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毒親と絶縁しない生き方を選ぶ。
初めての方はコチラをご覧ください(*˘︶˘*).。.:*♡
「毒親」って何だろう
日本では2008年から「自己愛」に関する本の出版が増え始め、2015年に「毒親」という言葉が流行ったそうですね。
今は手元に置いていない本ですが、8年前に『毒になる親 一生苦しむ子供(スーザン・フォワード)』を読んだ記憶があります。この本では「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」のことを「毒親」と呼び、それを7項目に分類しています。
◯神様のような親
◯義務を果たさない親
◯コントロールばかりする親
◯アルコール中毒の親
◯残酷な言葉で傷つける親
◯暴力を振るう親
◯性的な行為をする親
次に「虐待」とは、「むごい扱いをすること。繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること」とされています。また虐待行為は5つに分類されています。
◯身体的虐待
◯心理的虐待
◯性的虐待
◯経済的虐待(金銭的虐待)
◯ネグレクト(養育放棄・無視)
「毒親」の7項目の分類だけを見ても、なんとなく「毒親」とは「子どもを『虐待』する親」のことを指していることが分かりますね。
ただ「毒親」に比べて「虐待」という言葉は、暴力やネグレクトなどによって「大切な命が失われてしまう」というような激しくて恐いイメージを持ってしまいます。
いずれにしても「毒親」と「虐待」の分類に共通して言えることは、子どものココロに大きな傷を負わせ、「子どもの健全なココロの成長を阻害している」ということです。
「毒親育ち」と認める
10歳頃から「死にたい」と感じてしまっていた私は、大学生のときに自身を題材にした論文を書きました。
そのときに『たすけて!私は子どもを虐待したくない 世代連鎖を断ち切る支援(長谷川博一)』という本に出逢い、自分に起こっている「死にたい」という普通とは違う現象について、「私はこんなにもツラかったんだ」と論文で表現し、毒親から自立する第1歩を踏み出したように思います。
その論文では、親が私を育てるためにしたことは「虐待」ではなく「間違ったしつけ」であったのだと結論付けました。
私には言葉では言い表せない「虐待」とは違うナニカがあったのです。
そして健全な子育てについて学ぶ機会の無かった両親のもとで、健全な子育てに無自覚なまま育てられた私は、健全な「自己肯定感」を育めるはずがなかったのだと感じました。
不健全な家庭環境で育った私は、広義の意味でアダルトチルドレンなのでしょう。そんな私にとって「この世で生きていくこと」は非常にツラいものでした。
自己肯定感を育む
上述の通り、私は両親から「虐待を受けた」とは認識していません。
当時は「毒親育ち」という言葉が無かったので論文では「間違ったしつけ」と表現しましたが、「毒親」という言葉が流行った今、きっと多くの人は「虐待を受けた子ども」として生きるのではなく、「毒親育ちの子ども」として生きることを願うでしょう。
それは「虐待」という言葉の印象があまりにも悪すぎて、「自己肯定感」の低さや生まれ持った「敏感さ(気質)」が故に、大人になってまで「虐待を受けたというレッテル」によって更に傷つきたくないと思うからです。
そして更に「大人の私が苦しんでいるのは『毒親』のせいだ」ということが拠り所となり、幼い頃に手に入れることのできなかった「自己肯定感」を育んでくれるからです。
日本では親を批判することは道徳的にタブーに近いのですが、なんちゃって「毒親育ち」では無い限り、「私は『毒親育ち』だ」と公言できることは良いことだと思っています。
ただここで自身の歩みをとめて欲しくはありません。この非常に重たい大きな1歩だけでは、全くあなたの「生きにくさ」を解決してくれないからです。
スタートラインに立ったあなたは、これから途方に暮れてしまいそうな自覚化作業を繰り返して、幼い頃に得られなかった「自己肯定感」を育ていくしか方法がないからです。
無自覚な子育ては危険
『毒になる親』には「子育てというのは決定的に重要な技術を必要とする仕事のひとつなのだが、残念なことに、ほとんどの家庭においては経験から学んだ勘を頼りに手探りで進んでいかなくてはならないのが現状だ。この分野の研究が進んだのはごく最近のことであり、私たちの親の世代までは、子育ての方法については、ほとんどの場合あまりそれが上手ではない人々、つまり彼ら自身の親から学ぶ以外になかったのである」と書いてあります。
無自覚な子育てによる正・負の世代連鎖。
どんな親でも「毒親」の要素を持っていると想像できてしまいます。
だからこそ毒親ブームが忘れさられる前に、無自覚な子育てによる正・負の世代連鎖、特に「負の世代連鎖を断ち切る方法」について、たくさんの人に学んで欲しいと願っています。
生き方を選ぶ
毒親に関する本では「距離を置く→対峙する→絶縁する」という対処法が、具体的な「成功事例」と共に語られがちです。「最初から親がいない人もいるのだから、親は無かったものと思え」と言う専門家もいるようです。
でもね、私は対峙・絶縁をやってのけるだけのココロの強さは持ち合わせていません。そんな私には対峙・絶縁は力強すぎてツラくなるアドバイスに聞こえてしまいます。
もちろん「暴力が酷い毒親」などのケースではそれで救われるかもしれないことは理解できますが、そうできないことに傷つく人もいると思います。
もっと言えば、対峙・絶縁はその場しのぎの対処法になってしまうのではないか、という危惧すらしています。
それをしてしまうと、表面的なツラさは軽減するかもしれませんが、真に精神的に自立できず、親を見捨てたことへの「屈折した後悔」を抱えた人生を生きることになってしまうのではないか。
大学生の頃の自分にできた対処は「負の世代連鎖を断つ」ために毒親から物理的・心理的な距離を置くことでした。
それは当時の私にとってのギリギリ精一杯でしたが、今となっては、対峙や絶縁に逃げず、毒親から付かず離れず距離を置いたまま、毒親を通して自分の内面を自覚しようとし続けることが、自立するための対処法になるのではないかと感じています。
だからこそ私は今もなお対峙・絶縁を選んでいません。
「3ヶ月に1回くらいは電話する」や「2ヶ月に1回くらいは孫の顔を見せる」という世間体を考慮した距離感で、毒を喰らいながら消化することを繰り返し、ココロの痛みや苦しみと向き合いながら、真に自立した大人になろうとしています(適切な距離感はケースによって様々ですが)。
毒親育ちの皆さんはどんな風に生きていきたいと思いますか?
どうか皆さまがココロ穏やかに、
今よりももっと「楽に」生きていけますように。
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