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ノーベル平和賞に思うこと♯111

日本被団協が、今年のノーベル平和賞に。

実は、2016年から3年間、夫の転勤帯同で広島に住んでいた時期がある。
この時、一番印象に残っていたことは広島の人たちの平和に対する強い思いである。被爆2世、3世の人たちも周りにいたから、戦争中の話や、戦後をどんな思いで生き抜いてきたか、話を色々聞くことができた。
当時息子は、2歳、3歳くらいだったが、被爆者のおじいさんから親子でお話しを聞ける機会があり、その際、折り鶴を折ってもらった。その時の記憶が今も残っているのだそう。

過去からの延長線上に、今があるからこそ、広島時代の友人とは自然と、戦争や平和、核兵器についての話題が会話の中にあったように思う。決して特別なコミュニティでなく、身近なママ友ともそんな話題をしていた。
広島に住んでいたときは、毎年8/6は平和祈念式典に行っていたが、
それを他の地域の人たちに言うと、ともすれば「意識高い系の人」に捉えられることもあったが、広島の友人の中では普通のことだった。

ノーベル平和賞受賞の報告の際、頬をつねって会見されていた、被団協の代表委員、箕牧智之さん。実はたまたま広島の中心部に出かける際、路面電車で隣合わせになったことがある。被団協の取組みは、広島のニュースや新聞でよく報道されており、私ですら、「あ、このおじいさん、被団協の人だ」ってわかるくらい、広島に住んでいたら身近に感じられる団体である。

ただ、多くの地域の人にとって、これまで被団協の存在自体知らない人もいたのではなかろうか。(私も広島に住むまでは恥ずかしながらそうだった)
世界においてはなおのこと。

広島に住んで感じた違和感。
それは、日本は「唯一の被爆国」であるなか、同じ日本でも、地域によって関心の違いが大きいと感じること。
きっと、他にも日本全体で考えなければならないトピックスも、自分事化できていないことは山ほどあるのだろう・・・

核兵器をちらつかせるような戦争が各国で勃発するなか、ノーベル平和賞の受賞が被団協の人たちのゴールではないと思う。ただ、ここに来て取組みに光が当たることが、本当に良かった。

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