今を生きるという事
先日私のパパが亡くなりました。
自分の中でもまだ全部の整理はついてないし、日記として自分の中だけで収めておくか迷ったけど、もし同じような経験がある人や、今何かに悩んでいる人がいたとしたら、あぁこんな事もあったんだな。と参考になるかなと思って記録を残そうと決めました。
親しい人たちは私がどんな状態だったか知っていると思うけど、全く知らない人もいると思うので、簡潔に言うとパパにはお酒の問題がありそれで苦しんでいました。
それについては長くなるので、また今度書こうかな。
今回書きたい事はパパの死を通して私が感じた事と学んだ事について。
私はその問題を解決する為に自分が出来る事をやり、パパをサポートしていた。でも一人ではできない事もあって、それを助けてくれた周りの人たちの大切さに改めて気付かされた。
行動で示して支えてくれた人、優しい言葉をかけてくれた人。
みんな本当にありがとう。
いろんな土地に行ってイレギュラーな対応してきたから経験値は高いと思っていたけど、それでもお金の支払いとか物事を決める中でメンタルに来て不安で眠れない日も多々あった。(2年前に自分自身が不安定だった時とはまた違う不安感)
その度に相談に乗ってくれた友達や彼のおかげで正解か不正解かは分からないけどとりあえず進めて行くしかない。という覚悟がついて整理しながら進めていた矢先に亡くなってしまったので正直いまでも自分の行動が正解だったのかは分からない。
言い出すときりが無いけれど自分の決断がきっかけでお父さんが最後こうなってしまったのかも知れないと思ってしまう事もまだある。
でも何も行動を起こしていなかった場合を想像すると、それよりはいい方向に進んだかなと思うし、そう決断したからこそ支えてくれる人に出会ったり、思わぬ助けがあったり。周りの助けが当たり前じゃ無いからこそ人へ感謝の気持ちを持って接する大切さを感じた。
人って基本的にはめんどくさいものに蓋をしがちで、モノや人の断捨離だったり、職場だったり、住む地域だったり。やってみると意外と簡単な事だけど過去の記憶に呼び止められて行動する事を躊躇してしまう。
自分もまさしくそうで大阪に帰るって決断するまでに少し時間を要したのも、大阪に帰ったら向き合わないといけない事があるって思って気が重くなったし、もちろんその時自分が築き上げた沖縄の生活を一旦手放す事も最後は寂しかった。だって0から作り上げて最後には第二のホームと思えてたから。(いつでも沖縄に帰れる事も分かってたけど。。)
でも結果的に向き合う時って言うのは遅かれ早かれくるもので、それが人生のトピックの1つなので、学んだ事その二は、やらないといけないと思った事が大きな事象だとしてもとりあえず1歩進める。
1日後、1週間後、3ヶ月後、数年後、絶対にそれと向き合う日がくるから。ならなるべく早い方がいい。その分人生に厚みが増すと思うから。
パパが無くなる最後の1週間、私は連絡をとっていませんでした。退院して2週間は頻繁に連絡を取っていたけど、なぜかその週だけすっぽり空いていた。頭の中では気にかけていたけど、自分の事もしてたから忙しいを理由に行動していなかった。それは本当に後悔。その前の週みたいにランチに行けば良かったなとか、家に遊びに行けば良かったなって、、
人は少しの後悔をしながら生きて行く人が大半だと思うけど、私は後悔するのが嫌い。特に行動の面に関しては自負してたから思った時に即行動するのが得意な方だけど、それでも最後に思ったのはやる事があったと言えどそこまで24時間忙しかったわけでも無いからできたよね。って
だから学んだ事その三は後回しにする前にやる。プラスの事は思った時にやる。
マイナスな感情、例えば喧嘩してて思っても無いマイナスな事言うとかそう言うのって冷静に判断するために時間を少しとった方がいいけど、プラスな出来事、例えば謝るとか、愛を伝えるとかってマイナスになり得る事が無いから、思った時にするのがその時の一番の正解なのかなって思う。
だって伝えれなくなる時が急にくるかもしれないから。
会いたい人にはすぐに会いに行く、仕事で言ったら報連相をすぐするみたいな事になるけど、本当にそうだなって実感しました。
最後に、
自分が人に何かをする時に無条件に見返りを求めずにできた事は何回あるだろう。と考えた
言葉では何もいらないと言っていても心のどこかで人は無意識に期待をしている生き物。圧倒的なギバー(giver)になりたいと思っているけど実際、無償の愛を持ってする行動をどれだけできているか考えていると案外できていないものだ。
無償の愛は無条件に与えるものだけど、与える側にはそれなりの器が必要なんだと知った。それが地位やお金の場合もあれば、人脈の場合もあり、はたまた自分の時間を割くことかも知れない。いずれにせよ精神的に自立している事が必要だと思う。
今回私はそれを身近な人から体験した。「私が困ってたら助けるのは当たり前。」と言ってくれたけど、実際に行動でそこまでしてくれる人に私は初めて出会ったかもしれない。
ただありがとうと言う事しかできなかったけど、今後何かあったときに自分が彼の支えになれるくらいの人でありたいと思うし、それ以外の別の誰かが困っていた時でも率先して手を差し伸べる人でありたい。
一緒にいた時間とかって本当に関係ないなと思った瞬間だった。本当にたくさんの感謝がある。
色々書いてきたけど、こう感じたからと言って人に苛立つときもあるし、自分の気持ちを我慢できずにぶつけてしまう時もあるし、まだまだ精神的に成長したい部分がたっくさんあるけど、身を以て感じたこの経験を絶対忘れたくはない。
人の命は儚いし。
一瞬であった物がなくなる。
それでも命あるもの全て循環していると思うから、パパもきっと少し休憩したらまた違う人生を歩むんだと思う。
当たり前のような綺麗事に聞こえるけれど、
みんな今ある毎日を大切にしよう。
基本はいつもそれしかない。時間は今しかないから。
愛のある選択で生きるように心がけよう。
私はそうしたいと思います。
長々とここまで読んでくれてありがとう。
Lots of love