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書きたいことを、書く

黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」「続 窓ぎわのトットちゃん」を読了した。

「窓ぎわのトットちゃん」は、小学生のころ、母に勧められて一読したと記憶している。ただ、当時の私は大の本嫌い(漫画は別枠)。どうやら、目を上下させるだけでな〜んにも入っていなかったようだ(なんてこったい)。


枠からはみ出した子どもたち

小学1年生で退学となったトットちゃんが訪れたのは、「トモエ学園」。トットちゃんを含む、いわゆる「学校の枠」からはみ出した子どもたちの日常が描かれていた。

あとがきで、子どもたちのその後が紹介されているのだが、学者に社長に教育者。それぞれの才能を発揮した姿がうかがえる。

「学校」からはみ出したって、「あなたは大丈夫」「あなたならできる」と励ます人がひとりいれば、才能は開花する。いや、むしろ「型にはまらない」子どもたちこそ、可能性のかたまりなんよね。可能性の芽をつんでいるのは、「型」にはめようとする人間、社会のほう。

そんなメッセージが伝わってきた。

42年のときを経て誕生した「続編」

太平洋戦争下の話にもかかわらず、「窓ぎわのトットちゃん」はそれほど戦争色が濃くない。一方で、2023年に出版された続編には、疎開や召集令状、出征など、10歳前後のトットちゃんが体験した「戦争」が描かれていた。

「寒いし、眠いし、おなかがすいた」とつぶやきながら歩いていたが、この言葉を口ずさみさえすれば、遠足かなにかをしている気分になれた。

風がビュービューと音を立てている。涙が少し出ていたかもしれない。トットは、とても変な顔をしていたんだと思う。

「おい、こら」
突然、おまわりさんに呼び止められた。
「おまえ、なんで泣いているんだ?」
トットは手で涙をぬぐいながら、
「寒いからです」
と答えた。するとおまわりさんは叫んだ。

「戦地の兵隊さんのことを考えてみろ!寒いぐらいで泣いてどうする。そんなことで泣くな!」

あまりの怒りようにトットはびっくりしたけど、「そうか、戦争のときは泣いてもいけないんだ」と思った。
「叱られるのは、やだ。泣くことも許されないのが戦争なんだ。寒くて、眠くて、おなかがすいても、泣かないでいましょう。だって、兵隊さんはもっともっとつらいんだから」

それが、トットにできる精いっぱいのことだった。

黒柳徹子さん著「続  窓ぎわのトットちゃん」

泣くことを許されず、「バンザイ」と叫ぶ。特攻の青年たちは出撃の際、「お母さん」と叫んだとも聞く。本音を言えず、感情を出せず、笑顔をつくる。一部の人間がつくった「正解」を言わされる。

「なぜ、40年以上経った今、続編を出したのだろう」

あとがきに記された「徹子の部屋」のエピソードに、その回答があるように感じた。

二◯二二年最後の放送のゲストは、例年どおりタモリさんだった。

「来年はどんな年になりますかね」という私の質問に、「なんていうかな、(日本は)新しい戦前になるんじゃないですかね」という答えが返ってきたけど、そんなタモリさんの予想が、これからもずっとはずれ続けることを祈りたい。

黒柳徹子さん著「続  窓ぎわのトットちゃん」あとがき

学べば学ぶほど、この予想が現実味を帯びてきていることに気付く。一方で「そうならないように」動いている方々の存在も。

私も、その一員に加わりたい。

「思考」を奪う

ずーっと取引している企業もついに、AIライティングを導入した。

一気につまらんくなったな、が率直な感想。理由はシンプルで、考える機会が減ったから。

「考えなくていいですよ」「時間短縮になります」

まるでいいことのように言う。でも、人間から「思考」を奪ったらどうなる?

まさに、近藤先生のおっしゃる「考えない・疑問を持たない・異議を申し立てない」都合のいい人間の出来上がりではないか。

私はコマになるのは嫌だ。思考を奪おうとしてくるなら、考えて、考えて、考えまくってやりたい。笑


「おもんない」

こう思ったときの行動はひとつ。オモロイ方向にグイッと舵を切る。

書く以外の「食いぶち」

これからはますます、「儲け(評判)」と「書きたいこと」のせめぎ合いが強まるように思う。

夏目漱石も太宰治も、古今東西多くの作家がおそらく、この狭間に立たされてきたのだろう。作品にもちょいちょい「利益を優先するか、思いを優先するか」の葛藤が描かれている。そのたびに、「時代は変われど、直面する悩みは同じなんやな」と少しホッとする。

「書きたいことを、書く」

近藤先生の三行塾で聞いて以来、ずーっと考えていた。ライター職しかないと、どうしてもクライアントの利益優先になってしまう。もちろんそれも大切だが、多くのクライアントは「速くて、そこそこ」の記事を求める。書き手の思考なんぞ、必要としていないんやなぁ。

書きたいことを書くには、利益度外視でやるしかない。「あの人、ほんま懲りひんなぁ」と言われても続ける。

ライター以外の食い扶持を確保した今、迷うことはない。


おもろくて、たまに泣けて、ちょいちょいメッセージを散りばめた、

エッセイを書き始める。

退院するとき、トットは先生に質問をした。
「死ぬまで病気をしない方法はありますか?」
すると先生はこう言った。

「それは珍しい質問だね、これまでそんなことを聞いた人はだれもいなかった。でも、方法が一つだけあります。それは、自分の好きなことだけやって生きていくことです」

トットは、そんなことなら簡単だと思って、頭に浮かぶ楽しいことを次々と口にした。
「明日はお芝居を観て、あさってはおいしいレストラン。その次の日は映画館に行って、その次の日はデパートに行って……」

「だれが遊んでいなさいと言いましたか。自分の好きなことだけをやってくださいと言ったのは、自分から進んでやりたいと思う仕事だけをやってくださいという意味です。そうしていれば、人は病気になりません。いやだな、いやだなと思っていると、いやだながたまって病気になるのです」

中略

それからいまに至るまで、自分がいやだなと思う仕事は引き受けないようにして、進んで取り組める仕事だけをやってきた。もちろん、テレビの仕事もお芝居の仕事も、楽しいからこそずっと続けている。

黒柳徹子さん著「続  窓ぎわのトットちゃん」


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