憧れのアパラチアントレイルを読書で旅する
外を歩くのも走るのも楽しい時期になりました。気候がよく花粉が落ち着く今ごろは、いろんな場所を訪れてみたい気持ちになります。
私は主にランニングで体を動かしていますが、ロングハトレイルを歩くことにも興味があります。リュック に軽いテントや食料を入れて、フィルムカメラ(ローライ35かローライフレックス)を持って何日も歩けたら、どんなに楽しいでしょう。いずれそういうこともしてみたいと思っています。
そんなわけで、ロングハイクをテーマにした本をときどき読みます。中でもいいなあと憧れるのが、アメリカ東部を南北に通るアパラチアントレイル、全長3500km近くに及ぶ長大なハイキングルートです。1度に歩き通す人は「スルーハイカー」と呼ばれます。
毎日30km歩いたとしても(それは相当大変なことだと思います)ゴールするのに4か月近くかかることになります。スルーハイカーを目指す人の中には、いろんなことをリセットし、ある意味巡礼のような感じで、生まれ変わるような気持ちで歩きに出る人もいるんじゃないかと想像します。
女性で初めてアパラチアントレイルをスルーハイクしたエマ・ゲイトウッドさんのことが本になっています。絵本と、ノンフィクション。
エマさんは、1955年に67歳でアパラチアントレイルを1人で歩き通しました。私は最初絵本でエマさんのことを知りました。どこかの書評で紹介されていたのだと思います。
子ども向けの絵本ですからわかりやすい内容で書かれています。それでも、エマさんが初めてアパラチアントレイルをスルーハイクした頃には、今のように整ったアウトドア装備などありません。
エマさんは自分で作った布袋に少しの着替えと毛布、地面に敷くシート、食料などを入れて歩いたそうです。靴が何足もダメになってしまったり雨、風、ハリケーンに遭遇したりと、エマさんの旅が相当ハードなものだっただろうことは十分感じられます。この絵本はとても印象に残るものでした。
その数年後、エマさんの挑戦をノンフィクションとして描く本の日本語版が出版されました。「あのエマおばあちゃんだ」とすぐに手に取りました、
この本は、エマさんのロングハイクの様子と若い頃の家庭生活の模様が交錯しながら進んでいきます。結婚相手が暴力を振るう人だったこと、農場経営が上手くいかず、11人の子どもとともに苦しい生活をしたことなどが記されています。ロングハイクの過酷さも、より臨場感を持って迫ってくるものがありました。
エマさんは、1955年にアパラチアントレイルを歩き通した後もオレゴントレイル3200kmを歩いたり、合計3回アパラチアントレイルを歩いたり(うち2回がスルーハイク)と、長い距離を歩くことを続けたそうです。きっと、アメリカでは広く知られている「グランマ」なのでしょう。
アパラチアントレイルについては、日本のロングハイクの先駆者である加藤則芳さんも本を書いています。600ページ以上の大著です。
加藤さんがアパラチアントレイルを歩いたのは2005年。日記形式で写真も多く載っているため、ロングトレイルを歩く旅を追体験できます。荷物や食料をどうしているのかとか、体の疲れや不調はどうかといったことも含めて、日々歩き続けることの大変さと、それでも楽しいんだろうなということが感じられます。長い本ですが私は一気に読みました。
アパラチアントレイル。憧れの道です。
自分がここを歩きに行けるときがくるのかは、わかりません。まずは日本のトレイルを、走るだけでなく1, 2泊でも歩くことから始めてみたいなと思います。軽量テントとか、準備しなくてはいけないものをピックアップして。
〈追記〉
アパラチアントレイルを舞台にした本、もうひとつ読んだことがありました。トレイルランナーのスコット・ジュレクさんがアパラチアントレイルのFKT( Fastest Known Time, 知られている中で最も早い時間で踏破すること)に挑んだ記録です。
スコット・ジュレクは2000年代初頭に数々のウルトラトレイルのレースで優勝したランナーです。
私はアパラチアントレイルを高速で移動したいとは思っていないので関心の方向性が違います。でも、伝説的なウルトラトレイルのランナーが超ロングトレイルに向かうと、こういう取り組み方になるのかと興味深く読みました。