないという謎の呪いを何年、背負い続けてきたんだろう。
しかも、私、笑ってる!と気づいた時の回答者がトム・ブラウンのみちおくんだった。正統派というよりは、かなりねじ曲がった感じ。その答えを笑っていいと許可した脳みそ。不思議過ぎる。
他にもこのシリーズの動画を何本も見ているのだが、声が出る時って、下ネタだったり、ブラックだったり、よくわからない世界観だったり、ちょっとクセありが多い。
「私、変態やん」
そう思っただけで、口角がちょっとだけ上がる。
あー、私、変態だったんだ。変わってるとよく言われるけれど、変態だからそりゃそうかと妙に納得。
まだ、元旦那や長女のように大爆笑はできないけれど、この調子で笑い続けていたら、いつかは周りがシンッとするような答えでも、気にしないで笑えるような気がしてきた。
また1つ、何かを開放したタイム。
やっぱり、いくつになっても人生は最高だ。
すべてが学びですべてが面白い。
また後で「まいにち大喜利」を見ようっと。