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「おもんな。」

昨日、急に腹の底からでてきました。

一体、何がおもしろくないのか?
自分にとって「おもしろい」って何なのか。

いつも通り、深掘ってみました。


1.出来事を振り返る

まず、何があったのか。
思いつくままに話します。
大体こういう時は、旦那にきいてもらっていますが
特に大きく共感も批判もせず、「そうやったんやー」
くらいで、聞いてくれます。

今回は、自分が仕事として受けているプロジェクトの中で
ある部分の設計を、人にお願いしたく相談したけれど
思うような進展が得られなかった。というのが大まかな出来事です。

なんとなく、相手の返答から、「自分にとって迷惑事でメリットがない事だから。」と断れたような気がしてしまい

「結局私がやることになって、また自分の想定範囲内の予定調和しかうまれないのかよ。」
「あーあ。なんか最近、おもんな。」
と思いました。

2.事実と自分の解釈を整理する

ものごとには、人それぞれの解釈がある。
という考え方を前提にしています。

今回の出来事も、直接的に「自分にとって迷惑事でメリットがない事だから。」と言われたわけではなく
自分が思いたいように解釈をしている部分があるかもしれない。
という前提を持つことが、沼にはまらないコツです。

事実として、打合せを行った結果、こちらの依頼内容への承諾にはいたらなかった。それだけです。

その結果に至るまで、はっきりと断られなかった事や
相手からの投げかけとして「自分でやったらいいのでは?」という言い方がどうも自分の解釈の癖に刺さってしまったよう。
冷静に、その前後の情報も加味すると
・狙いがクリアにならないと作業がしづらく、そこがまだ飲み込めていない。
・自分でやった方が納得感が強いのではないか。
・そこに専門性を投じる必要性を感じない。(今の用途なら、現状の設計体制のままでも問題ないと感じる)
など。

「自分でやったらいいのでは?」という意図の解像度がかなり上がってきた感じがします。

まぁ、かなり受け手に工数がかかるし、予定よりミーティング時間も長引いた中で私が粘ってしまったので、話すほど落としどころの整理がつかないなぁと思わせた部分も、あるのかもしれない。
これは、本人から聞いてないから、想像でしかないので引きずらない。笑

3.どうしたかったのか?自分の願いを聞いてみる

結局、どんな願いや欲求が満たされない事が今回の「気持ち」や「解釈」を引き起こしたのか?

まずは、今回の解釈から、自分が感じたのは「怒り」なのか「がっかり」なのか。結論として、感じていたのは「がっかりとさみしさ」でした。

自分の願いとして、信頼できる仲間と自分の力だけでは作れない・自分のだけでは想像もつかないようなものをクリエイトしたい。だから巻き込まれてほしいし想像を越えたい。そう思っていました。

そこに、自分は仲間だと思われていないのではないか?
面白い・価値がある企画だと思われなかったのか?
などグルグルしていたようです。

物事を分けて考え、くっつけたり離したりする。
というのがポイントかもしれません。

4.変化点を探り、仮説を立てて今後のアクションを考える

私にとって、おもろい状態というのは
仲間と自分のだけでは想像もつかないようなものをクリエイトしたい。
巻き込まれ、巻き込んでもらうことで、自分の想像を越えたい。
そんな状態かもしれません。

今回に限らず、最近ずっとなんだかおもろくないなぁ
と思っていたような気がします。

おもろかった頃と今の変化点は何か?
・教育に固執して、新しい分野に触れたり異なるチームでフルコミットしていない
・任せきったりする事ができていない
・想定外を受け止め、生み出すアンテナが弱まった(堅実主義になっている)

じゃあ、自分のおもろいを生み出すためには
・違った人とも組んでみる、違った分野や次元にチャレンジする
・そのために、マイルストーンを改めて見直しアンテナの立て方を変える
そんなことが見えてきました。

最後に

今回、プロジェクトの一部設計をお願いした人に関して
冷静になると、そもそも打合せの提案を受けてくれたという時点で
思っているより、興味がないわけではなかっただろうし
私が設計しないといけない部分を、指摘してくれた事ってかなりありがたい行動だったのでは?と今になって思います。感謝。

そして、この整理に至るまで、私の独り言をちょうどいい距離感で聞いてくれた旦那にも感謝。

自分はちゃんと人を信頼できるし、人に恵まれているという事を改めて思い出すきっかけになった気がします。

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